102. 魔導王謁見
ソレイユ王都、アビス。
ソレイユ王国は非常に経済規模の大きい先進国であるが、ひとつ特徴がある。高層建築物がないこと。高層ビルや天を支配する天廊が存在しない。理由は不明だが、魔導王朝設立時より基準点に達する高さの建築物を建てることは禁じられているのだ。
蒼く広がる空を眺めてアルスは王城の前に降り立った。
「見たところ、人々の生活に翳りはないようですね。国外に出られないにも拘わらず、誰も不満の表情を浮かべていない」
「当然です。魔導王陛下は民を守ることを最優先に考えておられますから。それに、国外へ逃れることを望む者は後日国外へ送ることになっていますので」
リリスは誇らしげに言いながら、城の裏門に徽章を押し当てる。重苦しい音を立てて門が開いた。
アルスとユリーチは息を呑む。濃密な魔力が内部から漂っている。本当にこの先は人が住まう城なのだろうか。下手をすればゼーレフロンティアよりも濃密な魔力だ。
「こちらです」
リリスに導かれ、彼らは城の内部へ進んで行く。
~・~・~
「遅い!」
開口一番、玉座に座る男はアルスたちに叱責を浴びせた。
海を思わせる青い長髪を右方に纏め、無数の魔導刻印を付与した衣服を纏う。覇を唱えし者であることを物語る王冠。彼方でも分かるほどに全身から魔力を放出させ、鷹のような切れ長の瞳でアルスたちを睨んだ。
怒声を発した王に対してリリスは即座に跪く。
「申し訳ありません。想定外の事態が起こってしまい……」
「リリス。我はお前が遅れたことに憤怒しているのではない。……ああ、いや。流石に結界の穴に嵌って救難信号を送ってきたのはどうかと思うが……」
周囲には大勢の人々が居るが、王が張り上げた剣幕に怯えて動けずにいる。最高位の魔導士であるリリスが土下座している状況を鑑みても、異様な光景なのだ。
「こほん。……さて、アルス・ホワイトよ。お前はもう少し早く……具体的に言えば一か月と四日ほど早くソレイユに来るべきであった。この意味は分かるな?」
「申し訳ありません。僕の頭では理解できず……なぜ一か月と四日前なのですか?」
「お前は同人誌をコミケの一週間前に作りはじめるタイプの人間か?」
「は?」
「……いや、なんでもない。とにかく遅かった! お前が早く来ておれば、わが国の状況はもう少しマシなものになっていたはずだ」
よく分からないが、とりあえずアルスは深々と頭を下げた。一方でユリーチはなおも呆気に取られたように魔導王を凝視している。研究者特有の観察眼が働き、いつまでもいつまでも魔導王の特殊な服を観察しているのだ。尋常ならざる魔導刻印と加護。アビスハイムの衣服はイージアのローブに匹敵する代物だ。
「して、そこの輝天。あまり我をじっくり見つめるな。女に見られると萎縮する。簡潔に言えば照れる」
「あっ、さーせん」
「さて。お前らの到着は遅かったが、今からでも動き始めねば仕方あるまい。まずは名乗りを上げようか。我は魔導王アビスハイム。魔導王朝ソレイユの建国者にして、原初の魔導使い。そして厄滅に抗いし人間の筆頭である」
パン、と手を叩いてアビスハイムは周囲を睨む。同時に周囲のソレイユ兵は玉座の間から見物人たちを追い出した。
少し真面目な雰囲気が漂い始めたところで、彼は玉座に座り直す。
「さて、救世者アルス。またの名を鳴帝イージアよ」
「……僕の正体を知っていたのですか」
「然り。我は世界の全てを見通す者。そこな輝天が理外の魔女であることも、お前の本性がリンヴァルス神であることも知っている。そして……お前がATの意志を継いだこともな」
意外な人物の名前が飛び出た。
リフォル教教皇AT。最後まで素性の知れない人物であった。かつてアルスは彼と相対し、安息世界を回帰させたのだ。彼の今際の遺言を直接アルスは聞いていないが、ラウアとセティアを介して彼の意志は受け取った。
イージアもATも、たしかに世界を護るために戦った最大の敵であり……同志であったから。
「僕とATの関係が何か?」
「我とATは盟友であり、共に厄滅に抗う同胞であった。数多の世界軸を越え、数多のXugeを越えて、我らはただ一つの救いを見出さんとした。最終的に辿り着いた解決策は安息世界の顕現。しかし、安息の野望もお前の手によって壊されてしまった」
「……」
ともすれば、アルスとアビスハイムは敵対関係にあるのかもしれない。アビスハイムの口ぶりからして安息世界の顕現には彼も関わっていたのだろう。
「だが、我とATは完全に味方とも言えん。思想が違い、目標が違い、意見をぶつけ合うことも多々あった。まあ……安息世界に人々の魂を閉じ込め、厄滅に抗う策が潰された以上もはや何も言うまい。大事なのは……アルス・ホワイトよ。お前がATの代わりに我の手となり足となり、厄滅に抗う責務があると言うことだ」
「承知している。共鳴者の役目は世界を護ること。もしも世界の命運を揺るがす敵が存在するのならば、僕は戦いましょう」
アルスの返答にアビスハイムは鷹揚に頷く。
彼は虚空目掛けて大声を張り上げた。
「ノア! ノアは居るか!」
「はい、居ますよー。こちらです」
呼び声に応え、虚空より姿を現したのはオッドアイの少女。
世界の調停者にして『愚者の空』で世界を観測し続ける者……のはずなのだが。
「どうして君がここに……?」
「あの人、アルスの知り合い?」
「ああ、うん。色々と昔からお世話になっている人だ」
アルスは世界に存在しないはずの少女を見て首を傾げた。彼女は基本的に、世界の事象には干渉しない主義を取っている。ましてや一国王であるアビスハイムに従うなど考え難い。
「あ、アルスさん。お久しぶりです。私が地上に居るのが不思議ですか? そうですよね、私は基本的に世界の異変に対処するのが役目であり、こんな秘書みたいな仕事はしませんから」
「お前は我の秘書というか、我に指図する上司に近いと思うのだが……野暮か」
アビスハイムは困り顔でそっぽ向いた。
「で、今の私は幻影なので。ノアちゃんの本体はちゃんと愚者の空で世界を観測しています。ご安心を」
「は、はあ……そうなのか。僕はとりあえず……アビスハイム陛下の指示に従うことになったのだが。どうすれば良いんだ?」
とりあえず亡きATの代わりにアビスハイムの傘下についたアルス。しかしソレイユがどのように窮乏し、どのように敵と戦っているのか分からない。
王城の魔力濃度を見るに、王都は相当な警戒態勢が敷かれていることが分かる程度だ。
「直接目で見て判断するのが早いであろう。ノア、アルスとユリーチを森林へ。リリスには他に任せる仕事がある」
アビスハイムの命を受け、ノアの幻影は二人を誘導する。
「まだまだ国の様相は見えていないと思いますので、しばらく私が案内します。ユリーチさんは初対面ですね。よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします」
向かう先はソレイユ大森林。
その先でアルスたちは世界の惨状を見ることになる。




