51. 来訪者
コロシアムの地下にて、二つの影が向かい合っていた。
「闘技大会は恙なく行われています。ええ……すべて望み通りに……ね。それが貴方の望みでしょう、死帝どの?」
「この一件で企てをしているのはお前も同じはずだ、支配人。我らは仲間ではなく、あくまで利害の一致の上で行動を共にしているのみ。俺はただ……俺を殺せる猛者を求めるのみ」
「んほほ……ええ、結構。わたくしも素敵な舞台を用意しましょう。ええ、ええ……」
支配人……シャンバは虚ろな瞳で呟く。
死帝は彼に憐憫の視線を向けながらも、自らの宿運を省みた上で視線を逸らすのだった。
~・~・~
試合二日目。
アルスたちはコロシアムの客席で闘技の開始を待っていた。
「よおルス兄、二日振りか。何も変な事はなかったか?」
「ああ。で、そっちは何か問題を起こさなかった? ルチカ?」
「……タナン様がホテルの電灯を壊してしまわれました」
「おまっ……その話は言うなって……」
どちらかと言えばタナン側に問題があったらしい。弁償は自腹でしたらしいので特にアルスが文句を言うこともない。
「相変わらず人間が作る物は脆くて困るぜ……ちょっと力を入れただけで壊れ……て……?」
タナンの言葉は途切れ、尻すぼみに声が小さくなっていく。彼の瞳は見開かれ、アルス──のさらにその後ろを見据えていた。
アルスもまた振り返り、彼の視線の先に焦点を合わせる。
タナンに似た色彩の長い緑髪、現代人にしては些か奇妙なトーガのような衣服。
彼は威風ある雰囲気を放ち、同様にアルスたちを凝視していた。
「親父……」
龍神ジャイル。
彼がコロシアムへやって来ていた。龍神は普段から人里に紛れて暮らしていると聞くが、まさかここで邂逅を果たすとはタナンも思っていなかっただろう。
彼は息子のタナンに問う。
「……何をしておる」
「そりゃ観戦だろうが。テメエは……なんでここに居んだよ」
龍神は息子の言葉を聞いて頷いた。その頷きにどのような意図が籠められているのか。
「そこの者らは霓天の家系か。不肖の息子が世話になっているようだ。横暴な者ゆえ、大目に見てもらえると助かる」
「この方はタナンのお父様なんですね。タナンと違って真面目そうな方です」
マリーは目の前の男が龍神だと気が付いていない。タナンが龍神の息子だと明かしているのはアルスに対してのみ。年に一度の参拝以外、基本的に龍神と霓天の家系は顔を合わせないし、その際は龍神は龍の姿になっているのだ。
そして、この世界線において龍神とアルスの面識はほとんどないに等しい。
幼少期に精神世界で過ごした過去が消え去った以上、アルスと神々の絆は消失してしまっているのだ。故に龍神はアルスを一介の人間としか捉えていない。
「おい、親父。質問に答えろ。なんでテメエがここに……」
「我だけが把握していれば良い問題だ。案ずるな」
「……ッチ。これだから嫌いなんだよ」
龍神とタナンの間に横たわる、すさまじく険悪な雰囲気。正確に言えばタナンが一方的に父親を嫌悪しており、龍神は無関心に近い。
「時に汝ら、身体に不調はないか?」
話の腰を折って、龍神は他の三名にたずねた。徐な質問にアルスたちは若干面食らったものの、ひとまず答えてみる。
「いえ、特に不調はありません。ジャイ……タナンのお父様は何をお尋ねしたいので?」
思わず神の真名を言いそうになったアルスは慌てて言い直し、彼の真意を問うた。
藪から棒な質問をする龍神ではない。なにかしらの意図があるはずだ。
「いや、何も無いならば良い。我の憂慮やもしれぬのでな。此度の武錬の競い、ここら楽しむがよい」
彼はそう告げて四人の傍から離れていく。
どうやら周囲を頻りに見渡し、何かを探っている様子。やはりタナンが何かを感じ取ったように、龍神も何かを警戒している。
アルスは危機意識をさらに引き上げ、観戦を続けることにした。
~・~・~
二日目終了。
今回も見ごたえある闘いであったのは間違いない。マリーからすれば勉強になっただろうし、タナンも闘志たちの腕前を認めていた。
しかしアルスはどこか煩悶とした心持を抱えながらコロシアムを出ることになった。
「マリー。僕はちょっとヤコウさんと話がしたいから、先に帰っていてくれないか。ルチカも残ってくれ」
「えっ……分かりました。それでは先にシャンバさんのビルへ帰ってますね。闘技大会が終わるまで泊めてくれるみたいなので」
「ああ」
彼はマリーとタナンを見送り、周囲に人がいないことを確認してからルチカに耳打ちする。
「ルチカ……この闘技大会について調べてくれないか。正確に言えば、この闘技大会の裏にある事情や組織について。まだ何も分からないけど、やけに出場者に違和感がある」
「承知しました。私もどこか選手が動きに精彩を欠いていたように思われます」
「うん、頼む。危なくなったらすぐに引き上げて」
命令を受けるや否や、彼女は影に消えて行った。龍神が来ていたのは尋常ならざる事態だ。もはや勘違いでは済まされない。
アルスはコロシアムを歩き回り、先程試合に出場していたヤコウを探す。彼は待合席で項垂れるようにして座っていた。
「ヤコウさん、お疲れ様でした。落ち込んでいるところ悪いのですが」
「あぁ……? 別に落ち込んでる訳じゃねえよ。毎回優勝はできてねえし、今日負けたのも分かり切ってた結果だ。気分の問題じゃなくて、身体が怠いんだよなあ……なんつーか、魔力がごっそり抜けきったみたいに。そこまで魔力を使った覚えはないんだけどな」
「たしかにそうですね。ヤコウさんの闘いを見ていた限り、あまり消耗しないスタイルだったと思います」
「ま、俺も歳ってこった。こりゃ明日は寝たきりだな」
彼は言い訳しているが、おそらく歳のせいではない。
他の参加者を見ても、戦い方に比例しない疲れを見せているようだった。
「そういやお前の知り合い……エニマっつったか? あの選手、かなりの使い手だな」
「ああ、たしかに……なんだか今回の闘技大会は彼女の調子がいいような気がしますね。いつもと戦い方は変わっていないし、特に変化は見られないのですが……不思議と勝ち上がっているようです。まあ、彼女の実力が功を奏しているのでしょう」
……と言うよりも、彼女以外の参加者のレベルが少し低い気がする。初日はかなり見応えがあったが、二日目はそこまでの興奮がなかった。
伝統的な祭事にしては選手たちの平均値が低い。例年の映像を見ていないので何とも言えないが、毎大会この程度のレベルなのだろうか。
(いや、恐らく……)
「じゃ、俺はここら辺で失礼するぜ。こっからは観客に回るとするよ」
「ああ、はい。お疲れ様です」
アルスは思考の海に沈みながら、マリーが待つビルへと帰還した。




