異伝3. 昏い道
暗い、昏い道を歩いていた。
導なんて無い。光なんて無い。
行末も分からない。
ただ、なぞってきただけ。
追いかけ続けてきたその背は、次第に遠くなっていく。すぐ側に、あった筈なのに。
「待って……父さん、母さん!」
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。
分かってる。もう僕は、自分の脚で立たなきゃいけない。
でも、苦しい。
僕は、ただ強いだけ。それだけ。
他には、何も無いよ。
リーン、という透明な音がして、目が覚めた。
小鳥の囀りと、外ではしゃぐ子供の笑い声が頭に響く。
ああ、朝だ。
「うーー……」
時計の針は、少し遅めの朝を指し示していた。
無機質で、ドロついた夢から抜け出すように、逃げ出すように、布団から出る。
カーテンを開けると、日差しが暗闇ばかりの僕の部屋を照らした。空気が濁っている。
──四年。
あれからもう四年も経ったのに、未だに時折夢に見る。受け入れたくない現実。
受け入れているけれど、受け入れたくはなかった。
「アルスー! 起きてるのー!?」
僕を眠りから引きずり出したのは、アラームの音ではない。寝る前にアラームは設定しないから。
玄関のチャイムの音だった。
それを鳴らしたのは、隣家の住人。今し方僕を呼んだのも彼女だ。
窓を開けて、二階から玄関の前に居る彼女を見る。
ひんやりとした風が肌と意識を叩いた。
制服を着て、毎朝高等学校へ行く前に僕を起しに来るのだ。
「ロール、起きたよー!」
取り繕った笑顔を向けて彼女に叫ぶ。
これが平日の日常になっていた。
「あ、おはよう! 学校行ってくるね、朝ご飯はちゃんと食べるんだよ!」
「はいはい、分かってるよ」
それだけ告げて、彼女は慌ただしく学校へと向かっていった。立派だな。
再び静寂が戻る。
小鳥の声と、外を通る魔導車の音だけが虚しく響いていた。
今、この家には僕一人しか居ない。
二年前からずっと。
「朝ご飯……朝ご飯……買ってくるかな」
料理はめんどくさいし、あんまり好きじゃない。
三年前まではマリーの為によく作ってたけど。
ゼロントの悲劇。
四年前の出来事は、そう呼ばれた。
その日、ゼロント領に居た大半の人々は亡くなってしまった。狂刃の手によって。
両親、ロールの親のライマ夫妻、親切にしてくれた近所の皆さん、みんな。
悲劇の時、僕は偶然ロールと他領へ出かけていた。狂刃の進行を聞きつけ、戻った時にはもう……父の胸を、黒き刃が貫いていた。
「……やめよう」
──思い出すのは、やめよう。苦しいだけだ。
* * * * * * * * * *
家を出て、通りに出る。人通りは少ない。
まあ、当然か。今日は平日で……普通の人は仕事とか、学校に行っている。
僕は今、傭兵をしている。魔物の討伐であったり、探し物であったり。傭兵とは古来では戦争の為の用語であったが……今は便利屋、或いは日雇いを意味する。
結局、士官学校には行かなかった。もう僕は強いんだから必要ない。それに、霓天の家系というだけで国から助成金が貰えるのだ。馬鹿馬鹿しい制度だと思うが……その恩恵を受けている僕が言えたものではない。
「いらっしゃいませー」
近くの店に入り、手頃なものを手に取る。
──こんな乱れた生活をするようになったのはいつからだろうか?
多分、マリーがスピネさんに師事してからだ。
両親の没後、マリーは騎士を志した。初めは僕が剣を教え、共にホワイト家の屋敷で暮らしていたのだが……彼女には剣才があまり無かった。
そこで彼女の得意武器だと思われる弓を扱う聖騎士……スピネ・リンマさんを僕が紹介した。
それからはマリーも家に帰ることは少なくなり、次第に生活のリズムは崩れていってしまった。彼女と一緒に料理を作ることもなくなって。
「…………」
店を出て、帰路につく。
今日はもう家から出ないだろう。傭兵の仕事はしたくなった時や、誘われた時だけ行う。今日依頼を受ける予定は無い。
……それにしても、ロールは何故毎朝起こしに来るのだろうか。もちろん、彼女が来なければ僕が起きるのは昼過ぎなんだけど。
彼女だって、親を亡くして大変な筈だ。この五年間、何度もお互い助け合う事はあったけど……起こしてくれとは頼んでいない。たった一度、頼んだだけなのに……それ以来彼女は僕を毎朝起こしに来る。
まあ、心遣いに感謝しよう。
家に帰り着き、扉を開ける。
一階は居間を除いて使われる事は殆ど無い。
埃が溜まって、蜘蛛の巣が張ってある……掃除しなきゃいけないのは分かってるんだけどなあ。
両親の遺影の前に置かれた、杯に入った水を取り替える。あとは洗濯して、洗い物して……日課はそれぐらいか。
遺影の側に立てかけられた騎士剣。父の遺品だ。
マリーは剣を使っていた当初、あれで狂刃を殺すのだと意気込んでいた。今は弓に武器を切り替えたが、その意思は未だに変わらないらしい。
毛玉がついたカーペットが敷かれた階段を上り、自室に戻る。扉を開けていたので、濁った空気は消えていた。
* * * * * * * * * *
気づけば夜の帳が落ちていた。
液晶に映し出された文字列から目を離す。
朝からずっと同じ事をしていた気がする。
「はぁ……っと?」
伸びをしていると、通信があった。
アリキソンだ。
「あい、アルスです」
『俺だ。……今暇か?』
「僕に暇じゃない時なんて無いよ。それで、なんか用か?」
『もうすぐルフィア祭だからな。一応知らせておこうと思ってな。一緒に回るか?』
ルフィア祭……年に一度催される祭りだ。
ディオネのリート祭も、年に一度開かれる。ルフィア祭は毎年アリキソンと巡っている。
「うん。彼女とは行かないのか?」
『彼女なんて居るわけないだろボケ。……幼なじみの女の子が居るお前が羨ましいよ』
「だからロールは彼女じゃないって。……じゃ、いつも通りだな」
そして僕は通信を切り。夜風に当たる。
それから思い出したかのように、剣を持って庭で日課の鍛錬をした。
破滅の型をより洗練させる。夜中だから、剣の音を、足の音を決して立てないように。
……最近、この破滅の型も力不足に感じてきた。更なる力を手にする為には、何が必要なのかを煩悶として考える事は少なくない。
こうして剣を振るいながら、更に夜は更けていった。




