66. 龍神の息子
遠方より術神の魔術による衝撃と轟音が響く。
タナンの瞳には、龍神の背後で戦い続けるアルスの姿が映っていた。可能ならば彼の力になりたい。あの高みへ、武の頂へ登りたい。
しかし敵わない。それは偏に、タナンに力がないから。
爆風が吹き荒れる中、龍神は告げる。
「タナン、契約せよ」
「契約、だ……?」
「然り。この戦いには手を出すな。黙して人々を守れ。神としての務めだ」
「だから! 俺は神として……とか、そういう使命には縛られねえんだよ!」
タナンは自分の生を嫌悪していた。
かつては一匹の竜として過ごし、自由に空を駆けていた名もなき竜。狩人に射貫かれ死にかけていたところを、龍神に拾われて蘇生した。結果として──タナンという神族が誕生したのだ。
どうしてあの時自分は死んでいなかったのか。
どうして自分は龍神に拾われたのか。
「そもそも……俺は神になんてなりたくなかったんだ。あのまま竜として野垂れ死んでいれば、こうして悩む必要もなかった」
「…………」
龍神は追想する。
あの日は雨が降っていた。雨に打たれて、全身から血を流して竜が倒れている。
龍神は元より、死にかけの一生命に慈悲をくれてやるほど善性の神ではない。だが……出会った場所が場所だった。
──リシュ湖。術神がアテルに貫かれ死した地。
数奇な運命を感じた。この竜が術神の生まれ変わり……などと腐心することはない。しかしながら、どうしてもその瞬間だけは……見捨てることができず。
息も絶え絶えにこちらを睨みつける竜に差し伸べた手は、震えていた。龍神なりの恐怖である。
息子から神という存在を拒絶された。自分の救済がタナンを苦しめている。
あの時救うべきではなかったのだろうか。答えは今も分かっていない。
「親父……俺はテメエが嫌いだ。何も語らねえ、何も俺に伝えねえ。ずっとそうだ、親父は俺に命令するだけ。俺の意志なんて尊重したことがない。『神として、神の務め』……もう聞き飽きたんだよ! だから俺は人間を守るなんて……っ!?」
衝撃。タナンの右頬に衝撃が走り、彼の身体は宙を舞っていた。
信じられない光景の断片を、彼は中空に浮かびながら見る。拳がひとつ……振り抜かれていた。
鉄拳、タナンを打つ。龍神が怒りの形相を抱え息子を殴った。
寡黙、冷静、温厚。静謐を体現したかのような神が息子を殴打。あまりの衝撃にタナンは地に落ちてからも言葉を紡ぐことができなかった。
「かはっ……テメエ、テメエ……何しやがる!」
「構わぬ! 我が嫌いでも、神が嫌いでも一向に構わぬ! だが……人を嫌いとは、世界を嫌いとは言ってくれるな、愚息が!」
彼の上げた怒号に、タナンもアルスも術神も、誰もが目を瞠った。
「は……? 何言ってのか分かんねえよ、親父……」
「もうよい! 神としての務めも、誇りもかなぐり捨ててよい! だが人を嫌いになるな、なってくれるな! 契約を……いや、約束をせよ、タナン! 『人を好きになれ』! その代わり、俺の息子でなくともよい!」
まくし立てる龍神に対して、タナンの頭は理解が追いついていない。
これほど龍神が感情的になる理由が分からない。
──『人を好きになれ』。
特段彼は人が好きでも嫌いでもない。神として人を守る義理が嫌いなだけ。
「……人間は嫌いじゃねえよ。仲のいい奴らだってたくさん居る。い、言われなくても……自分が足手まといなのは分かってんだ。親父がぜんぶ説明してくれりゃ、俺だって納得するよ……」
震えた声でタナンは答える。
理由だ、合理的な理由を求めている。理由がないから、何も考えなくてもいいように彼は生きてきた。何も説明されないから、彼は本能に従うだけで生きてきた。
本心を詳らかにするのならば、合理的な理由で彼は行動の理由を考えたい。
「……説明しろよ、全部! テメエだって結局俺と同じじゃねえか! ただ殴るだけ殴って、人を好きになれだあ!? 理由だよ、理由を説明しろ! 命じるだけじゃ俺は納得できねえ!」
彼は立ち上がり、父の胸倉を掴む。
行き場のない怒り。煩悶。懊悩。
全てを父の素っ気ない態度に結び付け、怒りに身を任せる。
「…………」
「…………」
両者は睨み合い、沈黙。
遠方では再び術神とアルスの交戦による衝撃が巻き起こり、コロシアムを大きく揺らした。
そして龍神はタナン以外の誰にも聞こえぬよう、消え入るような声で話し出す。
「我は、かつて術神と一つの約束を交わした。『人を好きになれ』と。その代わり、暴虐であった我は温厚な神になることを誓った。だが、どうだ。奴は最後まで人を愛さなかった……いや、心の底では愛していたが、それを表の態度に出さなかった。故に、超常存在より殺された。我は汝もまた、そうして殺されるのではないかと……思ったのだ。神族の役目を果たさねば、創世主に裁かれる。それがこの世界の普遍的な法則がゆえに」
「──そうかよ。ああ、納得した。説明さえしてくれりゃ、爆速で納得だ。要するに親父は俺の心配をしているわけだ。創世主ってのが何なのか知らねーが、大丈夫だ。もう心配いらねえよ」
タナンは龍神を離し、術神を見る。アルスの斬撃を躱し、彼の神は歪に嗤っていた。
タナンには思うところがある。しかしその意志を素直に言葉で表すことはしない。いや、恥ずかしくてできないというべきか。
「つーことは、アレは術神でも何でもないんだな。正体不明の魔術使い……そりゃ恐ろしい。挑むのは辞めだ、やめ。戦いの余波から周囲の人間を守る。それで良いんだろ?」
「……そうだ、それでいい。そして我と親子の縁は」
「切らねえよ。俺は龍神の息子でいい。分かったら早くルス兄を助けに行けよ、クソ親父」
踵を返し、客席へ向かって行くタナン。視線の先には怯える人々の姿があった。
既に八つ、命を失っている。これ以上の死人を出す訳にはいかない。
「……よい息子を持ったか」
息子の背を見送り、龍神は逆方向へ歩き出す。
眼前には術神を騙る悪徳者。今、引導を渡す。




