111. 救いの意志を継いで
騒動が収まり、城へ帰ったアルス。彼は夜通しアビスハイムの様子を眺めていた。気が付けば空は朱色に染まり、夜明けを告げる。
「……ようやっと報告が途切れたか」
魔導王は玉座に座り城の天井を仰いだ。
夜通し戦況報告を受け、彼は休む暇もなく働いていた。今回の戦で確認された敵の規模を元に作戦を再編し、ソレイユ大森林の戦力を増強。また作戦の変更による都市の資源裁量や警備体制の変更もあり、報告は途絶えない。
「少し休まれては?」
「馬鹿を言え。民が苦しんでいるというのに、王がのうのうと休んでいられるか。お前こそ、こんな場で我を観察していても良いのか? 輝天の様子を見に行ってやればいいではないか」
「ユリーチの様子は昨夜見に行きましたが、今は一人にしておいた方が良さそうです」
ユリーチは部屋に籠り切りだ。しかし、完全に彼女の心が折れたとは思っていない。
必ず輝天は再び立ち上がり、決断を下すだろうと。アルスの胸中には確信が渦巻いていた。
「人員を持て余していても仕方ない。お前にも何か任務を与えるべきだな」
「なんなりと。……話は変わりますが、陛下はこの状況を想定されていたのでは?」
「なにゆえそのように思う?」
「忙しそうではありますが、落ち着いているので。戦場でも同様でした。陛下は油断はしていませんでしたが、慌ててはいなかった」
アビスハイムは常に泰然としている。しかし心持つ以上、感情の恒常的な安定はあり得ない。
彼の落ち着きが王の器によるものだと言われれば、それまでだが。
「然り。我はあの状況を知っていた。時に三体の敵と遭遇することもあれば、あの場で心神を屠ったこともあった」
「……? それは……」
「我は数多の世界線を観測し、Xugeの記憶を継承している。何度も何度もあの神々や天魔と争い、厄滅を防ごうと奔走してきたのだ。故に性質や弱点も知っている。しかし……未だ厄滅を越えられた試しはない」
「…………」
アビスハイムの力を以てしても、『厄滅』……天魔・心神・命神との争いを乗り越えられない。何度も、何度も繰り返してもなお。
今のアルスも、創世主に滅ぼされた騎士アルスのXugeと融合した状態だ。一つのXugeとの融合でさえ魂が擦り切れそうになったというのに、アビスハイムは無数のXugeと融合している。
本来の自分が誰なのか……分からなくなっているのではないだろうか。
「我の魂も限界に近い。Xugeを受け入れすぎると、どの世界線の自分が真実であるのか分からなくなり、本性を失ってしまう。そろそろ勝利しなければならないのだが……今回は希望があるぞ」
「希望……とは?」
「お前だ」
アビスハイムは真っ直ぐにアルスを見下ろした。
彼の視線を受け、アルスは立ちすくむ。圧ではない、期待でもない。彼が見ているのはアルスではなく、その背後にある──
「お前は、今までの世界線で観測できなかった。お前の代わりにT……いや、ATが我の傍に居たのだ。だが此度の世界線では鳴帝……お前がATを倒し、奴の意志を継いでいる。故にお前が新たな可能性を見せよ。お前の手によって厄滅を乗り越えられると、証明せよ」
魔導王は、ATの面影をアルスに見ている。
「僕は……あの教皇が何者であったのか、未だに分からないのです。陛下は彼のことを信頼しているようですが……」
「いや、我はあの男を完全には信頼していなかった。むしろ警戒していたとも。我と思想が食い違い、時に衝突することもあった。奴は世界を救おうとするあまり、犠牲を是としてしまったからな。そこが我との食い違いだ。それでもなお我がATを認めていたのは……奴の信念が揺るがぬものであり、最終的な目的が我と一致していたからだ」
世界を救うこと。
唯一の目標はアビスハイムもATも、そしてアルスも変わらない。
「……ATが何者であったかなど、お前は知るべきではない。知ってはならない。だが、お前は前へ進め。後退すれば、我がお前の背を穿ち抜く」
「分かっています。僕は止まらない、諦めない。乗り越えられぬ困難など存在しない」
彼の返答を聞き、アビスハイムはようやく満足したように笑う。
声を張り上げた。
「アルス・ホワイト! お前に次なる任務を課す! わが国を脅かす外敵を探り、討滅せよ!」
「敵の捜索、ですか」
「奴らは基本的に潜伏し、昨日のように突如として現れる。ならば奴らをこちらから探し出し、叩いてやろうではないか」
しかし、一つだけ不安の種がある。
アルスは率直な疑問を王へぶつけた。
「ですが、心神と命神を倒す術は陛下しか知らないのでは? 恐らく『神核解放』は僕では使えないでしょうし」
「ああ。故に、我の英霊と共に捜索へ行ってもらうぞ。英霊の下に国王特権で転移できるようにしてあるからな」
昨日もアリキソンを通してアビスハイムが現れた。聞くところによると、アリキソンを常に大森林に配置しているのもアビスハイムが転移するためだとか。
思い当たる節は一つだけある。
「まさかマリーですか?」
「知っているのならば話は早い。お前が存在せず、兄を持たぬ世界線のマリーだ。基軸となる世界では、アルス・ホワイトという人物は存在するのだが……我が召喚したマリーの世界線では、鳴帝イージアのみが存在していた。この意味は分かるな?」
「……」
アルスが存在せず、イージアが存在する世界線。
つまり過去へ飛んだイージアが未来に戻っても、アルスが復元されなかった世界ということ。或いはATが最後に託した指輪を用いず、未来へ飛ばなかったのだろうか。
その世界線でイージアはどのような最後を迎えたのだろうか……アルスは考えるが、考えるだけ無駄なことだと思考を振り切る。
「分かりました。異世界のマリーと共に敵の追跡に向かいます」
「よい返事だ。それと……お前も英霊を従えてみるか?」
アビスハイムは懐から札を二枚取り出した。
奇妙な魔法陣が連なって描かれた紫色の札だ。札はひらひらと中空を漂い、アビスハイムの魔力制御によってアルスの手元へ収まった。
「これは?」
「英霊の召喚札だ。お前では召喚魔術を扱えないであろう? ウジンにも同じものを渡してロンド・デウムを召喚させた。案ずるな、召喚と維持の魔力は我が肩代わりしてやる。魔力など吐いて捨てるほど有るからな。辛くなった時に使うがいい」
そういえば、シレーネがアビスハイムに初めて会った時に頬を引き攣らせていた。アルスが理由を聞くと、彼の魔力量がとんでもないレベルだったとか。
「それなら、兵士全員に札を渡して英霊を大量召喚すれば良いのでは? 戦力に困っているとのことですし」
「ぬかせ。英霊を従えられるのは、器ある者のみ。常人が従えようものならば力に目がくらみ、内紛を生む。力なき者が英霊を従えるのは、偉人に対して失礼にあたる。英霊とて雑魚から命令されればそっぽむいたり、しらんぷりしたり、ひるねをはじめたり、言うことを聞かなくなるぞ。それに……我の魔力も温存しておかねばならないしな」
要するにアビスハイムは、アルスの力と器を認めているということだ。どれほどの偉人をアルスが呼べるのかは不明瞭だが、無礼を働かないという自負は彼にもあった。
英霊召喚魔術は自分と縁が深い存在を呼ぶ傾向が強いという。ウジンのように敵のロンドを喚ぶ可能性もあるが……
「まあ、必要とあらば使わせていただきます」
今のところ英霊の力が必要な場面は来ていない。
そもそもアルス単体で相当な力を持つ以上、純粋な力が欲しい場面は限られてくる。英霊を召喚したい場合は……手数が欲しい場合か、何か特殊な敵が現れた場合のみだろう。
彼は召喚札を鞄に入れて出立の準備を整えた。
「では行って来るがよい。三敵のうちいずれかを発見した場合、マリーを通して我を呼ぶように」
「はい、行って参ります。陛下もご無理なさらず」
「お前に忠告されるなぞ十二万年早いわ。いや……一応、お前は神の一柱であったな。では神託と思い、しばし休むとしよう」
アルスは微笑み、踵を返す。
厄滅に抗う戦いは続く。




