37. 手向け
嵐は嫋やかに、されど激烈に都市を駆ける。
暴風が地の魔物を消し飛ばし、烈雷が天の魔物を貫く。何人たりとも近付くこと能わず。
アリキソンは自らに暴威を宿し、ひたすら魔王軍の正面から突き進む。もはや魔力の残量など気にしていない。撤退に残す魔力など必要ない。
嵐を突き破り、彼の前に姿を現した者が一人。
「荒れているな、碧天。覚悟は定まったのかい?」
「魔王の副官、ローダン。無謀な覚悟は定まったが、残念ながらお前が望んだ崇高な覚悟は俺にない。問おう、なぜお前は俺に魔王軍の本拠地の場所を伝えた?」
「……この嵐の中であれば他の魔族も聞こえないか。僕はね、戦いは好きじゃない。誰かが死ぬことも好きじゃない。ニンゲンだって憎んじゃいない。だが、ルカミアの側を離れる訳にもいかないんだ。だからきみという英雄に責を押し付けて、どうにか侵攻を抑えてもらおうとしたけど……酷なことをしたね。きみは器じゃない」
ローダンはアリキソンの瞳を見つめ、自らの過ちを悟る。
前回アリキソンと剣を交えた際には、英雄の持つ光が彼の瞳に宿っていた。彼の迷いを晴らし、背中を押せば魔王軍の企てを阻止してくれるのではないか……そんな願いを籠めて。
しかし、今のアリキソンは凡人の目をしている。
王や英雄の器ではない目を。狂気に陥る前のルカミアと同じだ……ローダンは昔を思い起こす。たしかカラクバラに仕えていたルカミアも、彼のような瞳をしていた。
自らの主は【魔王】と呼ばれているが、王の器ではない狂気の傀儡。ローダンは嫌というほど知っているのだ。
「そうだな。お前の言う通りだったよ。俺は『誰かを守るため』に強さを求めていたんじゃない。英雄、騎士……そんな気高い性質ではなかったんだ」
「では、どうしてきみは剣を取る?」
「俺は自分を認めて欲しかった。アリキソンという個の人間が、誰よりも最強であると認められたかった。最初に友に負けた時からずっとそうだったんだ。自己顕示のために神能を振りかざし、自己肯定のために騎士という立場を利用していたに過ぎない。……いつしかそんな俺を取り囲むのは、俺を碧天と讃える人たちばかりになっていた」
最初から彼は間違っていたのだ。
アルスと出会い、強さに惹かれたあの一歩目から、アリキソンは道を誤っていた。友に惹かれず、あのまま偏屈に『誰かを守るため』の剣の道を拒み続けて入れば、今も彼は個の『アリキソン』として過ごせていたのかもしれない。
「……望んでいたはずなんだ。皆が俺を英雄と崇め、尊敬の眼差しを向けてくれることを。だけど、彼らは俺ではなく碧天という血筋だけを見ていた。当然だよな……碧天の力を使って地位を築いたんだから。友は俺の本質を見抜き、アリキソンに失望した。親は俺の表層を嫌悪し、アリキソンを忘却した。今の俺は抜け殻だ。故に──」
彼は剣をローダンへと向ける。
騎士剣でも、聖剣でもない只人の剣を。
「故に、遠慮なく俺を断つが良い。この空虚な生涯にわたる全力の剣戟を以て、『碧天』アリキソン・ミトロンへの手向けとしよう」
~・~・~
混迷のシロハにて、無数の魔力人形が躍っていた。
そして糸が切れたかのように、突如として人形は動きを停止する。魔力源が絶たれたようだ。
「魔刃・六解」
魔族王ルトの側近であるソニアは異常事態に際して動揺することはない。
慎重に魔力人形の動力源を見極め、魔刃にて切断していく。
「陛下。人形は千年前に使われていた、鋼の体表と白魔鯛の心臓を動力源としたもののようです。おそらく影魔族に落ちた人形使いの者で……誰でしたっけ?」
『からくり士のザーブだ。彼の作った魔力人形は演劇で子供たちを喜ばせていた。今見ても見事な出来だな』
ルトは魔族王として、自らが関わった魔族すべての名を覚えていた。
眼前の魔力人形も影魔族に寝返った者の道具で間違いないだろう。
「感心してる場合ではありませんよ。それと……向こうに見える影にお気づきですか?」
ソニアは魔力人形を屠りながら、遠方から迫る無数の影を見る。
彼女は露骨に嫌味な表情をしながらも、迫る影から目を逸らす気はない。カラクバラ……と同じ姿をした何かだ。殺気、邪気ともにカラクバラのそれには大きく劣るが、脅威であることには違いない。
『うむ。アレは我が滅そう。いかなる技術を用いているのかは不明だが、悪辣なものだな……ソニア、この場は任せる。人々の守護と退避を』
「承知しました」
ルトは風のように都市のビル間を駆け抜け、炎を放つカラクバラの複製体に牙を突き立てる。
同時、黒獅子の身体から霜が迸り、無数の黒狐を氷像と変えてゆく。戦場の一部始終を静観する影魔族は幻を見たかのような感覚に陥っていた。
「な、なぜ魔族王がシロハに……!? この国は魔国から遠く離れた地、まさか直接走って来たとでも……」
『その通りだ。お主は……うむ、覚えておる。たしか名はグライと言ったな。エプキスによって大傷を負ったカラクバラを命賭けで逃した勇気ある者よ』
「くっ……」
八重戦聖であるルトを退けることは不可能。
彼の前に立つ影魔族は分かりきっているものの、退くに退けない状況にあった。
『グライよ。お主は今でも人間を憎んでいるか?』
「……いや。カラクバラ様は死し、ルカミア様は二度と矛を構えぬとお誓いになられた。しかしルカミア様は狂気に陥り……今の私は、恩に報いるためにあのお方の下についているに過ぎない。腑抜けの魔族王よ、私はニンゲンを既に憎んでいないが……これは歪な忠義だ。故に、退かぬ。たとえ貴方が相手であろうとも」
ルカミアが狂奔に陥り魔王となった時点で、もはや魔族たちの軋轢の矯正は不可能。
ルトは悟り、自らに敵意を向ける影魔族を氷漬けにした。




