95. 必滅の暁
「共鳴──解放」
共鳴の解放と共に、世界に混沌の力が轟く。
理性なきルハジャルカは凄まじい力を持つアルスへ殺気を放った。もはや彼は師に非ず。なればこそ、アルスは魂を賭して災厄ルハジャルカを討たねばならない。
彼を殺すことこそが、己が師への手向けとなろう。
「受贈──ゼニア。『神剣ライルハウト』」
神剣を構え、彼は静かに息を吐く。正眼の構えにてただ相手の動きを掴み、斬る。
ルハジャルカの影が動く。速く、鋭い。創世主と力を共鳴したアルスでさえも見切れぬほどの速度。
だが視覚だけが剣術においての柱ではない。己が持ち得る感覚を全て用い、万象不変を斬り捨てる。前面から迫った緋色の一閃。アルスは剣を素早く、されど緩慢に斜方に構え衝撃を受け流す。
アルスの全ての武は受け流しより始まった。父より教わったディオネ剣術、ルカより教わった破滅の型。
「『彗嵐の構え』」
そして己が手によって編み出した『青霧』。全てを組み合わせ物理を受け流す青霧を生み出した。
ルハジャルカの大剣とアルスの間に横たわる時間が切除され、暴威の剣閃は彼方へ。海を割り空を暗黒に染め上げる。
「っ……!」
『──!』
声にならぬ叫びを上げたルハジャルカは再び剣を振り下ろす。一度目の斬撃に続き、一切の間断がない追撃。災厄においてはもはや物理法則など関係なしに攻撃を放ってくる。
辛うじて青霧で再び攻撃を受け流したアルスは水面を滑るようにして後退。反撃の隙を窺う。
ルハジャルカは厄介な掠め手は使ってこない。彼の災厄の性質は、安息世界でATとの決戦の際にエプキスの視界を通して把握済みだ。ならば純粋に武力で勝るのみ。
「青雪の撃、『激浪』!」
波を巻き起こす。海上が戦場の舞台であるのならば有効な一打となる。
アルスはルハジャルカへ再接近し、即座に後退。ルハジャルカは目に映る生命全てを砕こうと剣を振るう。その性質を利用する。
『!』
大剣を薙いで世界を揺るがした災厄の攻撃により、アルスの巻き起こした波はより高くへと。高波に青霧を織り交ぜた技……『激浪』。
ルハジャルカの四方より覆い被さるように波が押し寄せる。彼の姿は波に呑まれ見えなくなった。通常の魔物であれば波に含有する青霧により、混沌の力で落命するが……アルスは足を止めず。
「彗嵐の撃──『覇王閃・参』」
迷わず波の中腹へと神気を宿した剣を突き刺した。
剣先が秩序の力に触れる。硬い感触。僅かに見えた波の隙間からは、ルハジャルカの大剣がライルハウトを受け止めている光景が見えた。
「防ぐか……!」
理性がない状態であるにも拘わらず、ルハジャルカの判断力は極めて高い。
本来であれば一撃を命中させることができれば良かった。だが目論見が外れた今、アルスは次の策へ移行する。ちらとルハジャルカの背後に上がる水幕を見る。まだ波は落ち切っていない。
『──!』
強引に神剣を弾いたルハジャルカはアルスへ肉薄。回避が難しい距離で大剣を振り下ろした。
だが災厄に法則が適用されないのならば、共鳴者も同様。もはや距離などという概念はアルスの前に無いに等しい。
身体を瞬時に神気へ分解したアルスは、ルハジャルカとの間合いを失わないように後退。そして落ちゆく彼方の波を見据えた。
「まだ終わりではないぞ」
『覇王閃』。破滅の型の奥義である。
敵の弱点を正確に見抜いた上で受け流しによって蓄積させた威力、そして全霊の魔力を籠めて攻撃を放つ奥義。先程アルスがルハジャルカに対して放った技は『覇王閃・参』。
たしかに一度、強烈な攻撃はルハジャルカの大剣に弾かれた。しかし、
『!?』
飛瀑が落ちると共にルカの背後より現れたのは、追撃の光刃。
アルスが長年の旅の末に編み出した『覇王閃・参』。この妙技は通常の覇王閃を分裂させ、敵の死角より追撃の一閃を出現させる技。
完全に不意を突かれたルハジャルカは腹部に大きな光刃を浴びる。
災厄は怯まない。この程度で命は奪われず、なおもアルスを見据え続けた。
対するアルスはその性質に一縷の希望を見出す。
「『青霧覆滅』」
純粋な青霧を宿しルハジャルカの大剣と神剣を衝突させる。
秩序と混沌の力が拮抗した末、僅かにアルスの力が勝る。だが青霧のただ一つの弱点は長時間持続させられないこと。このまま拮抗させてもやがてアルスが力負けする。
ルハジャルカはなおも叫び声を上げ、アルスの神剣を叩き折らんと力を籠め続ける。これで良い。
アルスの青霧が効果を失う。両者の剣の間に時間が舞い戻り、暴威の刃がアルスの身を裂く……刹那。
「飛雪の秘撃、『対滅』」
約束をアルスは覚えていた。これはアルスとしてではなく、イージアとしてルカと交わした約束だったが。
かつて龍島で『守天』の晴天の試練からの帰還を待っていた時。イージアはルカから二つの技を譲り受けた。一つは破滅の型の最終奥義。もう一つは最終奥義を放つための布石。
自らの破滅を待ち望んだルカが、自らを滅ぼすべく望んだ秘技。
『──?』
『対滅』。其は受け流しの極致。
あらゆる破滅、あらゆる破壊より命を守るための剣。
原理は簡単だ。強力な攻撃を受け流し、相手の攻撃の威力を利用して背後へ回り込むこと。
上方より世界を滅ぼすほどの剛撃を叩き込まれたアルスは、巧みに青霧を利用して攻撃を受け流し身体に速度を蓄積。瞬間的に射出した。比類なきルハジャルカの攻撃はアルスにかえって超常の移動速度を与えたのだ。
回り込んだ先はルハジャルカのさらに上方。両者とも天に浮かび、海面はアルスが立っていた場所だけが異様に薙いでいた。
ルハジャルカはなぜアルスが己の背後に立っているのか理解できていない。いや、理解する理性すらないのだ。
今、この瞬間こそ。アルスが目指した最終的な到達点である。
「破滅の型、最終奥義──」
時間は十分。臆されは不要。
神剣で静かに霞の構えを取り、ただ見据えるはルハジャルカの魂。魔力、戦意、神気、全てを一刀へ収斂させ、清澄たる破滅を剣身に宿す。
宿された蒼の輝きは、物理でも魔術でもない。純然たる破滅である。
蒼輝を宿したアルスの神剣は彼の意志通りに、かつ彼の身体を勝手に運び。ルハジャルカの側方を駆け抜けた。
「──『払暁』」
流れるように、当然のように。最終奥義はルハジャルカの魂を斬り裂いた。
必滅。生あるもの、必ず滅びは訪れる。
明けぬ夜はない。終わらぬ命はない。
『…………見事』
「我が師、ここに超えたり」
邪気が舞い上がる。天へ高く高く、最期まで気高く。ルカの意志が舞い上がる。
いつしか騒乱に包まれた世界の夜が明けようとしていた。
暁を受けながら、アルスは神剣をそっと降ろす。
これにて破滅の型の最終奥義は仕舞い。
「汝、永久の師であれ」
偉大なる師の存在を魂に刻みつけ、アルスは共鳴を解除した。




