86. 暗躍の徒
エキシアとシトリーは西側の堀を進み、塀の隙間から帝国城へ侵入する。エルムの想定通り、西側はやけに人の気配がない。
まもなく皇帝が座する玉座へ届く……と思われた矢先のこと。
「貴様が侵入者か」
「おや……『天滅』どの。先日以来だね」
眼前に立ち塞がった男こそ、最強の六傑……『天滅』のルカ。
先日の皇女奪還の折、エキシアは彼と相対した。正直に言えば、ルカはエキシアよりも上の存在。
「いや、困ったねえ。『天滅』どのは王族用の通路に張っていたと聞いてたんだけど」
「殺気を察知し、一瞬でここまで移動するなど我には容易いことよ。皇帝クレメオンの首を狙わんとする悪漢……我が撃砕してくれよう」
「……なぜ君ほどの強者が、今の乱心中の皇帝に与する? あの皇帝は戦を起こそうとしているのだよ」
エキシアの言葉にルカは何も反応しない。無関心。
彼にとって人の世がどうなろうが、もはや意に介することはないのだ。
「人の世の些事など、もはやどうでもよいこと。災厄でなければ世界を滅ぼすことなどできぬよ。ああ……そうだ。俺にとっては皇帝が巻き起こす戦よりも、俺自身の方が怖いのだ。お前には……分からんだろうな」
「もはや話し合いは無為……か。では戦おう、強き者。白舞台、下がっていてくれ。私はグッドラック首領、いざ尋常に──」
「「勝負!」」
~・~・~
王族用の地下通路を歩くイルは、自らの失策に気付く。
エキシアの気配がない。帝国に与する彼は、この騒動に乗じてエキシアを始末しようとしていたが……
「謀られたか。いつから神算鬼謀は俺の裏切りに気が付いていた? 人の知恵はやはり侮れないか」
彼は常軌を逸する殺意を湛え、通路を進む。
ふと、暗闇の中から気配が現れる。影はグッドラックの者でも、六傑でもなく……
「……ん? 皇帝じゃないか」
「お、おお……主よ! わが、わが妃を見ませんでしたか!? 妃が……わが妻が、宮殿に居ないのです!」
「ふむ……血姫が……」
今の皇帝は妻に全てを依存している。臣下の制止も振り切り、グッドラックが跳梁する城を駆け回っているのだろう。
イルを「主」と呼んだ皇帝は、胡乱な目で周囲を見渡している。彼の不安を払拭するように、イルはゆっくりとした口調で諭す。
「安心しろ、皇帝よ。お前の妻は無事だ。この俺が神の名にかけて約束しよう。お前と、妻の愛が途切れぬ限り……永遠の愛は滅びぬとも」
「あ、ああ……嗚呼! なんと、なんと崇高な御言葉か! 安心いたしました、主よ。どうかわが妃を、シロナをお守りください……!」
「任された。お前は叛徒に殺されぬよう、安全な玉座へ戻るがいい」
皇帝はおぼつかない足取りで通路を戻って行く。アレでも不死性を持つ神の眷属。グッドラックが対策を施したとはいえ、それなりに時間は稼げるだろう。
「そうだな……そろそろ潮時か。帝国は滅ぼしても問題ない。次に向かうか……」
イルは表情ひとつ変えることなく、通路を出て外へと向かった。
~・~・~
「ちょ、アルス君! 早く行って! この排気口臭すぎ!」
「嗅覚の遮断くらいできるだろう? ああ、しかし五月蠅い。君は本当に五月蠅い。誰かに見つかったらどうするんだ?」
一方、セティアと共に行動するアルスはげんなりしていた。
狭い排気口を通り、二人は城内への侵入を試みている。本音を言えば、アルスは一人で行動したかったのだが……自分以外にセティアの馬鹿らしさについていける者は思いつかない。
強いて言えばエルムが彼女の扱いに慣れていたものの、きっとセティアはエルムの足手まといになる。
「できればさ、そうやって這って行く間に煤をぜんぶ吸収してもらえると……後に続くぼくが汚れなくて済むんだよね。わかる、わかる?」
「わからない。そろそろ下へ出られるみたいだ。たしかこの下は厨房だったな」
アルスは隙間から光が漏れる下方を覗き込み、誰も居ないことを確認。鉄格子を外して厨房へ着地した。
続いて真上から降ってくるセティアを回避し、周囲を警戒。敵影なし。
「ちょ、いたっ! そこは受け止めるべきだよね」
「見つからないように皇帝の下へ急ぐぞ。ルカ師匠の居場所は……西側か。ボスと相対している内に皇帝の暗殺を済ませてしまおう」
この城の中で、凄まじく強い闘気が一つ。ルカのものに違いない。
彼と相対したが最後、皇帝の暗殺は失敗に終わると思っていいだろう。
強引にセティアを引っ張り、彼は玉座へと急いだ。
そして城のテラスへと辿り着き、皇帝に限りなく近づく。
「まもなく玉座だ。準備はいいか?」
「おっけいぶち抜き。なんならここから槍をぶっ放して壁ごと貫いても……って、危ない」
セティアがドヤ顔で槍を構えた直後、銀色の線が走った。
きわめて精緻で、無駄のない──斬撃。暗闇でなければ、その剣閃を目で追うことすらできなかっただろう。
セティアは無事に奇襲攻撃を躱し……
「あ」
「あ」
首が落ちた。セティアの首はごろりと地に落ち、神気となって霧散する。
一秒後に蘇生したが。
「こ、このぼくに攻撃を当てるとは……やりおる!」
「こ、この僕が気配を察知できぬとは……何奴!」
アルス、セティア共に攻撃の予兆は感知できなかった。それどころか殺気すらも掴むことができなかった。見事な技の冴え。
斬撃の主は、暗闇から姿を現す。
「神族……厄介な手合いです。しかし、我が秘奥は不死をも断つ。問題ありません」
「いや、ぼく普通に蘇生できたけど。不死断たれてないんだけど?」
「……これから断つと言う話です。私が貴方の種族を人間だと見誤っただけのこと」
闇夜に溶ける黒髪と、黒き瞳の少女。
やはり気配がない。一切の気配を放たず、少女は二刀を構えて佇んでいた。全ての気が無に収斂された謎の少女にアルスは問いかける。
「で、君の名前は?」
「冥土の土産に、ひとつ忌名を。私は六傑が一、『鬼凶』アナベルト・シルバミネ。死を運ぶ者」
「し、しるばみね……!?」
セティアは彼女の名を聞いた瞬間、戦慄して後退る。
この阿呆が警戒するなど、相当な強者に違いない。
「アナベルト・シルバミネ……セティア、彼女はいったい何者なんだ?」
「えっと……よく分かんない。なんだっけ、シルバミネ家って……はちみつ屋だっけ?」
「いえ、殺し屋です」
「ああそうそう! 世界最強の殺し屋の一門だったね。そうそう」
アルスはあまりに適当すぎるセティアの記憶に呆れてしまう。或いは、こうしてふざけた言動を取ることで相手を油断させているのかもしれない。
彼女は自信満々に一歩踏み込み、暗闇の中で槍を掲げた。
「アルス君! ここはぼくに任せて先に行け!」
「……大丈夫か?」
「うん」
セティアの実力に関してだけは、それなりに信頼できる。きっと信頼できる。
一刻も早く皇帝を討つべく、アルスは先へ進んで疾走。アナベルトの横を駆け抜ける。
「──逃がすとでも?」
やはり速い。そして、異常なまでに斬撃の気配がない。
戦意を極限まで高めるアルスとは対照的に、彼女は極限まで気を遮断しているのだ。風のように過ぎた無数の斬撃が、アルスの全身を斬り刻む。
「残像だ。僕の方が少し上手だったね」
「っ……!」
だが、彼女の動きを既にアルスは捕捉していた。気配がないのならば、常に注視しておけばいい。接敵と同時、アルスは彼女から一度たりとも目を逸らすことはなかった。紙一重で残像を作り出して攻撃を回避した彼は、先へと進む。本当に紙一重の回避で、アナベルトは限りなくアルスに実力が近いようだ。本当にセティアだけで相手が務まるだろうか。
追撃に足を運ぼうとするアナベルトだったが、背後から狂槍が接近。
「ぼくから目を離さないで♡ ぶち抜くぞ♡」
「瞬時に貴方を排除し、追撃に向かいます。斬り捨て御免」
「ぼく、斬ると増えるよ」
「……なんだこいつ」
アナベルトは得体の知れぬ槍使いを相手に、二刀を振り抜いた。




