84. 火花
エルムは慎重に己の経路を進んでいた。
帝国城の崖をよじ登り、塀に穴を開けて内部へ。エルムと共に侵入する手筈となっていたシトリーは、ここに居ない。
「…………」
敵影なし。静寂に満ちた城。いや、グッドラックが暴れていると言うのに、あまりに警備が薄すぎる。
帝国城の庭園へ差し掛かった頃、エルムは息を潜めて『熱眼』を起動。
やはり、敵が潜んでいる。庭園のそこら中に熱を持つ者を感知した。
内通者の情報により、今宵グッドラックが侵入を行うと知ったのだろう。これ以上踏み出せば、もはや陰伏は不可能である。そこでエルムは意を決して先へ往くことにした。
「『紅蓮牢獄』」
炎の渦を生成し、庭園の中心に二つの壁を作り出す。
炎壁は真っ直ぐに、庭園の奥へ奥へ……皇帝が住まう宮殿へ伸びていく。他者を遮断する炎の壁。多少強引だが、このまま先へと突っ走る。
魔力で速度を強化し、エルムは炎の渦の中をひた走る。自らの術で焼け死ぬほど、阿保な真似はしない。炎壁の外部から帝国兵の慌てふためく声が聞こえるが、悲鳴を歯牙にもかけず……ひたすら奥へ奥へ。
そして庭園を抜け、渡り廊下へ至った時。
「──勝手はそこまで。諦めて投降しなさい」
通路の先に、一人の女性と、無数の帝国兵が待ち伏せていた。庭園の兵すらも囮だったということ。
「よお、お前が『畜謀』メイウだな? やっぱりここはお前が張っていると思ったぜ。それに……間違いない。──お前、英霊か」
「ほう、なぜ分かったのです?」
「少し……お前に恨みがあってな。まあいいや。ここでお前と出会えてすごく不快だ」
エルムは目を伏せながら悪態を吐く。
自らの中で何かが高まっていくのを感じながら。
「……一人ですか?」
「どうしてそんな質問を? まさかボクが一人で来るのが意外だったとか? それとも……二人で来ると思っていたのかな?」
「……どちらにせよ問題はありません。貴方は策に嵌ったのですから」
帝国軍師と、グッドラック参謀の相対。
二者の相克は、まだ始まってすらいない。互いに腹の内を探り、これより相手の真意を見抜く戦いが始まるのだ。
「──策の内で踊ってるのはお前じゃないか、軍師殿? 帝国が六傑を配置しているのは、この大庭園の廊下、東側の排気口、王族用の地下通路。その三つだろ?」
「…………」
「東側の排気口には『変態』と女史、王族用の地下通路にはボスが向かったぜ」
「さあ、どうでしょうね。みすみす情報を流すほど私は馬鹿ではありませんので」
エルムには分かる。断言はできないが、メイウは真実を言い当てられた。
これは長年人を疑い続けてきたエルムの直感である。
「残念ながら、前言撤回する。王族用の地下通路にボスは向かっていない」
「……!」
「そこへ向かったのは無限龍ただ一人。ボスは西側の堀から侵入している。今ごろ無限龍は居もしないボスを追って、血眼になっているだろうよ。もちろん、そこに配置された六傑もな?」
裏切り者は、エキシアではない。
『無限龍』イルである。エルムは内通者である彼に虚偽の情報を流し、メイウを欺いた。敵を欺くには味方から。全てを信用しないが故の奇策である。
「なるほど、見事なものです。なぜ彼の御方が内通者であると気が付いたのかは分かりませんが、大した慧眼であると褒め称えておきましょう。しかし、その上で私は哀れみます。たしかに『天滅』は王族用の通路に配置しました。しかし、アレは距離で縛れる存在ではない。もしも陛下に近付く不届き者があれば、瞬く間に移動して叛徒を討つでしょう」
「まあ、ボスがそこまで弱い男だったらな。それに今のボスには白舞台の補助もある。この駆け引き、とりあえずボクが僅かにリードだ」
「……ええ、構いませんよ。駆け引きなど、力で圧し潰されるもの。ここで貴方を倒し、すぐに他の六傑の補助へ向かいます。ここからは知略ではなく実力で薙ぎ払うまで」
両者の策が導き出す結論は、未だ観測できず。
策謀に続き、火花が散る。
~・~・~
その頃、宮殿では。
「皇后様、失礼いたします」
皇帝クレメオンが溺愛する妻、シロナの下へエアギースは訪れた。
先代の皇后は死去し、直後に皇帝はシロナを妻として迎え入れた。皇帝曰く、彼女こそが亡き妻の生まれ変わりであるのだと言う。似ているのは髪色くらいなもので、性格も年齢もまるで違う。馬鹿馬鹿しいと周囲は思いながらも、狂気に陥った皇帝を諫められずにいる。
「ああ……私の子。ふふ……どうしましたか?」
「チッ……貴様の子などと……」
エアギースは聞こえないように悪態を吐きつつ、笑顔でシロナに歩み寄る。
「今、叛徒どもが父上の命を狙っているそうです。今宵は襲撃に備え、父上は護衛と共に玉座へいらっしゃいますが……皇后様の命も狙われる可能性があります。一旦この場を離れられては?」
「あら、ふふ……親想いな良い子ね? でも……逃げると言ってもどこへ?」
「……聞けば、貴女は吸血の異能をお持ちだとか?」
「あらあら、どこで聞いたのかしら? ええ、そうよ。足りないの、まだ足りないの。どれだけ血を浴びても浴びても妬ましい、羨ましい。エアギースは私を満ち足りる場所へ連れて行ってくれるの?」
吸血の異能。シロナは人を殺める快楽殺人者であると囁かれている。聞くだけでも悍ましい代物だが、エアギースは嫌悪をおくびにも出さない。
今はこの化け物を城から遠ざけ、皇帝をさらに狂わせる。エアギースとしても、早いところあの愚王には死んでもらわねば困るのだ。表立って父へ反発できないのならば、騒動を利用して殺すのみ。今回の襲撃を利用し、皇帝の勢力もグッドラックの勢力も潰す。
「ええ、危機が過ぎ去るまでの遊興と参りましょう。城へ戻る頃には、叛徒供は捕らえられているでしょう。たまには親子の親睦を深めるのもいいものです。私も皇后様……いいえ、母上のことはあまり知らず、これからよい関係を築きたいと思っていたので」
「まあ……まあ……嬉しい! ねえエアギース、私は今まで幸せに子供と過ごしたことがないのよ? こうして皇族として過ごせるなんで、なんて満ち足りるのかしら? ああ、でも……まだ何かが足りないわ……」
(──汚らわしい。この売女が皇族などと、帝国の恥だ。まあ良い……あと少しの辛抱だ。間も無くこの化け物は死に、帝国は私のものになる。父上を排除すれば、後は兄上を排すのみ……あと少しで帝国はより繁栄を迎えるのだ……)
エアギースはシロナの手を取り、ひっそりと帝国城から抜け出した。




