90. 『半神剣士』対『血姫』
玉座の間へと辿り着いたアルスは、息を潜めて出方を窺っていた。玉座には皇帝クレメオンが瞑目して座している。
アルスの手にはセティアから加護を刻印してもらったティアハート。この槍で皇帝を貫き、一撃で仕留める算段だ。周囲に六傑の姿は見られず、制圧は容易。ただし、皇帝を暗殺しながら周囲の人間を一切傷付けないことは難しい。戦意の余波だけで警護の兵士をショック死させてしまう恐れがあるからだ。
(どうしたものか……)
彼が懊悩していると、きっかけが降り注ぐ。
東、極大の魔力反応。壁をぶち破って流星が飛来した。
「セティアの星魔術か?」
轟音と黒煙が上がり兵士たちは狼狽している。流星を侵入者だと思ったのか、一部の兵士が皇帝の傍を離れて壁へと駆け寄って行った。今なら不意を突き、皇帝の暗殺が為せる。思わぬ事態の好転にアルスは感謝しつつ煙に紛れて前進。ティアハートを構え、狙うは皇帝の心臓。
「穿神の王」
一穿。可能な限り周囲に被害を及ぼさず、威力の波及を抑えて投擲する。力を全て一点に集約させ、皇帝の魂魄を打ち砕く。
彼の攻撃は過たず狙いを穿ち……
「ぬうっ……!? 敵襲か……! 傷が治らぬ……」
皇帝の心臓部に空いた穴は、白い粘体によって再生されようとする。しかし星魔術の残滓が治癒を阻害。皇帝の体から魔力が次々と溢れ出し、同時に粘体も床へ流出していく。
「へ、陛下……!?」
「なんだ、この液体は……?」
「か、身体が! 陛下の身体から、触手が!」
兵士たちも皇帝クレメオンの異常に気付き、彼から距離を取る。皇帝の正体が人間でないと明かせれば多少は暗殺の罪過も和らぐ。しかし、まだ終わりではない。
皇帝は血走った眼で周囲を見回し、背から伸びた触手でアルスの隠れる柱を薙ぎ払った。
「其処か、叛徒よ……! 我が威光を揺るがす賊、生きて返さず!」
まだ皇帝は倒れていない。恐るべき生命力だ。
このまま放置していてもいずれは死に至るだろうが、周囲に被害を出さないためにも仕留める必要がある。
「はっ!」
ティアハートを中空で引き戻し自在に操る。アルスが引き寄せた槍は後方から皇帝を貫き、さらにもう一つ風穴を空けた。
「おのれ……『天滅』は何をしておる! 主よ、メアよ! どうか我に更なる力を……!」
「させるものか」
何をしようとしたのかは不明だが、アルスは即座に皇帝の全身を粉砕。不穏な行動に出る前に絶命させる。
これで暗殺は完了だ。未だに狼狽える兵士たちを置き去りにして、彼は壁に空いた穴から離脱。
「あれがエムティングか。星魔術の刻印さえあれば、エムティターと大差ないな。しかし皇帝が最後に呟いたメアとは一体……」
彼が夜闇を駆けて思案に耽っていると、一筋の願いが心に降り注いだ。
今、彼を願う者がどこかに居る。リンヴァルス神の加護を強く願う者が。しかも距離はかなり近い。
「誰が私を望んでいるのか分からないが、良いだろう。私もすぐそちらへ向かう。リンヴァルスの名において、汝に贈与しよう」
~・~・~
半神降臨。
概念神リンヴァルスを身に宿す、リンヴァルス皇族の類稀なる異能。イージアが己の存在をリンヴァルス神であると知覚したことで、彼と繋がりのあるベロニカは常軌を逸する力を得ていた。
彼女の揺るがぬ覚悟に応えるように。
「ああ……あなたの力、素晴らしいわね。努力で得たものなの? とても美しいわ……」
「いいえ、これは我が神より授かりし力。リンヴァルス皇族に伝わる異能です」
「そう。やはり皇族なんて、努力もできないのね。いつだってそうだもの。満ち足りるだけの力や財がある癖に、まだ渇望する。そのくせ自らを磨こうとしない、でしょう?」
「いいえ、否定します。何故なら私は──」
鈍色の光が二筋、世界を駆けた。白刃の衝撃はまさに鉄槌。ベロニカが放った剣閃は支部の壁を両断した。
「私は、武人として強さを求めてきましたから。この強さは正真正銘、私の強さです」
強靭な意志がなければ、半神降臨は機能しない。これまでのベロニカは、十分にリンヴァルス神から加護を受贈できていなかった。
だが彼女が得た「己が夢を切り捨てる」信念は、リンヴァルス神たるアルスと大きく重なるもの。加護の力も共鳴によって大きく増幅する。
「……! ええ、素敵!」
一閃がシロナの腕を掠める。余波だけで彼女の白くやわらかな皮膚は破け、鮮血が飛び散った。
神にも迫るベロニカの力を前にして、されどもシロナは微笑む。
血。
人の命を模る、不可欠な要素。魔族は己が身体を構成する魔力を、神族は神気を自在に操るが……人間は血を操ることなどできない。
ただ一人……【血姫】を除いては。
「愛、憎、落。神能──『紅鞭』」
秩序の神能。破壊神の持つ六つのうち、【放出】の名を冠する神能が発動。
宙を舞う鮮血がくるりと結びつき、一本の線となる。線の数は三十。
「これはっ……!?」
咄嗟に迫った緋色の線を回避するベロニカ。線に触れた服の裾が破ける。
この緋色の線に触れてはならない。【血姫】の神能は血を自在に操り、変形させる能力。周囲を血の線に包囲されたベロニカは、咄嗟に相手の異能を推測する。
(斃れているエアギース様の死体……血が消えていますね。他者の血も変形させられるようです。可能な限り、私も怪我をしてはならないということ)
元より攻撃を受けるつもりはないが、万が一攻撃を受けて出血するとベロニカの血すらも利用される可能性がある。相手にリソースを与えることは避けたい。
「綺麗でも、きっと王族だから中身は汚いのよね。だから……ここで死んで」
赤線が迫る。まさしく命の終焉を告げるデッドライン。
だが、ベロニカは動じない。全神経を集中させ、己が剣を信ずるのみ。
「──飛雪の構え」
双剣を華麗に滑らせ、崩壊しかけた足場で身体を捻って回転。周囲から迫った緋色の線を刀身に這わせて受け流す。流し切れない線は身体を強引に動かし、或いは授かった神気により反射し。なんとしても身体に接着させず。
見事に全ての攻撃を往なし切った。
防御で終わりではない。流しの後に反撃に転じるのが破滅の型。
緋色の線を潤滑油としていっそう速度を激化させたベロニカ。彼女は車輪のように己の身体を軸として縦回転させ、剣身をシロナの──瞳へ。
「きゃっ……!?」
喉元でも心臓部でもない。
血を操る異能を持つ限り、無駄な出血は相手に武器を与えるのみ。ならば視覚を奪って能力を低下させる。シロナの右目に突き刺した剣に神気を流し込み、再生を封じにかかる。
「い、いやっ……熱い! やめてやめて、やめてよおっ……!」
「っ……ごめん、なさい……!」
あまりに残虐な光景にベロニカは目を背けそうになるが、ここは敵前。意識を逸らさずに完全に神気にて目を焼き斬る。己の残虐性に吐き気を催すが、なんとか堪えてシロナから距離を取る。相手は更に残酷な血の姫なのだ。遠慮は要らない。
勝負の趨勢は決まった。シロナはがむしゃらに赤線を振り回すがベロニカは的確に受け流す。遠近感を喪失した敵など、熟練の剣士の敵ではない。
神の加護を受けた刃がまもなく悪しき【血姫】の魂を打ち砕くであろう。
「終わらせます。彗星の撃──『烈双剣』」
──ところで。
生命とは危機的状況において、超常の力を望む。或いは神に祈り、或いは自らを信じ。
されども祈りは無為へ帰し、斃れるのだ。
だがしかし、もしも本物の神が其処に居るのならば。今際の際にある生命は何を願うのだろうか。動物の原理・人間の心理を完全に把握する者はみな、こう答えるだろう。
汚く、醜い生命の欲望を識る者は……
「…………ははっ」
ただ、佇んでいる。黒い鏡のような瞳に生命の欲望を写し。
ただ、佇んでいる。逆巻く憎悪に生命の渇望を感じ。
ただ、嗤っている。
「力が、欲しいか?」
『無限龍』イル。彼は漫然とシロナへ歩み寄り、本質を問うた。
悪魔の甘言は、災禍を巻き起こす。




