39. 時の面影
翌朝。
空は白み、夜は明けつつある。朝日が登る光景を街の門から眺めていた。
まだ人通りの少ない時間、まばらに見える人々や魔導車が灰色の道路に彩りを与える。
「ん……あれかな?」
どこか見覚えのある車だ。水色の車体に銀縁の装飾……父のプライベート車に似ているな。
運転席を見ると、ほんの少しだけ昔と違った印象を受ける父が座っていた。
やっぱり、この三年間で老けたのかな。
「父さん!」
手を振ると、車が停止して父が降りてきた。
「……アルス! 随分と大きくなったな、見違えたぞ」
父はガシガシと肩を掴んで僕の身体を揺らしてくる。
「うぐ……お久しぶりです。顔を見れて安心したよ」
「ああ、ルカ殿の修練はどうだった? 成長できただろう」
「うん……嫌というほどに」
学んで、学んで、進化した。
実力も、精神も。
師匠に僕を預けた父の判断は正しかったように思われる。
……少し、強引だったけど。
「早く帰ろう。母さんやマリーにも早く会いたい」
「そうだな、よし行くぞ。王都まではまた半日かかる、工事で規制がかかっててな……」
発車しながら父が語り出す。
一晩と少し過ごしたこの街を後にする。
短い間だったが、とても長い期間のように感じられた。
車はそんな街を置き去りにして、風を切って走っていった。
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僅かな時の流れで、変わらぬものもあれば、変わるものもある。
記憶の奥底に眠っていた風景が実像を伴って復元される。かつて何度も通った道だというのに、新鮮さを感じるものだ。
紫紺の空に、輝く煌星。その下で天廊や街灯が眩い光で地上を照らしている。
「はぁ……」
長い間、人工物の無い島で過ごしてきたこの目には都市の光は強烈だ。
ブライトが兼ね備える美しさと刺激に思わずため息をついてしまう。
「さ、着いたぞ。思ったより遅くなってしまった」
そして、何一つ変わりの無い我が家だ。
白を基調とした外観に、刻まれているのはホワイト家の家紋。
もう遅い時間だ。母はともかく、マリーはもう寝ているだろうか?
扉に手をかけると、記憶の内にある感覚よりも少しだけ取手の位置が低いように感じた。
「……ただいま」
自然と、声が小さくなった。
過去から疎外されたかのような、不可思議な感覚を覚えたからだ。
それに時間を考えるとあまり大声は出せない。
玄関の灯りだけではなく、奥の部屋の灯りも点いていた。
「母さん、アルスが帰ってきたぞーー!」
「ちょ、声でかくない!?」
深夜なんだからマリーが寝ているだろう!
父はあまり周囲を気にしないきらいがあるが、流石にもう少し気を使ってはどうか。
足音が聞こえ、奥から母がやって来た。
「アルス、お帰りなさい! 怪我はない? どこか悪いところは?」
「う、うん、大丈夫。お母さんも元気そうで何より……」
母が少しキツめに抱きしめてくる。
懐かしいけど、ちょっと苦しいな。
「……お兄ちゃん?」
……む。
僕を兄と呼ぶのはこの世で一人だけだ!
「マリー! 久しぶりだね、お兄ちゃんだよ」
両親はそこまで変わりがないように思えたが、子供の成長というのは著しいものだ。
今、彼女は九歳ということになり、分別もついている年齢だ。昔のような感覚で接することは難しいだろうな。
もっとも成長しているのは僕も例外ではなく、それを見たマリーも困惑しているようだ。
「………………」
……じっとこちらを見つめて近寄ってくれない。
「あの、僕のこと分かるかな?」
「……うん、分かるよ。大きくなったなって思ったの」
えっと、何を話そう。
正直分からない。
「元気だった?」
「うん、四年生になったよ」
四年生かあ……早いな。
僕も当初の予定では、騎士見習いとして士官学校に行っているはずだったが……師匠の下にいる方が圧倒的に得るものは多かっただろう。
「さ、二人とも取り敢えず寝るのよ。今日はもう遅いから」
「はーい」
母に促されマリーは上階へ上がっていく。
僕も寝るか。久々にふかふかのベットで寝れる!
「……おやすみなさい」
風呂に入り、ゆっくりと眠る。
僕は当たり前の人の生活を取り戻した。
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暗闇から這い出て、毛布から顔を出す。
「だる……」
生活習慣が変わったらからだろうか。身体が重い。
徐々に慣らしていく必要がありそうだ。
もっと寝てたい。
「アルスー? もう起きてるー?」
階下から母の呼ぶ声が聞こえる。
時計を見ると、まだ昼と言うには早いが、朝と言うにも少し遅い時間だ。
「うん、起きてる!」
億劫ながらもベットから降り、身嗜みを整える。
ひんやりとした空気が全身を包んだ。
……そういえば、今日は何をしようか?
休日の為、父も休みだ。父は休日の午前はどこかしらへ行く事が多いので、今日も家にはいないだろう。
居間に降りる。
扉を開けると、甘い香りが漂ってきた。
「朝ご飯、もう出来てるわよ」
「うん、いただきます……マリーは?」
「お友達と遊びに行ったよ」
「へー……」
そうか、マリーももう幼い子ではない。とっくに遊ぶ相手も出来ていたんだな。
僕も知り合いの所に顔を出して来ようかな。三年近く会っていないので、友達から忘れられていないだろうか。
「そういえば……レーシャちゃんはどうしてるのかしら?」
「あ、えっと……これから会いに行くよ」
「あら、そう! きっとすごく可愛くなってるわよ! ……他に彼氏が出来てたらどうしようかしら」
「ははは……」
母はまだ勘違いしてるみたいだ。
……まあ、彼女にも暫く会っていないな。寂しいし、いつか会いにいこう。
午前中、近所に顔を出し友人に会う。
皆子供だけあって見違える程に成長していた。近所に同年代の子供は居ないが、父の友人の騎士の子供達とは交友関係を結んでいた。皆快く僕を出迎えてくれて一安心。
他にも隣家のライマ夫妻や、近所の人達も僕を覚えてくれていた。
「ただいま」
「アルス、帰ったか」
家へ帰ると、父も帰ってきてたみたいだ。
「お前にいくつか話がある。進路に関する話と、もう一つ。帰ってきて翌日、疲れているとは思うが……」
「いや、大丈夫。それで話とは?」
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「騎士……?」
父から話された内容は意外なものだった。
「ああ、無理に騎士を継げとは言わんが……アルスとしてはどうだ? 今のお前に騎士になる気はあるか?」
騎士見習いとして士官学校で学ばないか、と言われたのだ。僕が強さを求めてその果てに何があるのか、それはまだ分からない。
しかし、その強さを騎士という職に活かすのは悪くはないとは思っている。
「うーーん……」
正直、迷っていた。
訓練は自主的に何をすれば良いのか完全に把握したし、基礎も完成している。見習いになることは無駄に時間を縛るだけではないか……そんな疑問が生じる。
「まあ、今すぐに答えは出さなくて良い。いずれ聞かせてくれ。父さんはどんな選択でも尊重するし、なんなら義務感に縛られずに騎士にはなって欲しくないとも思っている」
義務感、か。
霓天の家系として、人々を守らねばならないという義務。ディオネの遺産であり、国防力でもある神能の継承者の責務。
僕はそんなモノには縛られない。だからこそ、迷っているのだ。
「……うん、分かった。まだ迷わせて欲しい」
さっさと道を決めた方が良いのは分かっている。
正式に騎士の資格試験が受けられる十六歳まで待つというのも一つの手だ。
「さて、もう一つの話だ。これを」
父に渡されたのは、手紙だった。
「これは……?」
表紙には、何やら紋様が刻まれている。
どこかで見たことのある……そうだ。僕が誕生日であったり、記念日に事あるごとに贈り物を贈ってくる国がある。その国の国章だ。
「リンヴァルス帝国からの招待状だ。お前宛のな。目的は分からんが……どうする?」
「…………」
考え込んでしまう。
大人の父ではなく、子供の僕を招待するのは何故?
「リンヴァルス皇帝は温厚で、礼節を重んじる人物だと聞く。安全であると断言は出来ないが、行ってみるのもいいかもしれない」
ホワイト家を陥れる為だとか、利用する為だとか、様々な理由は考えられる。
だが、これは皇帝に謁見するまたとない機会だ。ホワイト家を懇意にしてくれる理由も聞けるだろう。
「……分かった、行ってみる」
困難があれば、自らの手で打ち払えば良い。
「そうか、明日からでも行くといい。帰ってきて早々の話だが……今のお前には時間もあるだろうからな」
「ん、それじゃあ準備するよ。……それと父さん、帰ってきたら手合わせしてもらってもいい?」
せっかく修行から帰ってきたので、父と久々に手合わせしたいものだ。
「ふっ……いいだろう。全力で、な」
「うん!」
勝ちたい。
勝ってみせる。
もう僕は、強いのだから。
でも、まずはリンヴァルスに行くのが優先だな。
リンヴァルス帝国は世界で最も古い歴史を持つ国で、独特な文化が魅力的だ。歴史好きな僕としては学術的な興味もある。
次に赴く地は決まった。




