50. 古き影
翌日、アルスは街中をふらついていた。この二日間は特に用事もなく暇である。
リシュの街並みは特に変わったところはなく、ルフィアとそこまで変わらない。とにかく暑いという特徴くらいしか思いつかない国。歴史的に見ればそれなりに興味深い点が多いのだが。
マリーやタナンとは一旦別行動を取っている。タナンにシャンバについて聞かれたものの、特に違和感はなかったとアルスが答えると、彼はどうにも納得いかないという表情を浮かべた。
タナンの直感は他ならぬアルスが最も信頼している。その点において、アルスはまだシャンバを完全に信用した訳ではない。ただ一つ分かるのは、悪人ではないということ。
「…………」
彼は思考切り替え、ベンチでぼんやりと街中を流れる川を眺める。
汚い。決して澄んだ水とは言えず、都市部の汚水に侵食されてしまっている。この時代、清い川なぞはフロンティアにでも行かなければ観測できないだろう。
「よお」
「その声は……ヤコウさんですか。昨日の試合、お疲れ様でした。素晴らしい動きでしたね」
アルスの隣に座ったのは、中年の気だるげな男。マリーの先輩の騎士であり、父の友であったヤコウ・バロールだ。
昨日の奮戦がまるで嘘のように、彼の瞳には一切の気力が宿っていなかった。
「ああ……疲れた。前回参加した時の数倍は疲れてる。毎回参加してるとはいえ、この歳になるとキツいもんがあるな。日頃からサボってるツケが回ってきたか。お前も出場すりゃ良かったんじゃないか?」
「いえ、僕は……」
「僕は?」
「……僕が出たら、優勝してしまうので。圧勝ですよ」
アルスは少し言いよどんだ末、そう答えた。きっと今の言葉は彼の本心ではなく、本音を隠すための方便だったのだろう……ヤコウは察し、深く追求することはなかった。
「ところで話は変わるが。【死帝】の目撃情報があった」
ヤコウは六花の魔将について切り出した。死帝はマリーとアルスの両親の仇であるだけではなく、ヤコウにとって友の仇でもある。
彼もまた死帝の行く末を追っていたのだ。
「ソレイユ大森林にある、聖剣の神殿。付近で当代碧天が奴を発見したそうだ」
「そうですか。アリキソンが……」
アリキソンが聖剣に認められたことはアルスも聞いていた。彼が聖剣を取りに行った際、神殿の付近に死帝が屯していたそうだ。
目的は不明。聖剣を奪おうとしていたのか、はたまた別の目的があるのか。
「なんか俺の思ってたリアクションじゃねえな。もっと食いついてくるかと思ったんだが」
「……そう、ですね。その話はマリーにしてやってください」
「……親の仇は?」
ヤコウは訝しむようにアルスの横顔を眺めた。
──感情が読み取れない。アルスが何を考えているのか、まるで彼には分からなかった。仮面を被っているかのように。
「人には戦う理由がある。死帝もまた戦わねばならない理由があるのでしょう。誰もが因果に囚われ、踊らねばならない。なので、僕はまあ……既にあまり死帝を恨んでいません。それとは別に倒さなければならない理由はあるのですが」
もはや何の情も、憎悪も抱いていない。
あまりに時が経ち、彼の心は摩耗し過ぎた。しかし彼は使命のために駆けねばならない。死帝を討つことは彼にとって必要事項だ。事務的に、救いのために。
「そうかい。立派になったな」
ヤコウの言葉は賞賛ではなく、どこか皮肉めいたものだ。されどアルスの心はまるで止水の如く穏やかだった。柳に風である。
「そろそろ失礼します。二回戦も頑張ってくださいね」
「おう」
アルスは微笑んで去って行った。
~・~・~
そして街中を闊歩すること数時間。夕焼けが徐々に世界を侵食し始めた。
そろそろシャンバのビルに戻ろうかと思ったアルスを、一名の少女が捕獲した。
「あるるん発見! やはりこの魔力反応を追ってきて正解だったのだ」
「ああ、エニマん……元気だね。試合で疲れてないの?」
「ぜんぜん? なんか他の出場者たちはやけに疲れてたけど……軟弱だね。で、ちょっと行きたいところがあるんだけど、一緒に行かない?」
「どうせSNSに上げる写真でも撮りたいんだろ? 一人で行ってくれ」
ぐいぐいと無理やり引っ張るエニマを剥がし、アルスはさっさと帰ろうとする。
しかし彼女の言葉は意外なものだった。
「いや違うよ? あるるんって歴史に詳しかったからさ、図書館に行きたいと思って。リシュ親神国って神様に詳しいらしいじゃん? だから調べてみようとしたんだ」
「神について? エニマんって民俗学とか好きなんだっけ?」
「別に好きじゃないけど、せっかくの機会だしー。なんか神様って謎が多いよね? 人間は神様を崇拝してるけど、その正体って何なのかな……ってね。とりま行こうぜ行こうぜ」
「お、おお……」
強引に引っ張られ、アルスはエニマと図書館へ入って行った。
~・~・~
「……全部読んでみたけど、この文献は主に龍神について扱っているようだね」
「あるるんすごーい! このへんてこな古代文字読めるの?」
「キャバ嬢みたいなふわふわな褒め方しないで。まあ一応読めるよ。誤訳はあるかもしれないけど……」
アルスたちは古文書の写本に目を通し、文字列をなんとなく訳していた。創世当初は旧世界の文字が使われていたらしいが、何らかの理由により神々は文字の形態を改めたらしい。なにぶん旧世界の文字は複雑すぎて読むのが難しい。恐らく世界の人間の知能指数に合っていない。
創世から三百年くらいは、今アルスが目にしている古代文字が使われていた。おそらくセティアやノアならば読めるのだろうが、アルスは何となくでしか読めない。
「なんて書いてあるの?」
「ざっと要約するとだね。龍神は昔はとんでもないろくでなしで、人間を手足として使い、美女を侍らせては暴虐を尽くしていたらしい。龍神の非道を見かねた術神という神様が、龍神を説得して、喧嘩して、最終的には仲直りして龍神も立派な神様になるように努めた……らしい」
「えっ……龍神様が? もしかしてあるるん嘘ついてない?」
嘘ではない、神族はだいたい独りよがりなものだ。何故ならば彼らには心があるからだ。
暴虐たる神がアテルに淘汰されただけで、創世当初は百以上も神族が存在した。もっとも、現在は龍神、天神、地神、海神、破壊神、リンヴァルス神の六柱しか人々に認知されていないが。
そういえば虚神のウジンはどうしているだろうかとアルスは想起しつつ、書物に目を落とした。
「嘘じゃないよ。意外と龍神様はクズだったらしい」
「でも、術神なんて聞いたことないよ。最後はどうなったの?」
「術神は……雷に貫かれて死んだって」
神族が雷如きで死ぬ訳がない。おそらく雷とは災厄の攻撃などを喩えたものだろう。
「ふーん……やっぱり神様って謎だね」
「まあ考えても仕方ないだろう。神々は人間を守ってくれるとだけ考えていればいい」
「うわー、人任せ。いや、神任せ?」
どちらかと言えばアルスはリンヴァルス神なので守る側なのだ。
二人で図書館に籠っている内に、外は真っ暗になっている。閉館のアナウンスが鳴り響いた。
「勉強になったよ、ありがとねあるるん」
「しかし君が勉強だなんて、本当にどういう風の吹き回しだろうか」
「だって一緒にお店に行こうとしても、陰キャあるるんは拒否するでしょ? 歴史好きなら図書館に誘えばいいかなって」
どうやらエニマはアルスと時間を過ごせれば、なんでも良かったらしい。
「はは……別に普通の店でも良かったけどね」
「ほんと!? じゃあ次は誘っても拒否しないでね」
「それは約束しかねる。昨今僕は忙しいので」
不機嫌になるエニマを宥めつつ、アルスは図書館を出る。
夜の都市の一角には、紫色の靄が立ち込めていた。




