91. 無限命
満身創痍、死にかけのシロナへ一閃が迫る。
「彗星の撃──『烈双剣』」
ベロニカの迷いない一撃、邪悪なる魂へ迫る。神気を宿した斬撃は【血姫】の魂を断つ寸前で……静止した。
戦場を支配した絶対的な圧。静寂。ベロニカもシロナも瞬間的に呼吸を忘れ、一拍置いた後に酸素を求めて喘いだ。
「……力が、欲しいか?」
「貴方は……無限龍どの? ここで何を?」
ベロニカは突然現れたイルに困惑する。彼は帝国城へ向かっていたはず。それに問いかけの意味が分からなかった。彼はシロナへ向かって「力が欲しいか」と問いただした。
イルの姿を片目で捉えたシロナは、咄嗟に彼の傍へ走って行く。
「ああ……神様! やっぱり来てくれたのね、薄汚い王族なんかに殺されてなるものですか! ねえ、わたくしを助けてくださる?」
「もちろんだ、哀れな王妃よ。しかし聞いて欲しい。訃報だ。クレメオン皇帝が死んだ」
「っ……!? 嘘、でしょ……?」
彼女はイルの服の裾を掴み、地面へとへたり込んだ。彼女の愛は狂気的でありながら情熱的である。ただ一人愛していた皇帝の訃報を聞き、心が暗幕に閉ざされる。
失意に沈むシロナの耳元へ、イルは優しく語り掛ける。
「だが、まだお前が居る。愛する夫を殺した者たちに復讐してやりたいと思わないか? 誰にも負けない力が欲しいのではないか? このまま皇女と戦っていてもお前は死ぬ」
「はい、はい……! わたくしを助けて、陛下の仇を討たせて! お願い、お願いよ神様……わたくし、死んでも死にきれないわ!」
やがてベロニカは眼前の光景の異常に気付く。味方であるイルが、ここまで親身にシロナと語らうはずがない。彼は裏切り者であったと。
彼女は咄嗟に双剣を構え、足を運ぶが……
「動くな」
ただ一言。イルが命じただけで彼女の身体は静止する。
化け物だ。眼前の男は、今まで見てきたどの生命体よりも化け物である。彼女の心臓が高鳴り、全身から冷汗が噴き出した。
「【血姫】シロナ。お前に加護を贈与する。人、そして血の姫シロナよ。汝に我が加護を授けよう。虚無を輪廻す円環が如く、絶えず流るる清水が如く、生き続ける者となるがいい。贈与……【無限命】」
神聖なる光輪が天より降り注ぐ。神々しい光と共にシロナの身体は天へ。
光は一際強く輝き、西日上がる前の夜闇を照らし出す。まさに神の御業。滔々と神気が彼女の身体へ、魂へと入り込んでゆく。
秩序の神能すらも払拭し、神聖なる神の眷属へ。
光が収まる。やがて地上へ降りたシロナは見るも悍ましい異形へと成り果てていた。美しかった顔には竜の顎のようなものが装着し、全身から生えた翼と棘が痛々しい。目は血走り、人であるのか魔物であるのか……もはや判別はつかない。言うなれば人と竜の合成獣であろうか。
「こ、れは……」
目前で起きた異常事態に、ベロニカの気は動転する。いったいイルは何者なのか。シロナはどうなったのか。
「ァ……ァ……?」
「ああ、美しいぞ妃よ。そうだ、その醜態……じゃなかった。麗姿を見せてくるが良い。無限の命を得たお前は不滅。魂を壊されようが根源を断たれようが、死は訪れない。お前の愛する人を殺した者どもに、同じ苦しみを与えてやるのだ」
「ゥ……ッ!」
シロナに理性は残っていない。僅かに残る憎悪を振り撒き、眼前のイルへ爪牙を振り抜いた。
「おっと、よほど憎いみたいだな。じゃあ、俺がお前を帝国城へ飛ばしてやるよ。まだ城にグッドラックが居るはずだからな……そら」
片手でシロナの腕を受け止めたイル。彼はそのままシロナを掴み、空の彼方へ放り投げた。あちらは城の方角だ。なんという馬鹿力か。
「よし、ここまでか。……ああ、そこにまだ皇女が居たか」
イルの視線を受けてベロニカは身構える。蛇に睨まれた蛙のように彼女の身体は動かない。
命の危機を彼女は悟った。
「早く友を連れて逃げた方がいい。この国はじき、メロア化した【血姫】に滅ぼされるからな」
「貴方は……何者、なんですか?」
「何者。俺はまあ、神だ。お前ら人間がとうに忘れ去った、棄てられし神々の一柱。名を『命神』メア=ルッイ=シヴ。もうすぐ終わる世界だ、せめて友との思い出は作っておけよ。別に俺は人間に恨みがあるわけじゃないし……最後に幸せくらいは作らせてやっていい。それじゃあな」
彼は言い残し、虚空へと消えてゆく。
同時にベロニカは城へ向かって駆け出した。
~・~・~
帝国城で繰り広げられる『世界刃』と『破滅』の戦いは、想像を絶する様相であった。二者は互いに一歩も譲ることなくひたすらに斬り結ぶ。地面が破砕され、空間は異常な魔力によって歪む。
傍から見れば分からないが、この戦いの規模で両者は手加減している。
「ひょええ……ボス、がんばえー……」
シトリーはエキシアに補助を施しつつ、陰から戦いを傍観していた。流石にあの戦いに突っ込むわけにはいかない。
二つの刃が重なり、凄まじい余波が駆け抜けた直後。両者は戦いの手を止めた。
「む」
「おや」
一様に彼らは同じ方角を見る。シトリーには何が起こったのか分からず彼女は困惑する。
「え、え? ボスどうしたの?」
「いや、なんか飛んで来たね」
「うむ。何か良からぬ……神聖ながらも邪悪な気配だ。これは……?」
混沌の力でありながら、感じた気配は肌に纏わりつく邪悪な感覚を感じさせる。特にルカは魔族ということもあり、嫌悪感は一際強いものだ。
気配が飛来してきた方角から一人の少女が走って来る。彼女の顔は青ざめており、ひどく息切れしていた。
「皆さん、大変です!」
「おや……皇女殿下。いかがされました? 貴女には支部で待機してもらっていたはずですが」
「え、ええ……しかし六傑の襲撃があり……って師匠!」
少女……ベロニカは泰然と佇む師匠の姿を見て驚愕する。だが今はそれでころではない。六傑の対処、グッドラックの暗躍、皇帝の暗殺……諸所の問題は些事となった。
イルが生み出した怪物によって。
「ベロニカか。その顔、城に飛来してきた気配の正体を知っているのか?」
「そ、そうですね。順を追って説明します。私が目撃した全てについて……」




