39. タイム・ミトロン
二十四年前。ルフィア王国首都、ルフィアレム。
「これより先、魔王軍は進ませんぞ! 嵐絶──『天雷』!」
碧天タイム・ミトロンは獅子奮迅の活躍を見せていた。
国内最強の騎士である彼は魔王軍を前にして退くことはない。凄まじい速度で戦場を駆ける彼は、もはや何者にも止められぬ嵐となっていた。
「その忌まわしき力……そこを退けッ! ニンゲン!」
悍ましい叫び声を上げて鬼が彼の前に立ちはだかる。
「鬼を思わせる容貌、邪悪な槍……お前が魔王か」
無数の魔物を従える悪しき人類の敵。
異常なまでの憎悪を宿した瞳で、ルカミアはタイムを睥睨する。
両者は睨み合いの末、剣と槍を交えた。
──戦いの様子は正確には伝わっていない。
ただし、碧天タイム・ミトロンは敗北。左腕を失った。以降、彼は一線を騎士から身を引き、次世代へと魔王との戦いを託すこととなる。
~・~・~
『父さん、その……今まで鍛錬とかしなくて悪かったな。一応、これからは俺もするよ』
すべては決意の言葉から始まる。
タイムの息子、アリキソンは一切合切の訓練を拒否する怠け者であった。自らの神能の強さに胡坐を掻き、七歳まで一切の訓練をすることはなかった。
彼を変えたのは、同じ四英雄の子孫であるアルス・ホワイトとの邂逅。
年下である子供に負けたという事実はアリキソンにとって衝撃的だったのだろう。アルスに敗北して以来、彼はまともに鍛錬を行うようになった。
「タイム、最近はお前の息子も立派になってきているじゃないか」
アルスの父、ヘクサムがルフィアに訪ねて来た際、彼は感心してアリキソンを褒めた。ヘクサムの息子は海外留学……龍島の修行へ行っていた時期である。
「ああ……まだまだ甘いがな。お前はアルス君と離れて不安じゃないのか? 俺だったら息子が心配で気が気でないが」
「もちろん心配さ。だが……あの子は俗に言う天才だからな。龍神様にも才能を認められたほどだ。きっとアルスは英雄になるぞ」
「ううむ……アリキソンはどうだろうな。立派な人間になれるだろうか」
タイムは頭を抱える。
以前のような狂暴さは鳴りを潜めたが、まだまだ息子は血の気が多い。冷静沈着なアルスとは対照的だ。アリキソンが歳相応の振る舞いであるのは当然のことだが、どうにも友人の息子を見ていると心配になってくる。
「きっと将来はタイムに代わる英雄となってくれるはずだ。俺にはアリキソンくんの秘める情熱が見えるぞ」
「情熱、ねえ……」
正直、タイムは仕事に対して情熱を抱いたことはない。
隣に立つヘクサムに負けじと勝負している時にしか、彼は情熱を感じない。アリキソンは誰かのために、万民のために熱意を持てるのだろうか。
息子の将来を案じながらも、彼は最後まで息子の成長を見守るつもりだった。
~・~・~
だが、タイムの願いは叶わなかった。
唐突にアリキソンは騎士を辞める決意をした。タイムが鬱で寝込んでいた時のことである。
原因は不明。アリキソンはなにゆえ騎士を諦めたのか。
精神的に追い詰められているタイムには、それすら考える暇はなかった。彼はアリキソンが騎士を辞退するという報を聞いた際、寝室で深く考え込んだ。
(今ミトロン家を支えてるのはアリキソンだ。アイツが騎士を辞めれば、この屋敷は持たなくなる。それに……)
今後、息子はどうやって生きていくつもりなのか。
有能な彼のことであれば様々な職に就けるだろう。最悪ファンからの支援で不労所得を得て生きていけるのかもしれない。
ただし、タイムが危惧したのは生計に関することだけではない。彼の心だ。
アリキソンは騎士という心の拠り所をなくして、タイムのように鬱にならないのか。勤勉な彼が仕事を辞めるなど、相当な心労があったのだろう。
或いは息子も、タイムと同じように仕事に情熱を持てる人間ではなかったのかもしれない。
「今の俺じゃ……無理だな」
彼は助言を息子に授けようかとも考えた。
しかし、日頃から息子に悪態をついてばかりの親の助言など誰が聞き入れるものか。自分は愛する我が子の助けになれない。
彼は溜息を吐くと共に、ベッドへ再び身体を沈めた。
ずっとこの調子だ。起き上がる気がまるで出ない。息子の危機に際しても、彼は動くことができなかった。
胸中ではこれ以上にないほど心配している。だが身体は動かず、鉛のよう。
「どうして俺は……こうなんだろうなあ……」
自分の何がうつを引き起こしているのか、まるで分からない。
ヘクサムの死か、息子との関係の悪化か、或いは……
震える右手で酒を飲み、彼は遠い昔を追想した。
(思えば、片腕をなくして騎士を辞めてから……自棄になっていた気がするな)
魔王に敗北し、彼は最強の名を失った。
当時はそれで構わないと思っていたが……毒のように少しずつ、敗北は彼の心を蝕んで行った。
アリキソンも先の戦で魔王軍の副官に敗北したと聞く。やはり武人にとって敗北は矜持を大きく傷つけるものなのだろうか。
──このまま放っておけば、息子もタイムと同じ道を歩む。
「お前は……そっちじゃねえだろ、アリキソン。俺を追って来るなよ……ああ、そうだ」
息子に自分の道を追わせないために、彼は重い身体を引きずって立ち上がる。
そして彼は息子を追うのだった。




