74. 帝国六傑
湿った熱風が肌を撫でた。
通路の扉を開け放つと同時、アルスは宵闇に紛れて身を滑らせる。左右から迫った熱線を回避し、状況を確認。
四名、通路の入り口を囲むように人間が立っている。
「はっ! やはり侵入者があったか! 貴様、皇女はどこだ?」
四人を統率していると思わしき男が歩み寄って来る。
暗がりの中で気配を丹念に探り、アルスは敵の情報を分析。男女二名ずつ。剣士、魔導士、無手が二名。
エルムとリーシスは折を見て通路から抜け出し、脱出させる予定だ。その為にはアルスが彼らの退路を作らねばならない。
「…………」
上等な服を身に纏う帯剣した男がアルスとの距離を縮めて向かって来る。他三名は様子を見ているようだ。
一定の距離を保って男は立ち止まり、通路を塞ぐアルスを見る。
「貴様、グッドラックだな。私はグラン帝国第三皇子、エアギース・アズル・グランネス。六傑が一、『獄剣』の称号を与る者である。諦めるが良い、貴様を取り囲んでいるのはみな六傑。勝ち目は無い」
「情報提供、感謝する」
「チッ……皇女は後ろの通路か? 扉を開けろ」
「断る」
自らの勝利を確信しているが故に、エアギースは情報をペラペラと喋ってくれた。たしかに常人であればこの状況からの生還は無理に等しい。
しかし、アルスならば全員を討伐することは不可能でも、退路を作ることくらいは可能だろう。
「では、力で押し通るのみ。退け、悪賊が」
抜剣、居合の一太刀。エアギースは六傑の名に違わぬ剣閃を見せつけた。
アルスは迫った剣を流水が如く往なし、一歩踏み込む。僅かな戦意を滾らせて敵の姿勢を崩すと共に、暴風を巻き起こす。
「──今だ!」
合図を出す。同時、通路の扉が開き中からエルムが飛び出した。
エルムに続く皇女の姿を見とがめた背後の六傑は、二人の離脱を阻止しようと足を運ぶが……
「青霧覆滅」
青霧が六傑たちの行く手を阻み、エルムとリーシスの退路を作る。
「変態、頼むぞ!」
エルムとて、アルスが無事に生還できる……等という楽観的な考えは持っていない。それはそれとして、彼に戦闘を任せるのが最小限の犠牲で済む最善策。
彼らはこの策を決めた時、既に迷いを断ち切っていたのだ。
「なんだ……この技は……先の受け流しと言い、貴様只者ではないな?」
「只者ではない、と言えばそうだろうね。僕はグッドラックなのだから」
「……まあ良い。皇女は後々取り返せばいいだけだ。『鬼凶』の手にかかれば発見は容易い」
「『鬼凶』と言うのは、後ろに居る三人の内の誰かのことかな?」
六傑について、アルスは詳しく調べた訳ではない。まさかここで一斉に遭遇するとは思っていなかったからだ。六花の魔将に比べれば可愛いものだろうが、油断はできない。
エアギースはなおも勝利を確信している様子で不敵に笑う。
「良いだろう、その強さに敬意を示して名乗りを上げさせてやろう。六傑の内、『天滅』と『鬼凶』は都市部で暴れてるグッドラックの鎮圧に向かっている。では……」
エアギースの指令に合わせて、他の三名が進み出る。
最初に名乗ったのは、厳つい人相で無手の男。
「六傑が一、『羅貌』ギーツ・ジベット」
次に、魔導士の女性。
「グラン帝国宰相の座を与っております、『畜謀』のメイウと申します。以後お見知りおきを。……とは言いましても、貴方はここで死ぬのですが」
最後につかみどころのない、美人の少女。
「『人握』のネモです。ええ、まあ……特に言うことはないけど、見事なお点前ですね。グッドラックの一員とはいえ、見事な武芸でした、はい。あー……早くネモタウンに帰りたい」
全員の情報を頭に叩き込む。アルスはここで倒れるつもりは毛頭ない。
これからの戦闘で相手の能力を可能な限り看破し、今後の糧とする。名を覚え、術を見極め、戦争を防ぐのだ。
「先も名乗ったが、私が『獄剣』のエアギース。これより処刑を執り行う。名も知らぬ悪逆の徒よ、帝国に反旗を翻したこと……あの世で後悔するが良い」
「……なるほど、把握した。君たちの名は全て覚えた。安心してくれ、命までは奪わない」
窮地に陥ったかのように思われたアルスは、一歩踏み込む。
眼前に立つ四人は未だ知らない。この男こそ、全てを薙ぐ怪物であると。
「我が身に宿れ──『不敗の王』」
~・~・~
作戦開始時の予定通り、皇女と共に支部の一つへ到着したエルム。
支部内は静寂に包まれていた。
「まだ陽動は続いているようですね。皇女を救出した旨はボスに伝えたので、そのうち皆帰って来ると思いますが……」
「しかし、驚きました。エルゼア様がグッドラックの一員だったとは……」
「はは……申し訳ありません。アルスの奴は特例で手伝ってくれているだけなので、あまり信用を落とされぬよう」
アルスの名を聞いた途端、リーシスの表情は曇る。
彼は無事だろうかと心配しているのはリーシスだけではない、もちろんエルムも心配している。しかし二人の間には価値観の相違があった。
「アイツを置いて行くのが最善策でした。……まあ、殿下が誘拐されなければあんな事態にも陥らなかったのですが、仕方ないものは仕方ない。無事を祈るのみです」
エルムは最善策であれば、それを素直に受け入れる。たとえ大切な友が犠牲になろうとも。
一方でベロニカは未だに負い目を感じていた。
「……私の所為です。ですが私は無力、知略など欠片も持ち合わせてはおりません。ああなってしまった以上は、ええ、本当に……エルゼア様の言う通りに無事を祈るしかないのでしょうね」
彼らのアルスに対する価値観は、未だに古いもので留まっている。あの男の内側に幻神の化生が潜んでいることなど知る由もないが故に、憂いは晴れない。
気まずい静寂の最中、エルムは思案する。
(しかし……ボスからの通信が中々帰って来ないな。生体反応はあるようだが、どうにも苦戦しているようだ。世界刃が苦戦するような相手……? しかも補佐には無限龍だって居るのに……)
八重戦聖級が二人も居れば、無双は間違いなし。
エルムはそう思っていたのだが……不穏な気配が拭えない。
その時、ボスではなく無限龍から通信が入った。
『皇女奪還の旨、把握した。これより帰還する。六傑のうち『天滅』および『鬼凶』と遭遇、被害は大きい。可能であれば撤退の助力を』
「……馬鹿な。いや、六傑は余程の強者なのか? それとも……」
それとも、陽動を阻害した六傑のみが極端に強かったのか。
エルムは策を練りつつ、撤退の補助に取り掛かった。地図を確認し、離脱経路の確認と確保。他の支部にも連絡して動いてもらう。
だが、いまいち有効打が思いつかない。決してエルムの頭脳が鈍っている訳ではないが、どこか頭に靄がかかったように思考を阻害される。
「──六傑の一人、『畜謀』のメイウ。僅かにあの女を見た時、ボクの眼は反応した。この煩わしい煩悶の正体は、もしかして……メイウ本人、なのか? 影で顔は見えなかったが、もしもあのメイウなら……奴は英霊か」
殺意。エルムに蟠る感情は殺意であった。
どうしようもなく、浅からぬ因縁がエルムには存在する。
あの女を殺さねばならぬ。瞳に宿る呪いに誓って。




