41. 収束への原理
同刻、クロイムは大師匠の命を受けてエブロへ到達した。
『これ、聖剣ではないか。あの碧天の小僧に持って行ってやれ。まったく聖剣を忘れるなど最近の若者は……』
と講釈を垂れる幼女を他所に、クロイムは聖剣を担いで首都へと駆け出したのだ。あれほど首都には近付くなと言っていた大師匠だが、流石に聖剣の置き忘れは看過できなかったらしい。
「いやはや、これはどういう状況だ? なんか魔物が大量発生してるんだけど」
建物の陰にコソコソ隠れつつ、彼はアリキソンを探す。ナリアの探知によると、彼もまたナリアの忠告を無視してエブロへ向かったとのこと。
なにやらヘリや戦車が遠方で動いているのが見えるが、シロハの軍隊は未だ魔王軍の奇襲に動揺しており、円滑な動きはできていない。じきに先へ進む道が封鎖され、クロイムが進むこともできなくなるだろう。
「っ……と!?」
覚悟を決めつつ飛び出した矢先、鋭い牙が彼の喉元を掠めた。牙狼がクロイムに狙いを定め突進してきたようだ。しかし彼は牙狼の動きをある程度見切ることに成功。
「なんか、やっぱりサーラライト国での一件以来、反射神経が良くなってるような……」
クロイムは無意識に器を転換し、女性体へと変身。
そして内側より魔力を引き出した。
「秩序の『衝動』──」
彼女の黒髪がたなびき、牙狼を突き飛ばす。撃退に成功。
「そう、これこれ。この一時的な爆発強化? たぶんこれがシレーネの言ってたやつだと思うんだけど」
自分の能力が未だに分からない。
記憶が戻ればだいたい全部どうにかなる。そう勝手に信じているのが現状。
今は自分の能力について考察している場合ではない。早いところ聖剣ぐにーきゅなる物を返還し、速やかに戦線から離脱する。それがクロイムの目的であった。
彼女は魔物との交戦を極力避けつつ、危険溢れる都市を進んで行く。
~・~・~
「──陛下、前です」
『うむ』
魔王の下へ駆けるルトとソニアの前に、一筋の斬撃が走る。
同時に天廊から飛び降りたのは黒き甲冑。
『お主は……見覚えがないな。ルカミアの手の者か?』
『我は五大魔元帥が一、『魔王』の右腕。名は無い』
黒き鎧の魔族は自らの内側より剣を取り出し、静かに刃先を魔族王へ向けた。殺意。ただ無機質に、ただ冷徹に……鎧はルトの道を阻もうとしている。
人間への憎悪から影魔族へ転じた魔族ではない、生まれ持っての魔王の手足。
「陛下、ここは私にお任せを。貴方はルカミアの下へお急ぎください」
ルトは頷き、黒騎士の先へ跳躍していく。
黒騎士は先へ向かおうとしたルトに斬撃を飛ばすが、ソニアの空魔術によって妨害される。
『…………ふむ』
「色々とお聞きしたいことはありますが、今は先を急ぎますので。無機物に身体を移した魔族の形態は珍しいですね。呪術で精神を隔離したのですか?」
『然り。この器こそ至高。魔族の弱点である感覚の一部遮断を完全遮断へ変換、神族と相違ない性能を得た。もっとも、地力は神族には遠く及ばぬが』
──この魔族は感情が欠落している。
魔物が心を持った存在が魔族である。しかしこれは理性を持ちながら、心や感情を失っているのだ。
ソニアは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべつつ、刃を構えた。
~・~・~
戦いが始まり、どれほどの時が経ったか。
何十分か、或いは数分か。
「魔刃・十六解」
ソニアの剣閃が舞う。闇の中、黒騎士とソニアはひたすら戦い続け……終わりが来る。
彼女の不死性を断つ刃は、確実に黒騎士の魂を粉砕。
『……我の敗北か。まあよい』
「まあいいって……今、あなたは死にかけているんですよ? 悲しくないのですか?」
『無論。ここで魔王を生還させることが我が身の役目。人の里へ蹂躙を繰り返し、消え、そして再び悲劇を呼ぶ。我らはただ繰り返すのみよ』
「どうして……どうして魔王は人里へ襲撃をするのです? 人間が憎いから? でも、それならもっと徹底的に文明を破壊すればいいでしょう」
魔王が不可解な行動を繰り返していることは、各国の議題にも挙がっていた。魔王軍は突如として人里に現れ、人類を死滅させるでもなく襲撃を繰り返す。
たとえ国の中枢機関を破壊できる状況にあっても、直前で撤退を繰り返していくのだ。人間を憎んでいるという名分を抱えながらも、彼らは犠牲をなかなか出さない。
『無論、人間を蹂躙するため。人間へ辛苦を強いることが魔王の望みであるが、こうして戦火を広げ続けることに意味があるのだ。戦火を広げるという目的は、どの魔将も同じ。全ては来たる厄滅に備えるべく、我らは『棄てられし──』へ捧げる混沌の力を……』
「──おしゃべりはそこまでにしてもらおうか、魔王の右腕。役目を終えたのならば大人しく散るがいい」
刹那、黒騎士の言葉を遮って火球が天より降り注いだ。
ソニアは咄嗟に距離を取り、燃え散る黒騎士を眺めていた。天より降り立ったのはフードを目深に被った男。さきほどルト達に魔王の居場所を教えた者だ。
【天魔】……彼はそう名乗った。
「天魔。あなたの目的はなんですか? なぜ同胞を殺すような真似を?」
「いやはや、人聞きの悪いことは言うものではないよ。私はあくまで死の間際にある友を介錯してやっただけさ。もう助からぬ傷を負った友が、苦しんでいるとしよう。人間も魔族も、苦しむ友を殺して楽にしてあげるだろう? それが優しさというものだからね」
不気味だ。彼はひたすらに不気味で、ソニアの警戒心を最大まで引き上げる。
「……ふむ、納得できないという顔だ。では、これは見たことあるだろうか」
天魔は懐より一つの宝玉を取り出した。
灰色にくすんだ光を放つ宝玉。ソニアは見覚えがあった。
「カラクバラが倒された時、リフォル教の大司教が持っていた物ですね。あれはイージアさんに託しましたが……」
「これはね、【混沌】だ。混沌とは生命の営みそのもの、世界の因果の片割れ。我らが争いを起こせば起こすほど混沌は蓄積し、より高次な存在へと近付くだろう。この宝玉の用途は自由だ。自らの強化、大いなる存在の喚起、機構の永続維持、封印の解除……無限の可能性が秘められているんだ。たしか忌まわしき邪魔者……リフォル教と言ったか。あれらはかつて無数の宝玉を注ぎ込み、安息世界の守護者を造ったようだ。もっとも、始祖によって呆気なく倒されてしまったようだが」
彼女には目の前の男の言葉が解せなかった。
話が抽象的すぎて頭に入ってこない。あまりに迂遠な言い回しで、天魔は何を伝えたいのか。
「六花の魔将の目的は【混沌】を集めることであると、おおむね一致している。死帝は例外とも言えるけれど。だから人は生かさず殺さず、絶滅させず。混沌を生む餌だからね……彼らは。それに……全ての生命を滅ぼす勢いで暴虐を振り撒くと、災厄に指定されて共鳴者の抑止力が発生してしまう。結局、私たちの主と言われている破壊神も神能を得るための舞台装置に過ぎず、厄滅のピースの一つに過ぎない。六花の魔将は各々の意思で世界を蹂躙する。そこに協調性など介在しないとも」
「何が……言いたいのですか」
まくし立てるように語る天魔を前に、ソニアは動く事ができない。
いや、正確には相手の気が掴めずにどちらの方角へ離脱すれば良いのか分からないのだ。まるで蜃気楼のように揺らめき、揺蕩う天魔の気配。
彼はふと口元を吊り上げ、フードの影からソニアを視線で射抜く。
「失敬、喋り過ぎたね。友の饒舌を諫めておきながら、私もこの調子とは情けない。では……失礼する。しかし……魔王もここまでか。まあ、便利な駒ではあったな」
天魔はそう言い残し、闇に溶けて姿を消した。




