59. ヤコウ・バロール
曇天、続いて雨。
あの日は最悪の一日になった。
『聖騎士ヘクサム・ホワイトは名誉の戦死を遂げた。最後まで死帝の刃に抗い、民を守り抜いた。我々は忘れてはならない。彼と言う英雄があったことを』
人々は口々にヘクサムの死を『名誉』と言った。
そんなことがあるもんか。あいつには家族がいた。子供を残して死ぬことの何が『名誉』なんだ。
──どうして俺じゃなかった。ヤコウ・バロールじゃなかったんだ。
せめて独り身の俺が犠牲になれば良かったのに、俺は生き残ってしまった。戦場へ駆けつけた時にはもう、遅かった。
血だまりの中で泣き伏すアルスとマリー。ゼロント領の人々は虐殺され、ヘクサムと妻のナニラさんの遺体が転がっていた。
「……クソ」
俺の手の届かない所で、人は死ぬ。
俺が其処に居たところで悲劇は防げなかっただろう。だが、俺が代わりに死ぬことはできた。守るべき家族がいる騎士ばかりが死に、俺みたいな無価値な人間は生きる。
この世はひどく不条理で、度し難い。
~・~・~
ヘクサムの死から一週間後。ホワイト家の墓の前で、俺は青空を見上げていた。
息子のアルスとマリーはずっと沈んでいる。時々様子を見に行くが、アルスはまだしもマリーは立ち直れそうにない。兄が必死に妹を元気づけようとしている姿は、傍から見ていて痛々しい。
神童と呼ばれたアルスでも、妹の心を快復させることなんて不可能。
「なあヘクサム。逃げたんじゃねえか、お前」
人に聞かれれば間違いなく糾弾される一言。彼は最期まで果敢に立ち向かい、抗ったのだと。世間はそう口々に言う。
だが、守るべきものを置いて死ぬなんて『逃げ』だ。他ならぬヘクサム自身が言っていた。
逃げることもできたはずだ。あいつは判断を誤った。
騎士の十戒、第四の戒律──汝、敵を前にして退くことなかれ。だが、もっと優先すべきことがある。
騎士の十戒、第一の戒律──汝、民の幸福を第一に考えるべし。
「お前の子供たちは不幸になってるぜ」
騎士失格だ、お前は。
新人騎士の頃からお前は優秀な騎士だった。努力も才能も、俺を遥かに凌駕して。俺はお前に追いつこうと必死だった。
それでもお前は最後に道を誤った。後は俺に追い抜かれるだけだ。
「……戻って来いよ」
十年以上もお前の背を追ってきたんだ。いまさら逃げるなんて卑怯だろ。
世界はお前を英雄と讃えるだろう。だが俺は讃えない、心の中で侮辱する。騎士の本懐を果たせなかった臆病者め。
俺に責任を押し付けやがった。だけど死人に文句を言っても仕方ない。
アルスに、マリー。あの二人の未来は俺が守らなきゃいけない。
あいつらが拒否しても、無理矢理。
~・~・~
アルスはよく分からないバトルパフォーマーとかいう職に就き、マリーは騎士となった。
流石は霓天の家系だ。マリーの騎士としての活躍は目覚ましい。ヘクサムすら凌駕する、まさに破竹の勢い。
だが心配だった。老婆心だろうが、あいつは無理しているように見えた。
聖騎士スピネの下で弓を習い、ある時を境にアルスから剣も習うようになって……強さは磨かれていく。もう俺よりも強いんじゃないか……そう思わせるほどに。
表立っての疲労は見えない。だが、あいつの態度はいつも騎士らしくなかった。
「おうマリー。今日も残業か? そろそろ労基に目付けられるぞ」
「大丈夫です、ギリギリのライン攻めているので。昨月は勤務時間の上限、一時間前まで攻めました」
「いや、そういう問題じゃねえんだけど」
端的に言えば、マリーは焦っている。若い頃、ヘクサムに追いつこうと必死になっていた俺を思い出す。圧倒的な才能の差を自覚して俺はそのうち諦めたが。
事務仕事と軍事修練の時間はつり合いを取らなければならない。こいつの修練時間は他の騎士が引くような長時間なので、比例するように事務仕事も熟さなくてはならないのだ。
「なんで無茶するんだ?」
「無茶、ですか? いえ、別に……これが普通です」
おそらく、マリーは騎士になりたかった訳じゃない。そして今も騎士の仕事に誠実さを以て勤しんでいる訳でもない。
ただ力を得るために、騎士という道が最短経路だっただけ。仇を討ちたいだけ。
両親が死ななければ、今もこいつは学校に通って一人の少女として過ごしていたはずだ。
「……あんまり焦るなよ」
「はい」
どうして俺は赤の他人をここまで気に掛けるのか。
そりゃもちろん、友の娘だから。俺が責任を感じているから。守らなければならないと感じているから。
だが、それだけじゃない。俺は明確に、騎士の部下としてマリーを心配していた。生きて欲しい、幸せになって欲しい……そう部下に願うのは異常だろうか。
いや、普通だ。俺はどこまで行っても凡人で、普通の感性の持ち主だ。
苦しむ者が傍に居るなら、助けてやりたい。守りたい。
だから、
~・~・~
だから、ここが俺の騎士としての大舞台だ。
領域を展開、異能『猟犬』によって敵を逃がしはしない。相手は死帝、不足なし。退路なし。独身の俺、後顧の憂いなし。笑えるぜ。
「はぁああっ!」
迫る。ディオネ剣術は攻防一体。受け流しに相性がよく、なおかつ爆発的な剣閃をなぞる。
死帝の剣と衝突し、互いに踏み込む。
「効かぬ! 凡庸、既視!」
しかし俺の剣術は紫色の靄によって阻まれる。
ディオネ剣術なんてありふれている型。死帝の権能にあっさりと無効化されてしまう。斬り返しに死帝の刃が迫り、紙一重で躱す。
──速い。尋常ならざる破壊力だ。当たればミンチになる。
「はっ……!」
だが、それで良い。一秒でも多く時間を稼げ。
英雄……天覆四象。ディオネ解放を成し遂げた英雄がまもなく来たる。前座でいい、かませ犬でいい。猟犬の名は伊達じゃない。時間だけは稼がせてもらう。
「邪魔だ、邪魔だ……! お前のように力なき者には死を! 『黒嵐』!」
正面、後方、左右。十文字に風刃と雷撃が迫る。まるで碧天の技のようだ。
この一撃、躱さなければ。
「ディオネ心眼流──『百日紅』」
逃げの一手、その神髄。思えば俺がこの技を開発したのも、ヘクサムに対抗する為だったな。
己が魔力を四肢に宿し、地面に魔力を接続することによってあらゆる衝撃を受け流す。四方から迫った風を回転しつつ往なし、雷を力任せに捻じ曲げる。
そして衝撃を再び吸い上げ、攻撃に乗算。カウンターの一撃、鬼が如き衝撃。
鋭く振るわれた剣閃は死帝の正面を穿ち抜き、奴の体から邪気を噴出させる。
「どうだ、この一撃を受けても俺を弱者と罵れるかい?」
先のエニマの一撃には遠く及ばぬ威力。されど地竜程度ならば一撃で屠れる威力。
どうやら死帝にとっても、この技は初見だったらしい。魔力が欠乏してるので使う回数は考えなければならないが。
「……武錬は認めよう。俺もまた、魔力のなさに打ちひしがれた過去があったものよ。しかし至らぬ。お前はやはり弱い。この領域……煩わしいな。底が見えた今、終わらせるとしようか」
死帝の殺気が広がる。
大技が来る前兆だ。『猟犬』の弱点、相手と同様にこちらにも逃げ場がないこと。自分が強者側であれば良い。だが、今の俺は獲物に過ぎない。
全力で防御に徹しなくては。
「よき武人であった、ヤコウ・バロール。では……狂刃ルナルーアよ! 輝きを放て!」
死帝が地を蹴り、一瞬で肉薄。
再び魔力を四肢に宿し、威力の緩和準備。
剣閃、間違いなく六つ。速いが、減衰し切れない威力じゃない。
まずは左側面と、正面から迫った斬撃を受け流す。成功だ。
そしてお次は後方と右方からの斬撃を……
「……あ?」
受け流した、はずだった。
たしかに俺は斬撃を往なした。なのに、なのに──
「狂刃ルナルーアは精神が不安定な者を惑わす。お前は今、俺と言う狂人を相手に不安定な恐怖を抱いていた。故に幻像を見、逸らし損ねた」
「ヤコウさん!」
領域が消える。魔力が断たれる。
後方からマリーの俺を呼ぶ声が聞こえた。
熱い。背中から貫かれ、ばっさりと剣を持っていた右腕が斬り落とされ。
血の噴水が上がる。倒れる、斃れる。平伏し、赤のカーペットに口づけした。
「か……はっ……」
血塊が口から飛び出た。見上げれば、死帝の悍ましき相貌。
……まだ、死ぬ訳にはいかない。あいつが……英雄が来ていない。
ここで倒れれば……マリーが、死ぬ。それだけは……それだけは……
~・~・~
「おい、ヤコウ」
「……?」
「なに呑気に寝てるんだ。早く立て、行くぞ」
「お……ああ、ヘクサムか。けど、まだ……俺にはやるべきことが残ってる気がするんだよ」
「知ってるさ。だが、お前にやるべきことなんてもうない。俺と同じ、お前も逃げた人間になってしまったな。……まあ、俺からすれば申し訳ないと思いつつ、感謝しているところもある。娘を守ってくれて……ありがとう」
「なーに言ってんだよ。まだ俺が戦わないと、マリーを守りきったとは言えないだろ」
「いいや? 俺の娘はそこまで柔な子じゃないさ。それに、俺の息子も……ほら、すぐそこまで来てるみたいだ。もういい、俺と休もう。久々にお前と酒でも飲みたいもんだ」
「……そうか。ああ、いったいお前と会うのは何年振りだったか。今、そっちに行くよ」




