101. 我らの敵は
無事に壁から抜け出したリリスは、内側から人が一人通れるくらいの穴を開けてアルスとユリーチを内側へ誘い込んだ。
彼女はくるくると白髪の毛先を指で回しながら周囲を頻りに見渡す。
「他に気配はありませんね。結界を閉ざします」
光の壁はリリスの手によって再び塞がれる。ソレイユの内側からは、国全体を覆う光の壁は透き通って見える。外部から見ると中身を見通せないのだが。
ユリーチはリリスの言葉を聞いて率直な疑問をぶつけた。
「リリス魔導星冠、この壁は結界なんですか? 宇宙人の技術ではなく?」
「は……宇宙人……? 何を仰っているのか分かりませんが、これは結界です。外部からの干渉を観測を防ぎ、国内から波及する邪気や魔力を遮断する【対災厄防御術式】。いわば籠、でしょうか」
籠──中に何かを閉じ込めるためのもの。外部からの侵入を阻むのであれば、リリスはこの結界を籠とは表現しないだろう。つまり、現状ソレイユ王国は何かを国内に閉じ込めているということになる。
アルスはそこまで思案したところで、先程のリリスの言葉を思い出した。
「そういえば。僕の妹が国の中に居ると仰っていましたが、マリーはディオネで騎士の仕事をしているはずですよ。まさかあの子が仕事をサボってソレイユに観光しに来てるとでも?」
「いえ、違います。そう物凄い気迫で詰め寄らないでください。貴殿の妹君はたいへんに勤勉なお方ですから、どうかお怒りにならないで」
「はあ……じゃあどういう意味なんです?」
「王都アビスまでおいでになれば分かるかと。拙は国王陛下に霓天と、ついでに輝天の回収を仰せつかっていますので。行きましょう」
リリスは問答無用に歩き出す。これでも二人を丁重に扱っているつもりの彼女だが、『ついで』扱いされたユリーチはご立腹の様子。
「なんか、全然説明してくれないね。それにリリスさんしか周囲に人は居ないみたい」
「ええ、送迎に人員を割くほど余裕はありませんので。時間も惜しく、本来であれば転移の魔術にて王都まで向かいたいところですが……現在は国内全域に転移無効の阻害が張られていますから。仕方ないのでこの先に停めてある魔導車を使って王都へ向かいます」
アルスはぼんやりと話を聞いていた。ここソレイユでただならぬ事態が起こっているということは分かったが、やはり話が見えてこない。
「霓天殿が呆けた面を見せていらっしゃるので、歩いている間に馬鹿でも分かるようにお話しましょうか。現在、わが国は外敵に襲われています。国王陛下は外敵との戦線を維持しつつ、敵を外部へと逃がさないために結界を展開したのです。国の全てを賭して総力戦を挑むにあたり、助力は不可欠。しかしながら外国の干渉は国の方針により受けられません。そこで個人である英雄の家系に協力を仰ごうとした次第です」
「その外敵というのは……『棄てられし神々』、ですか?」
アルスの言葉を聞いたリリスは僅かに顔を上げる。彼女にとっては驚愕の仕草なのだが、傍から見れば何も感じていないようにしか見えない。
「……そういえば、陛下が何者かが機密情報を探っていると仰っていましたね。霓天殿の手の者でしたか」
「ああ、いや。僕の手の者というか、勝手に情報を探ってくれた奇特な人というか……」
今にしてもアナベルトがソレイユ王国の情報をアルスに流した理由は分からない。彼女なりの謝罪……ということなのだろうか。
「『棄てられし神々』まで知っているのならば話は早い。仰る通り、わが国に隔離されている外敵は『棄てられし神々』です。命神、心神、そして六花の魔将が一【天魔】。二つの神と一つの魔将。厄介なことに、我らが王の力を以てしてもそれらの敵を退けることは難しいのです」
「王っていうと、アズテール陛下ですよね? あのお方、あまり評判はよくなかった気が……」
ユリーチは少し言いよどむ。たしかソレイユの当代国王アズテールは国民からの支持率は低いと聞く。税を一気に引き上げたり、私生活が荒かったり。色々と悪い意味での報道が外国に伝わってくる。
危機的状況にある中で、そのような愚鈍な王が活躍できるとは思えないが。
「いいえ、アズテール前国王は退位なされました。現在玉座に就かれているのは、魔導王アビスハイム。原初の魔導使いにして世界最強の魔導使い」
「アビスハイム……!?」
当代国王の名を聞いたアルスは驚愕する。
魔導王アビスハイム。五千年以上前にソレイユ魔導王朝を建国した始祖であり、復活の神話が伝承されている偉人だ。彼は死の間際、己の身体を魔導そのものへと変質させて世界中を漂う存在となった。そして悠久の時を経た彼はやがて復活し、全ての魔術を修めて地上へ舞い戻る……そんな神話だったはず。
「まさか例の伝承通り、魔導王が復活したと? 英霊としてではなく?」
「はい。むしろ魔導王陛下は英霊を使役する側ですね。あのお方は英霊などではありません。正真正銘、現在に生きる伝説なのです」
歴史好きのアルスからすれば、この上なく興味を惹かれる内容だ。
しかし同時に問題も浮上する。アルスが抱いた懸念をユリーチが代弁した。
「てことは、その魔導王陛下でも対処できない敵がいるってこと?」
「誠に遺憾ながら、大変に遺憾ながら。別に魔導王陛下の力がないわけではありません。相手が強すぎる……というよりも、卑怯すぎるのです。民を守らなくてもよいのならば、魔導王陛下は問答無用で世界を焼き払って敵を滅するのでしょうが……」
くやしい、と炎文字を中空に描きながらリリスは懐から魔導車の鍵を取り出した。
「あの魔導車を使って王都へ向かいます。急いでいるので、飛ばしますよ。拙の運転は荒いのでお気をつけください」
「大丈夫です。ユリーチの方が運転は荒いと思うので」
「は?」
一般的に反射神経に優れた強者は運転が荒くなる傾向にある。特にユリーチの運転は酷いものだ。
「時速四百キロで飛ばします。では、お乗りください」
乱暴に魔導車に詰め込まれた二人は、リリスによって王都へ運ばれるのだった。




