表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
共鳴アヴェンジホワイト  作者: 朝露ココア
2章 アルス・ロンド
46/581

43. ナニラ・ホワイト

 ディオネ王国では珍しくもない曇天。

 煙の様に重く、陽を遮る暗幕は陰鬱に人々の心を包み込んでいた。


「お母さん……ここにいて大丈夫かな?」


 水色の瞳を伏せながら、憂いを帯びて母に寄り添う少女が一人。


「ええ、ここは安全だから心配しないで。お城に向かってる悪い人は、お父さんが倒してくれるわ」


「うん……」


 鳴り響く警報の音が大気を劈く。

 人々は皆家に篭っているのか、外は異常なまでの静寂に満ちていた。


「……雨、降ってきたよ」


「そうね……この雨で悪い人が帰ってくれれば良いのにね」


 ふと、マリーは兄の話を思い出した。

 たしか、兄が神域で魔王と遭遇した時も雨が降っていたらしい。

 きっと天神様が雨を降らせて守ってくれているのだろう……そんな想いに縋りながら彼女は窓の外を眺めた。


 雨粒が窓から見える景色を歪ませた。


              ----------


 十数分後。


「──マリー、逃げるわよ!」


 唐突に、響き渡った母の叫び声。

 全く聞いたことのない怒鳴りつける様な声色に、私の身体はびくりと揺れた。


「……え、どうしたの?」


「狂刃がこっちに来たの! 進路が変わって! さ、早く!」


 ──どうして。


 いいや、今は考えている場合じゃない。


「う、うん!」


 がたつく足を動かして、お母さんの手を取る。

 外へ出ると、この報せを聞いたのか周りの人々も逃げる準備をしていた。


「ナニラさん、マリーちゃん! 皆で逃げましょう、車に乗って!」


 隣のライマ夫妻がこちらへ向かって来る。

 彼らもまた準備が出来ているようだった。


「はい、ありがとうございます!」


 魔導車に乗り込み、発車する。

 ライマ主人が操縦席に乗り込み、報道されている狂刃の進路とは逆方向へ。他の人々も、まとまって逃げ出しつつある。


 これで、きっと大丈夫。


              ----------


 ──ああ、雨が降ってきた。


 どうして天はいつも僕の道を阻むのだろう。

 魔王の時も、今回も。


「はぁ……もっと、早く……!」


 体力の問題ではなく、魔力の問題で息を切らしてしまう。師匠の訓練に耐えて、成長した筈だ。

 ……それなのに、


「急げよ……!」


 まだ遅い。

 自分の遅さにイラつく。


『狂刃がゼロントに向かったそうだ』


 やっとの思いで王城に辿り着いた時、騎士から告げられた残酷な事実。

 過酷な現実が、心の奥底に過った悲劇が、何よりも目の当たりにしたくない恐怖が、昏き矢となって魂を抉る。


 本心を言えば、怖い。

 こうして魔元帥の元へと近づいて行くことが。

 かつて神域で見た魔王とは圧倒的な力の差を感じた。無論、僕だって成長したけど……それを分かっていても、身体は震えてしまう。


「それでも……」


 守らなければならない。

 今、あの地に警備は居ない。

 なぜ王城に向かっていた狂刃は突然進路を変えた?

 それとも元からゼロント領に向かうつもりだったのか?


 分からない。

 でも、


 僕は、アルス・ホワイトだ。

 この国の英雄の末裔だ。

 聖騎士『蒼輝』ヘクサムの息子だ。


 だから、進め。


              ----------


 死。

 それは救済。

 万象を苦悶から解き放つ安寧。


「……スフィルの血は、此方か。複数……二つ……三つ、ある。どうでも良い……全て斬り伏せる。抗えねば、我が刃を折れねば……それまでの事……!」


 死の権化は、黒き刃をその手に迫っていた。

 

 彼は願った。

 その身を砕く力を。

 彼は望んだ。

 死を与え続ける狂った己に、死を。


「スフィル……嗚呼スフィル……ッッ!!!」


 化物の絶叫が響き渡る。

 近づく生者を虐殺し、掌で命を転がして。


「そこにも……命……!」


「ひっ……!」


 ガサと音を立てて揺れた茂み。

 狂刃は剣を振り下ろし、物言わぬ肉塊が出来上がる。もはや彼は止めようもない暴威と化していた。


              ----------


 雨音が響く静かな街道に、いくつもの魔導車が走り、無機質な起動音が鳴る。


「流石に狂刃も魔導車には追いつけないでしょう。早く王城で安心したいものですね」


 ライマ夫人が隣に座るお母さんに語りかける。


「ええ……本当に。緊急時の避難準備をしておくことは大切ですね。これからは……」


 ──ガタン。

 車が、揺れた。お母さんの言葉が遮られる。

 

「あら、どうしたのかしら……」


 ライマ夫人は車が止まった異変を確認する為に、外へ出る。

 私は背も小さく、座ったままでは少し外の様子は見にくかったけれど、かろうじて景色の断片は見て取れた。

 けれど、それだけではよく分からなかった。


「う、うわぁあーーーーっ!」


 ……叫び声?

 どうして、そんなものが聞こえるの?


「……お母さん?」


 視線を上げ、お母さんの顔を見る。


 ──その表情は、さっき私を連れ出した時よりもずっと……ずっと、


「……マリー。外から見えないように、しゃがんでいなさい。絶対に……絶対に、外に出ちゃいけないわよ。お母さんはちょっと外を見てくるわ」


 ……どうして?

 どうして、お母さんは私を抱きしめるの?


「お母さん……どうしたの?」


 いいや、本当は心のどこかで分かってる。

 きっと、車の外には見たくもない絶望が広がっているんだ。


「嫌だよ……私、お母さんと……一緒に」


「ダメよ……それは出来ないの。……いい、マリー? あなたはいい子よ。可愛くて、賢くて、お母さんの自慢の子。だから、ここでじっと待つ我慢くらいはできるわね?」


「きゃぁああーっ! だれが、だれかたすけ……」


 『だれか』の叫び声が聞こえる。


 ……あ、死が、そこにある。


「マリー、お母さんはあなたを愛してる。もちろん、お父さんやお兄ちゃんもね。……だから、あなたには幸せになってほしいの。きっと、どんなに辛い事があっても……お父さんやお兄ちゃんが助けてくれる」


 私は家族みんなと居れば幸せだよ……!

 ……そう、言葉にしようとした。


 けれど、そんな短くて、率直な感情すらも音にできなくて。


「きっと、もうすぐお父さんが来てくれるわ。……だから、約束よ。ここでじっとしててね。必ず……必ず、あなたは助けるから」


 ふっ……と。私の周りからぬくもりが消える。

 雨のじめついた空気が、私にまとわりついた。

 

 母の扉を開ける一つ一つの動作の音が、凄く長くて、凄く遠くて。


 ──もう、きっと追いつけないんだ。


「行かないで……」


 掠れた声が、魂の悲鳴の音を成して零れる。


「………………」


 扉を閉めるとき、見えたお母さんの顔は──


 穏やかに、微笑んでいた。



 バタン。

 閉まった。

 その音が隔ててしまうのは、空間だけじゃない。

 心さえも、隔ててしまうのだろう。


 永遠に?


「ぁ……」


 私は、良い子じゃない。

 ごめんなさい。ごめんなさい。

 だって、永遠に別れるなんて。私には耐えられない。

 たとえこの扉の先にどんな地獄があっても。

 私は、この扉を開ける。


 その決断を後悔してしまうかもしれないけど。


「うっ……」


 扉を開け放つ。

 鉄の臭い、死の臭い。

 どこまでも広がる鮮血の海。


「……ああ、スフィルの血よ……!」


 悍しい声。

 死人の様に血が抜けて真っ白な肌。不気味に光る狂気的な眼光。携えるは巨大な黒き大剣。


 そして、その足元には──


「……ぁ……おかあ、さ……」


 どんな地獄があったとしても。

 つい先刻の覚悟を、決意を嘲笑うかの様に……その光景は私の心を絶望に染め上げた。


「見つけたぞ、スフィルの血……! さあ、剣を取れ、取れ、取れぬか!? 取らぬのならば斬り伏せる! 嗚呼、呪うぞ平和の世!」


 その化物……狂刃は足を一歩踏み出し、動かないお母さんの身体から流れ出る血溜まりを踏み躙る。


 私は、お母さんと一緒に居る為に約束を破ったのに。

 私は、幸せになる為に悪い子になったのに。


「もう……いいよ……」


 希望の欠片も見出せない。

 絶望に呑まれ、もはや諦めた。


 もういい、これは事故だ。

 ……そう、私とお母さんは事故で死んだのだ。


「おのれ……! おのれ、愚神ドモが! 闘わずして何が英雄かッ! ……俺は、俺はまだっ……! すまない……オズ……許してくれッ……!」


 ──刃が迫る。

 救済()は、一寸先だ。


「ぬっ……!?」


 ……けれど。

 それは、叶わなかった。

 ──いいえ、護られた。


「俺の娘に、手を出すなよクソ野郎……!」


 その刃を受け止めたのは白銀の剣。

 絶望に生まる筈の無かった、一縷の希望。


 何度も見てきた大きな背中は、今はいつもより大きく見えた。


「……おとう、さん」


「マリー、下がっていろ……! お母さんの、ナニラの仇はこの俺がっ!」


 怒り狂う蒼輝が、狂刃に牙を剥いた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ