43. 風雷空靂
聖剣を手に、アリキソンは聳え立つ巨躯を見上げる。
「これが……初代碧天が手にした聖剣の力か……」
アリキソンの力が強化された訳ではなく、聖剣そのものの力が増している。覚醒以前でもかなりの切れ味を誇っていた聖剣だが、今は数倍……一振りするだけで大型の魔物も絶命するほど。
先程までルカミアの闇魔術が展開され、どす黒く染まっていた地面は光に満ちている。そして光の鎖がルカミアをつなぎ止め、身動きを一時的に停滞させていた。
「この光は……魔王を拘束しているだけではないな。俺たちに対する身体強化も付与しているのか?」
「あー……多分なんだけど、それ俺の能力。こう、直感的に? なんかよく分からんけど本能がこれを使えってさ。以前の記憶なんだろうけど、【救済の領域】っていう名前の能力らしい」
相変わらず謎の多いクロイムだが、とにかく状況を好転させられるのならば文句はない。
さらに魔族王の加勢もある。この状況、決して不利ではなかった。
「アリキソン、ルト様! そろそろ拘束も限界だ!」
『グ……オオオッ!』
邪鬼ルカミアが鎖を引き千切り、咆哮を上げる。
前脚を大きく振り上げ、地面へ突き下ろすと凄まじい地響きが伝播した。されど三者は怯むことなく行動に出る。
アリキソンからしてみれば、素人のクロイムが恐怖していないのは意外な事実であった。
『人の子よ、我が先陣を切る! 無理をせずに続け!』
ルトは大地を疾走、ルカミアの股下を潜り抜ける。そのままの勢いで崩れかけた高層ビルを駆け登り、ルカミアの鼻面へと接近。
そして凄まじい吹雪を纏って正面衝突した。
相克する氷と邪気の波動。ルトの体躯はルカミアの十分の一にも満たないが、それでも両者の力は拮抗するまでに至っていた。
「嵐よ!」
二獣が相克する最中、アリキソンは飛び上がり聖剣で脚に斬撃を飛ばす。
一閃はたしかにルカミアの足を両断したが、邪気で再生。やはり魔族は魂を断たねばならない。伝承によると聖剣グニーキュには素で魂を断つ力が備わっているらしい。
(どこを斬れば……?)
全身をくまなく斬れば魂が斬れる……というのも一つの結論だが、可能な限り速く決着はつけたい。
近年は大きく魂に関する研究が進んではいるものの、その本質については未だ不明。しかし、一つだけ証明されていることがある。たとえ人間であっても、魂の位置は個人によって異なるということ。
剣に命を注いだ者であれば手、知を求め続けた者であれば頭、そしてルカミアの場合は……
(先程の人間体では胸部に魂の反応があったな。胸部に魂がある者は生命への執着が強いとされている……ではやはり、心臓部か。四足歩行の生命体の心臓部は……どこら辺だ? クソ、学のなさが出たな……)
だいたい首から胴にかけて斬れば当たるだろう。
問題は剣が内部に届くかどうか。
「クロイム、お前は今なにができる?」
「悪い! 能力の連発はできない」
どうやら【救済の領域】も、【秩序の衝動】も、クールタイムが必要なようだ。どちらも先程使ってしまったばかりなので、今の彼は能無しである。
「要するにただの一般人、俺は場違い、今すぐ逃げたい。……あっ、そうだ。これとか使えねえ?」
彼が取り出したのは爆弾である。
どうしてそんな危険な物を所有しているのかと言えば、魔物の襲撃があると知って速攻で彼が調合したのだ。魔道具店で働く内に、彼はいつしか様々な危険物の調合も習得していた。
「いや、たぶんシレーネが店長じゃなきゃ爆弾の作り方とか覚えないんだけど。一般魔道具店員は爆弾なんて作らないと思うんだけど。そういえばアリキソンさん、ルフィアで爆弾製造って犯罪? 俺はシレーネに命令されて作っただけなんで……無罪で」
「ルフィアでは犯罪じゃない。ただしシロハでは犯罪だが……まあ黙っておこう。威力は?」
「鉱山採掘に使うのと同じやつだから、魔王に撃ち込めば体表は削れるかな。一個しかない」
「……十分だ。貸してくれ」
彼は爆弾を受け取る。
同時に相克していたルトが退き、ルカミアも後退る。
「魔族王殿! 俺を高所まで連れて行っていただきたい!」
『うむ、任されよ!』
ルトは即座にアリキソンの下へ走り、彼を背へ乗せる。生涯で三度目、人間を背へ乗せる瞬間であった。
魔族王が人間を背へ乗せた時、相手はいずれも魔族である。一度目はエプキスと、二度目はイージアと共にカラクバラを討ち。そして此度はアリキソンを乗せてルカミアを討つべく走る。
『──!』
ルカミアが大口を開け、本能のままに周囲を巡るルトへ食らいつこうとする。
無論、八重戦聖の一角であるルトに理性なき攻撃が当たるはずもなく。すらりすらりと、風のように四肢の下を潜り、壁面を昇り、黒獅子は戦場を跳躍する。
夜風を受けながらアリキソンは狙いを定めた。
爆弾をルカミアの胴部に撃ち込み、肉を抉って再生するまでに心臓を斬る。嵐の速さを持つ彼ならば可能な動作だ。
作戦をルトへと伝え、二者は動き出す。
『こちらだ、ルカミアよ!』
ルトは周囲を見渡し、丁度よい建築物に目をつけた。
巨大な鉄橋。ルカミアとほぼ同じ高さを持ち、あそこまで誘導すれば崩壊して動きを鈍らせることができるだろう。他国の財産を壊してしまうことは心を痛めるが、後で魔国から賠償金は出す腹積もりであった。
『オオオッ!』
動き回るルトたちを叩き潰そうと、ルカミアは敵の狙い通りに駆け出す。
一歩一歩が地響きへと変わり、周囲のビルもまた倒壊。惨憺たる光景の中、ルトは鉄橋の頂点へ立ちアリキソンを下ろした。
『さあ、ゆくぞ。覚悟は良いな?』
「無論です」
真っ直ぐに、真っ直ぐに。
ルカミアは此方へ猪突猛進して来る。ルトとアリキソンは魔力を練り、来たるべき時に備え──
『今だ! 霜零餓狼!』
『グッ……!』
鈍い、轟音。両者の足元は崩れ落ちる。
鉄橋がバラバラに破壊され、破片がルカミアの体躯に突き刺さり、圧し潰す。同時にルトの魔術が氷で四肢を縛り付け、身動きを封じた。
アリキソンは崩れる足場から滑空し、暴風を纏ってゆっくりと狙いを定める。
風の流れを計算し、爆弾を投げるべき場所を。
「右、左、もう少し下……はあっ!」
投擲。黒い物体は吸い込まれるようにルカミアの首元と胴の間に迫り、小ささからは想像もつかぬ爆風を巻き起こした。
彼は臆さずに爆風の中へ突き進まねばならない。邪気で傷口が塞がる前に。
「参る──!」
もはや彼に迷いはなかった。
全ての懊悩と矜持を振り切り、ただ己が守るべきものを守るべく。聖剣はいっそう強い輝きを放ち、新たなる主人の誕生を讃え。
そして、黒煙の先に見た脈動する光。聖剣グニーキュの加護だろうか、魂の位置が見て取れた。
白刃に雷が宿される。彼の矮小な、されど決意を秘めたる体に風が宿される。
振り抜くは『正義』の一閃。己と、大切な人の命を守る剣。思うがままに、望むがままに、彼は彼のために最後の一撃を放つ。
「──【正義の剣】」
『グ……ソノ、カミナリ……アア、ああ……嗚呼アアアアッ!! ソウカ、オマエ……ガ……デ、ル……ィッ! ──!!』
一閃、永遠の闇を裂き……迷いを裂く。
紛うことなき、世にただ一つの正義であった。




