106. 心神降臨
ソレイユ王国の内情を改めてナリアたちにも説明し終えたノア。時刻は既に夕刻となっていた。ソレイユ王国へ訪れて初日。あまりの情報量の多さに、アルスも辟易していた。いい加減に休みたいところだ。
「そろそろ帰りましょうか。魔導王陛下にも今夜には帰るように言われてますので」
「魔導王アビスハイムですか。本当に実物の魔導王なんです?」
シレーネは新たなる王の存在を訝しんでいるようだ。伝説の人物が英霊でもないのに蘇ったという事実は、単なる死者蘇生を意味する。とても信じられない超常現象だが、アルスはあの王が本物だと断言できる。根本的に通常の人間とは覇気が違う。そこらの神よりもよほど恐ろしい。
シレーネの疑問に答えつつ、ユリーチは周囲を見渡した。彼女の顔が曇る。
「あの王様が本物かどうかは城に戻れば分かるけど……でも、駄目みたい」
「ん……? ユリーチさん、でしたっけ? 何が駄目なんです? 小生、帰り道は覚えていますので案内しますよ」
一拍遅れて、アルスとナリアも異変に気が付く。
アルスは槍を構え、ナリアはアーティファクトをシールドに変形。臨戦態勢である。
「包囲されている。この気配はエムティングだ。数にしておよそ……ナリア、分かるか?」
「二百」
彼女の言葉に場の全員が青褪めた。
エムティングは歴とした心神の眷属であり、単体の戦力は竜種に勝る。しかも星属性、天属性以外の攻撃を無効化する性質を有している厄介さ。
木々の隙間から見える大海より、白い粘体が次々と浮上しているのが分かる。長らく戦場を指揮するロンドからしても異様な事態だった。通常、エムティングは二分間に一体の割合で海より浮上する。ここまで大規模に発生する前例は未観測なのだ。
「んんん……ハハッ、不味いですねえ。実に不味い。総員、警戒してください。今しがた指揮官に緊急の通信を入れました。応援が到着するまで五分程度。それまで持ちこたえればなんとかなります。エムティングに通じる星・天属性を付与した魔道具も少量ですが備えてあります。一体ずつ、慎重に捌きましょう」
周囲を落ち着かせるためにロンドは丁寧に諭すが、彼もまた焦っていた。
二百体ものエムティングに迫られれば、物量に押し流されて耐え切れない。最悪、ロンドだけでも竜騎士の駒に乗って逃走しなければならない。
ただし望みは十分にある。彼らの傍にはノアがいるのだ。ノアの不可思議な力を使えば如何様にも逆転は可能。アルスはそう考えていた。
「ノア。君の権能でエムティングの軍勢を退ける……とまではいかなくとも、凌ぎ切ることはできないだろうか」
「あー……すいません。私、幻影なもので。愚者の空にいる本体ほどの出力はできないんですよ。そもそも私が本気を出せるのなら、ソレイユの厄滅はとうに解決しているので。多少便利な魔導士程度に考えていただければ……エムティングは空を飛べないので、空中戦を行いましょう。ただし対空能力は結構あるので注意してください」
ノアの飛行機、ロンドの竜騎士の駒、ナリアのオーオー。空中戦を行うための設備は十分だ。エムティングの対空能力は、森林に建設された壁に届かない程度だが飛行機を撃墜するくらいの力は持っている。
そして各々が迫り来るエムティングに警戒し、呼吸を整えた時。
『──七つ。七つの恐怖、或いは焦燥。憤怒──これはいけない、いけません。あまりに感情が偏り過ぎている。粛清を、神罰を。許されざる……いけない人たちですね』
場違いに柔和な声が響いた。焼け落ちた草木の間から中空に浮遊して、声の主は現れた。
儚く、触れれば脆くも壊れてしまいそうな少女。雪のように白い髪が風に吹かれて靡いている。魔力を介して浮いていない。彼女の周囲に漂い、彼女を包んでいるのは神気。
少女の姿を見てノアが声を上げた。
「あなたは……心神クニコスラ!」
『こんにちは、調停者……の幻影。不愉快です。我々は公正な盤上のルールに則り、不正を働かずに動いています。邪魔をしないでいただきたい』
「そうでしょうか? では、あなたがた【棄てられし神々】が最終的に目指す目的をお聞きしても?」
『…………ふふっ』
心神クニコスラ。ソレイユ王国を襲う三大外敵の一柱。長らく潜伏していたが、この状況で姿を現した。
周囲のエムティングを従える主でもある。異変は心神が起こしていると見て間違いない。
『とにかく、魔導王の徒にはここで死んでいただかないと。しかしあなたがたが魔導王の徒でなくとも、関係なく粛清しますよ。感情の偏りがあまりにも酷いので』
心神から殺意は向けられていない。しかし周囲のエムティングは着実に迫っており、心神の神気も攻撃の体制を構築している。純粋無垢たる本能。彼女は人を殺すことを当然の摂理だと捉えている。
ロンドはソレイユの怨敵を前にして号令を発動。
「総員、交戦準備。なんとしても心神はここで仕留めます。援軍が来るまで持ちこたえつつ、損害を出さずに心神を倒す。この面子ならできるでしょう?」
『できませんよ。私、死なないので。家畜が主人を殺せるわけないでしょう?』
持久戦かつ、電撃戦。
神を前にして畏れながらも臆する者はおらず。
戦が開かれる。




