85. 『神算鬼謀』対『畜謀』
戦いの幕が上がると同時、先に動いたのはエルム。周囲には無数の帝国兵。最も警戒すべきは六傑であるメイウだが、周囲の帝国兵も精鋭に違いない。
無策で城へ突っ込む『神算鬼謀』ではない。
予め帝国城の構造を把握し、熱眼を駆使して大まかな戦力の配置も確認した。故に、この場における最適解を。
「巻き起こせ──紅剣」
抜刀と同時に駆け抜けた熱風。
天より煌々とした赤色の光が降り注ぐ。ただひとりエルムを除き、庭園で伏せていた帝国兵たちが天を見上げた。
「…………」
メイウは夜闇に輝く光を見上げた瞬間、咄嗟に魔力を展開。
"空に山のように大きな剣が浮いている"。事実だけを説明するならば、このように説明されるだろう。紅の大剣が、天空より庭園へ向かって落下して来ているのだ。凄まじい灼炎を伴って。
「う、うわああ……!? なんだアレ!?」
「で、でかすぎる……」
このまま落下すれば、戦いどころではない。城ごと吹き飛ぶ。
正気の沙汰とは思えぬエルムの攻撃に、メイウは動揺しつつも冷静に対処。力を限界まで高め、結界を展開。全力で大剣を受け止める。
「っ……! 結界を展開できる魔導士はここに居ない。これが狙いですか……!」
敵戦力を把握した上での、自らをも犠牲にしかねない一手。常軌を逸した胆力を持つ紅蓮の剣士は、大きな隙を晒すメイウへと迫っていた。
「城を守りながらじゃ、お前は反撃できない。周囲の帝国兵も反応できない。その命、貰い受ける」
神算鬼謀、想定通りの筋書き。このままメイウは剣に刺し貫かれ、斃れる。
エルムが巡らせた策の軌道に乗れば、勝利は間違いなかった。
──相手が『軍師』メイウでなければ。
「なるほど。では、こうしましょう」
「!?」
メイウは結界を解除し、剣を止める役割を放棄する。軍師の無情を知らぬが故の、エルムの失策。
彼女は帝国兵など捨て駒としか考えていない。大剣が城に刺さり崩壊しても、どれだけ兵が死んでも、知らぬ存ぜぬ。畜生が如き策謀こそが、軍師メイウの本懐であった。
結界を展開していたことによる隙が消える。メイウは勝ち誇った笑みを浮かべ、眼下に迫るエルムを睥睨する。
彼女の鋭い眼光を捉えた瞬間、エルムは過去の出来事を想起した。
~・~・~
信じるな。決して人を信じるな。
人とは醜い生き物なのだから。
先祖代々の訓戒である。
エルムの家系は、騎士の家系であった。先祖はそれなりに有名な騎士。
復讐の女英雄、エリーザ・マベスの家系。エンミルル出身の騎士であり、圧政を敷く帝国へ反旗を翻した英傑。戦いの最中に恋人を殺され、やがて彼女も自殺する。一人の子を遺して。
残された子は帝国へ復讐を誓い、恨み節を吐いて生き続けたが……代を重ねる度に妄執は薄れ、「人間を信用してはいけない」という訓戒のみが残った。それこそがエルムの家系である。マベスの家系はもはや血の匂いとは無縁の血筋となっていた。
「……」
だが、一人だけ。異端な者があった。
生まれた瞬間から赤子として泣き声を上げず、歳を重ねても感情を露にしない。
その子供は、いわば『呪い』であった。
人格が二つ。生まれた時から、よく分からない『憎悪』をその子は抱えていた。
無垢な子供の純情を食い破り、根源も掴めぬ憎悪が心に渦巻いている。周囲はたいそう子を気味悪がり、親でさえも子を軽蔑した。不気味だ、得体の知れぬ。罵声を受けながら子は育っていった。
「……ああ、そうか」
成長した子は、自らの憎悪の正体を知る。
自らの先祖、エリーザ。彼女の憎悪が自分に植え付けられているのだと。どうあっても人を信用できぬ、どうあっても心から笑えぬ。どうあっても、自分が好きになれぬ。
自らの人生を閉じ込める障害は、先祖が遺した呪い。恋人を奪われ、故郷を焼き払われたエリーザは人を恨み続け……呪術となった。
異能、【熱眼】は呪術である。先祖が遺した呪いが発現したものだ。
~・~・~
英雄エリーザ・マベスの出立は、寒村から始まった。帝国の圧政に反乱を起こしたのは、彼女本人ではない。
正確に言えば彼女の恋人である騎士が、叛逆を企てた筆頭。
出立より打倒帝国の間近に至るまで、彼女には一人の親友があった。
名をメイウ。エリーザと同年代の女性であり、頼れる魔導士。彼女の叡智は時に帝国軍を退け、時に難路を切り拓いた。メイウの助力がなければ、エリーザの恋人が率いる反乱軍は呆気なく潰されていただろう。
しかし、裏切りは唐突に。
メイウは帝国に寝返り、エリーザの恋人を殺めた。後に伝わる、卑劣軍師メイウの誕生である。エリーザは敗走し、恋人を殺された憎悪を糧として再び反乱軍を結成。
苦闘の果てに恋人の仇であるメイウを討ち、エリーザは国を圧政から解放した英雄となる。
だが、彼女の心は癒えることなく……最終的に自ら命を断った。
彼女が首から血を流しながら、最期に思い出した光景。
炎の中でもがき苦しむ恋人の姿。メイウの策により反乱軍は火の海に包まれ、多くの命が失われた。炎熱の中で朽ち果てる恋人と、高らかに嗤うかつての友。
エリーザの憎悪は、死の間際に最大限まで膨れ上がったのだ。
~・~・~
「もう、逃がさない」
メイウと瞳が交差した瞬間、エルムの中で激情が弾けた。眼前の女は英霊である。帝国軍に召喚された、エリーザの憎悪の対象そのもの。二つの人格のうち、一つがどうしようもなく暴走してしまう。
呪いとして末裔に宿った憎悪が爆発する。もう二度と、あの熱の中で標的を逃がすまいと……発現した異能こそが【熱眼】である。
「終わりです、叛徒。潔く死になさい」
天より巨大な剣が降り注ぐ。このまま地面に衝突すれば、城の一角が吹き飛ぶ。
エルムは剣を止める術を持っている。ただし剣を停止させるということは、大きな隙を晒すことと同義。命を使い捨ての駒として見るメイウは、剣の落下など歯牙にもかけず──迫るエルムを屠らんと魔術を展開。
対して、エルムは剣を止めなければ、城の中に居るグッドラックの仲間の命まで失ってしまうことになる。
「起動しろ、【熱眼】」
メイウとの衝突と、剣の停止。
──同時に行ってしまえば良いではないか。常人には不可能だ。メイウ自身も、並行しての行動はエルムには不可能だと断じている。
だが、今のエルムは「エルムではない」。呪術として宿ったエリーザの憎悪がエルムの人格を凌駕している。即ち、女英雄エリーザそのもの。疑似的な英霊。
「さようなら、聡明なる者よ」
メイウが迷うことなく魔刃を振り下ろす。
彼女の攻撃を躱しても巨大な剣で死に、剣を止めれば彼女の攻撃で死ぬ。
「死ぬのは、お前だ。熱眼解放──異能爆散」
エルムの瞳が赤色に爆ぜる。
今、呪いを解き放つ。熱眼を自らから切り離し、射出。呪力による熱の一閃がメイウの胸を貫いた。通常の異能は、己の体から切り離すことなど不可能。だがエルムの其は異能に見せかけた、単なる呪術。呪力の塊なのだ。
エリーザの怨嗟がメイウを貫くと同時、エルム本来の人格が呼び起こされる。
憎悪を射出し自我を取り戻したエルムは、咄嗟に身体を動かす。魔力を繰り、自らが落とした巨大な剣を分解していく。
「かはっ……!? なんです、これは……! 傷が、塞がらない……!?」
不死性を持つ英霊といえど、魂を呪術で蝕まれれば死に至る。
エルムは剣を魔力へと分解しながら、苦悶の表情を浮かべるメイウを見上げた。
「熱いだろ? ……ずっとボクを蝕み続けた、ご先祖様の憎悪だ。なあメイウ、どうしてお前は……私を裏切った? あの人を殺した?」
「な、何を……? 待て、これは呪術……? だが、私をここまで燃やせる憎悪など……」
エルムの真紅の瞳が、猜疑と憎悪を湛えて自らを見上げている。
メイウは紅の瞳を覗いた瞬間──
「まさか……あなたは……」
「あの時と同じように、地獄へ落ちろ。お前が何度英霊として蘇ろうとも、私が必ずお前を焼き殺す」
「──なるほど、因果応報……です、か……。私はただ……ええ、そう……名誉欲しさに……裏切ったのです。謝罪はしませんよ、エリーザ……」
魔力の粒子となってメイウは消滅する。また、エルムの手によって地上に迫っていた巨大な剣も消滅。
時間にしておよそ二分。本当に短く、苛烈な戦いだった。
「っ……クソ、消耗が大きいな……それにこの感覚は……」
【熱眼】が消えた。
異能……いや、呪いの消失。エルムは『神算鬼謀』たる所以を失った。精神を蝕んでいたエリーザの憎悪も消え去ったようだ。
それでも、争いを止めるために。
グッドラックの一員としてエルムは動き続ける。




