40. たとえ彼が勇気を拒んでも
ゆっくりと、ゆったりと。
彼の瞳は暗闇に舞う紫紺を眺めていた。雷を貫き、闇の刃がアリキソンに迫っている。
自らを死へ運ぶ刃を眺めながらも、彼の思考は至って冷静だった。
──ここで俺は死ぬと。そう、自覚するのみである。
己が『最強』は打ち破られた。
生涯をかけて磨いた己の剣技と、最強の神能。全霊を以て打ち放った奥義は呆気なく突破され、そして斃れるのだ。
(……当然の末路か)
崇高な理念を持つでもなく、ひたすらに刃を振るっていれば。このような破滅が訪れることは必然であっただろう。
神から与えられた神能を人々を守るために使わなかった。報いを受けるだけだ。
鋭利な刃先が迫る。
「──無量風雲・遠雷」
声が聞こえた。そこに在るはずもない声が。
アリキソンの意識は散れ散れになり、死の間際で自我を失っていた。空中で分離する彼の意識は嵐と共に消える──寸前のこと。
彼の身を風の鎧が包み込み、ローダンの剣を電撃が弾く。
「っ……この技は……!?」
「どうして……どうして、あんたがここに居るんだよ……」
嵐を突き破って現れた男。
アリキソンの父、タイム・ミトロン。剣を交えていた両者は信じられないものを見るような目で乱入者を見た。
隻腕の英雄は立ち上がらない。それが万民の共通理解であったが故に。
「…………」
タイムもまた言葉に窮していた。
自分が満身創痍の息子を前にして何を語ればいいものか。語る言葉など持ちはしないが……
「……碧天の末裔、タイム・ミトロン。俺は息子を助けるために剣を取った。別に誰かを守るだとか、魔王を止めるだとか……そんなつもりはねえよ。うつ患者にそこまで求めてくれるな。さっさと立て」
アリキソンは額から流れる血を拭い、今一度眼前の光景を見上げる。
たしかに父が剣を持って立っていた。しかも彼の剣は騎士剣だ。騎士ではない彼が騎士剣を持つのは規則違反。
「いまさら、なんで来たんだよ……ずっと動かなかった癖に、なんで……!」
「言ったはずだ、息子に死なれちゃ俺が困る。自分のために来たに決まってんだろ。息子が親に守られんのは当然だ。それは何歳になっても変わりゃしねえ。バカ息子がバカみたいに悩んで、ウジウジして、自殺紛いのことをしたら……そりゃ親は守りに来る。……アリキソン、死ぬな。お前は死ぬな。もう誰かを守らなくていい、お前が辛いなら騎士だって辞めればいい。けど、死ぬな。俺のただひとりの息子として生きてくれ」
「──」
アリキソンは呆気に取られて父の言葉を聞いていた。
空中に散ってしまった自我が繋がれ、一つの意識を取り戻してゆく。ただ父の言葉を理解しようと必死だった。
「なるほど、アリキソンはよい親を持ったようだ。だが……」
ローダンは乱入者の想いに感心しつつも、なお剣を下ろさず。
「僕は魔王軍。邪魔者を逃がす訳にはいかないな」
「……分かったらさっさと行け、バカ息子! いいか、お前がどこへ行こうが勝手だが……死ぬんじゃねえぞ」
叱責を飛ばしながらタイムは未だ動かぬアリキソンを風で包み込み、彼方へと飛ばした。
遠くなってゆく父の背。彼はタイムとローダンが交えた剣閃を見つめながら、ひたすら父の想いを理解しようと必死になっていた。
~・~・~
魔物の軍勢をひたすら斬り捨てるアルス。
彼にとっては紙を斬るようなものだったが、際限なく現れ続ける魔物に辟易していた。
「これは魔王を倒さないと終わらないんだろうな。ルトにルカミアの不始末は片付けさせたいところだが……いつまで抑えていればいいものか」
魔王軍は大半がアルスとソニアの手によって防がれていた。シロハ軍も動いてはいるが、不慣れな魔王軍の奇襲になかなか連携が取れていないようだ。
彼が青霧で迫る魔物を一掃した時、上方から凄まじい気流を感知。上から降ってくる生体反応を風魔術で受け止めた。
「アリキソンじゃないか。傷だらけだね。窮地に陥って、他の人の風魔術で飛ばされてきたってところか?」
「っ……魔物に囲まれているのか」
「囲まれてるんじゃなくて、引き付けているんだよ。訂正してくれ」
アルスはそれとなくアリキソンの様子を盗み見る。
全身に傷を負い、魔力は枯渇。武器は損耗が甚だしい。これ以上の継戦は厳しいだろう。
「その調子だと僕と共闘も厳しいだろう。退路を切り拓くから、君はそこから撤退してくれ。いったん魔力や傷を回復してから応援に来ても遅くはない」
彼の言葉を聞き、アリキソンは目を伏せる。
先程父から伝えられた言葉が今でも響いている。ただ親としてタイムは剣を取った。
自分もまた、アルスのように気負わずに生きていいのだろうか。父が許しても、社会はアリキソンの無責任を許すのだろうか。
煩悶に囚われる彼の心とは対照的に、都市の戦いはますます苛烈なものとなっていく。アリキソンを獲物として定めた魔物を、アルスが目にも止まらぬ速さで斬り伏せた。親友の剣技は常軌を逸している。いつからアルスがここまでの絶技を振るうようになったのか、アリキソンには皆目見当もつかない。
「……分かった。魔王軍はどちらから来ている?」
「四時方向……ウインドフッドの方だ。魔物が濁流の如く押し寄せてきている。その先に強大な邪気がある……魔王だね」
アリキソンの視線の先には無数の魔物が映っていた。彼は傷付いた足で立ち上がり、そちらの方角へ進み出た。
「そうか。では四時方向へ退路を拓いてくれ」
「……それ、進路って言うんだよ。だが、君の進行を信じよう。友としてね」
アルスが見たアリキソンの瞳には、強い信念が宿っていた。まだ完全に懊悩は振り切れていないようだが、先日まで悩んでいた男と同一人物とは思えない。
「彗嵐の撃──『月煌』」
彼は青霧を放出し、魔王軍の方角にある魔物たちを一気に殲滅。
「すぐにあの道も魔物で埋まってしまうだろう。進めなくなる前に嵐の如く駆けるがいい、親友殿よ。君の目指す先は知らないが、行けるところまで行けばいいさ」
「ああ。生きて帰るよ。死なずに帰って生きて、俺の人生の続きを描こうと思う。……それが親父への孝行にもなるだろう」
アリキソンは僅かな魔力を奮起させ、嵐のように戦場を駆ける。
迷いを振り切るように、一つずつの歩みが彼の思考を澄み渡らせてゆく。
アルスは彼の姿を見つめながら、自らも戦友のために加護を贈与する。
「『調律共振』──君に加護を。英雄とは自ら望んで呼ばれるものじゃない。誰かの為に、或いは自分の為に、僕のように憎悪の為に……君が何の為に戦おうとも。望みを絶やさぬ限り、人は彼を身勝手に英雄と呼ぶだろう」
アリキソンの身体に魔力は満ち、傷は塞がっていく。
ずいぶんと遠くなってしまった友の背を見送り、アルスは微笑んだ。




