61. 地獄開闢式
「……ああ、望郷の光よ。ついぞ見ることのなかったルフィアの灯よ。我が贖罪は果たされた……感謝を、スフィルの血……」
倒れる死帝。六花の魔将の一角はマリー・ホワイトによって屠られた。
彼女はホワイトの騎士剣を握り締め、死帝を見下ろす。
「私はあなたを解放するために戦ったのではありません。仇を討ち、あなたを憎悪によって殺すために戦ったのです。地獄に落ちろ、大罪人」
「ああ……落ちるとも、俺は……」
瞳を閉じ、その身を邪気として消えゆく死帝。
イージアは彼に問いかける。
「……どうして君はそうなった。ローヴル・ミトロン」
初代碧天、ローヴル・ミトロン。死帝の正体であった。
なぜ英雄と呼ばれた彼が狂奔に陥り、残虐を敷いたのか。最後に真相を明らかにせねばならない。
彼は今際の際にありながら、悶えるように息を吐いた。
「鳴帝様……俺は……罪を、犯しました。告解、致します……聖剣グニーキュが眠っていた、碧天の神殿……その地下に。俺が終わりを迎えた時のため……懺悔を記しました……。どうか、お赦しを……」
導を言い遺し、彼は塵となって消える。
イージアは英雄の、大罪人の言葉を胸に刻む。
~・~・~
シャンバを退けたタナン。彼はアルスの援護へ向かうべく、龍神と共に地上を目指そうとしていた。
だが、地下室に狼の魔力体が雪崩れ込む。
「なんだコイツら! 邪魔くせえ!」
「……おそらく呪術による投影。屋内であるため、大規模な殲滅も扱えぬな。一匹毎に潰していくしかあるまい。地上への到着は遅れてしまうがな」
ジャイルは諦めたように首を振り、周囲の狼を薙ぐ。
無尽蔵の出現だ。この調子では地上に戻った頃には決着が着いているだろう。死帝が倒されているか、死帝によって人々が皆殺しにされているか。
足踏みする二人に助力が入る。影が無数の狼を刺し貫き、一気に霧散させていく。
狭い空間での殲滅に長けた影魔術。
「おうルチカ! 援護に来てくれたのか!」
「はい。迅速に上方へ向かうべく、援護いたします」
思わぬ助力があったが、龍神の表情は険しいまま。
疑問であったのだ。本当に死帝が狼を操作し、魔法陣を起動しているのだろうか……と。地上で死帝が戦いを繰り広げているのならば、細やかな狼の指揮は不可能。
おまけに死帝の正体を龍神は知っており、正体のローヴルが魔法陣を起動できるような知識を持ち合わせているかどうか、甚だ疑問である。
しかし、彼の疑問は明かされる。迫り来る気配によって。
「まあ、酷い……私の物をそんなに壊して、如何するつもりですか?」
「……お主が元凶か」
姿を現した、一人の少女。
彼女は壁際に斃れるシャンバの亡骸を見て、悲しそうに瞳を伏せた。
「ああ、お父様……ごめんなさい、ごめんなさい……私の呪術がもっと完璧だったら」
スノウ・ユーク。シャンバの娘である。
彼女こそが父の亡骸で屍霊を作り、魔法陣を敷き、狼を作り出している呪術師。尋常ではない殺気と魔力。膨大な魔力は選手たちから吸い上げたものだろう。
「何が汝の目的か」
「目的ですか、龍神様? ええ、なんでしょう……簡潔に言えば私だけの世界を創るのです。コロシアムを世界から切り離し、創世法則から逃れること。ええ、そうすれば……あのお方が降臨なさる」
「……」
龍神だけにスノウの言葉は理解できた。彼女が何を為したいのか、タナンとルチカは把握していないようだ。しかしながら堪え性のない龍神の息子はスノウに啖呵を飛ばし、勢いよく踏み出す。
「御託はいい! テメエが魔法陣を作動させてるってんなら、止めやがれ! さもないと……」
彼は地を蹴り、鉄拳でスノウに制裁を下さんと迫る。
だが──
「ぐっ!?」
「なりません。もはや儀は誰にも止めることはできないのです。きっとアルスさんやマリーさんが死帝を倒してくださるものね。ああでも、私は本当にホワイト家のお二方にはお会いしたかっただけなのですよ? 醜悪な人間が描くものとは思えない、美しさをあのお二方は兼ね備えていた」
タナンの身体が吹き飛ばされる。咄嗟に龍神は彼を受け止め、眼前の脅威を測定。
何かが、彼女の背後で蠢いている。其は形容しがたい異彩を放つ。龍神すらも近付くことが憚られる異端である。
「知っていますか? 死帝の死亡こそが、この魔法陣……『地獄開闢式バロメ』完全起動のトリガーなんです。彼の英雄の魂を捧げれば、大いなる存在を召喚することができる。本来、人が神を喚ぶことなど不可能なのです。しかし此処は世界から切り離され、創世法則が適用されない。全ての不可能が可能となっているのですよ」
「地獄開闢式……バロメだと? バロメ、やはり術神の魔法陣なのか……これは」
「──ああ、今。死帝ミダク、またの名をローヴル・ミトロンが命を落としたようです。さあ、始めましょう」
「させるものか」
眼前で魔法陣の完全起動が行われようとしている状況を見過ごす龍神ではない。
彼は神気を発し、魔力を放出するスノウへ神聖の波動を射出。極めて強力な龍神の神気。並大抵の者に防げるはずはなかった。
「ごめんなさい。龍神様と言えども、邪魔立てはさせません。これが私の最期なのですから」
「この気は……馬鹿な! 汝の背後に在る、喚起しようとしている其は……バロメそのものだとでも言うのか……!?」
周囲の三者の妨害など歯牙にもかけず、スノウは詠唱を始める。
地獄の釜の蓋を開く、禁忌たる言の葉を紡いで。
「──創世法則排除。神聖降臨。英霊召喚式変換、神霊召喚式へ移行。時は満ちた。汝、白灰に裁かれし愚神。而して人の世を想うが故に、人の知啓に溺れる者也。宣告する、盤上は厄滅に包まれよう。災禍の門、拓けり。汝の名は、術神バロメ──我が身に宿り裁きを下せ!」
神気が満ちる。魔法陣に注がれた、闘技大会の参加者たちから根こそぎ奪った魔力を媒介とし、其は喚起される。
本来であればその儀を為すには、更なる魔力が必要であろう。しかしここは世界から切り離された魔境。小さな領域の神を喚び寄せるには十分な魔力であった。
スノウは己が身を糧とし、身体に大いなる存在の魂を招き入れた。
ディオネ解放で首謀者が虚神を喚んだ時のように。
『……俺の名は術神バロメ。否、否……邪術神バロメ。創世主に叛逆を誓いし、【棄てられし神々】の一柱。──この世は酷く醜く、耐えがたい。早々に焼き焦がし、地獄へ変えねば吐き気が止まらないな。さあ、行こうか』




