35. 忘れ物
「クロイム、ただいま戻りましたー!」
クロイムが勢いよく塔の中へ入って行き、一室の扉を開け放つ。室内は研究室のようだった。アリキソンはあまり魔導科学には明るくないのでなんとも言えないが、さながらルフィア王立研究室の内装のようである。
「遅い。あと、客人を連れて来いなんて言った覚えはない」
……少女、いや子供だ。歳は十を少し過ぎたくらいであろうか。
艶のある紺色の髪、ルビーの瞳。彼女の瞳からはとても年少者とは思えぬ理知が読み取れた。大師匠と言うからには、人間の子供の姿をした魔族なのだろうか……アリキソンは思考する。
「別に友達だしいいじゃないすか」
「お前は友達だからと言って店のカウンターの内側に他者を連れ込むのか? そんな無能は即刻解雇だな」
彼女の瞳がアリキソンの姿を捉える。
視線を受けた瞬間、彼は得体の知れぬ恐怖を感じた。
「お初にお目にかかります。アリキ……」
「帰れ。ここは立ち入り禁止だ」
挨拶を言い切るまでもなく、彼は退居を命じられてしまった。有無を言わさぬ態度、流石はクロイムが恐れる人物なだけはある。ここで退いては来た意味がまるでないので、アリキソンはもう一押し。
「ええ、しかしその前に一つお聞きしたいことが。貴女は首都エブロが危ないと仰ったそうですが……エブロは特に治安が乱れている訳でもありません。理由をお聞かせいただいても? 首都に私の知己が向かっている可能性もあるのです」
彼の言葉を聞き、少女は少し考える。
「ふむ……まあ話してもいいか。近々、エブロには魔王軍の襲撃がある。私は小型アーティファクトを魔王軍の本拠地に忍ばせていてな。奴らの作戦は筒抜けという訳だ」
「……サーサエ廃城に魔王軍の本拠地があることは存じ上げています。しかし、それを知っていてなぜ貴女は人々に警鐘を鳴らさないのです?」
「知らん。興味がない。私はお前のような正義漢ではないのでな」
突き放すように言い放つと、少女は部屋から出て行ってしまった。不機嫌にさせてしまっただろうかとアリキソンは不安になる。
襲撃があると言う情報は事実なのだろうか。だとすれば、ローダンという魔族が本拠地をアリキソンにバラした理由がますます分からなくなる。それでは魔王軍の襲撃を止めろと言っているようなものではないか。
「はえー……魔王軍の襲撃ねえ。アリキソンはやっぱり英雄だし止めに行くのか?」
「……いや。別に俺はシロハの人間じゃないし、無理に動こうとは思わない。俺の本分はあくまでルフィアの兵器となることだ。今はそれすらも放棄しつつあるが……っと、失礼」
話している最中に通信が入った。……アルスからだ。
正直、今のアリキソンはアルスと話すのが億劫になっている。躊躇っている間に何回かブザーが鳴り、彼はやむを得ず通信を起動した。
「……俺だ」
『ああ、アリキソンか。君は今どこにいるんだ?』
「どうしてそんなことを聞くんだ?」
素直にシロハに居る、とは答え辛かった。彼は魔王を倒しに来た訳ではないから。
騎士を辞めるために父を追ってシロハまで来たのだ。後ろめたい。
『いや、それがエブロでタイムさんと会ってさ。先日からアリキソンを探してるみたいなんだけど、見つからないから場所を電話して聞いてくれって言われたんだ。それで……』
──声が途切れる。
爆発音のような鈍い音が響いた直後、けたたましいサイレンの音が向こうから聞こえてきて……そこで通信が切れた。
アリキソンの脳裏に嫌な予感が過ぎる。エブロにはアルスと父がいて、そこには魔王軍が攻撃を仕掛ける予定だったという。まさか話を聞いた直後に襲撃があるなど……都合の悪い話はない、と思うのだが。
思うのだが……
「ん、アリキソン。固まってどうかしたのか?」
「いや、いや……なんでもない。俺には、関係ない。俺はもう……」
もう騎士ではない。聖剣に選ばれなかった凡人だ。
無意識に身体が震えていた。彼は咄嗟に腰に提げていた聖剣を鞘ごと地面に落とし、荒い呼吸を沈めようと空気を求める。
戦うことが怖い。たった一度の敗北と、たった一度の友からの失望で、人とはこうも容易く折れるものか。臆病者になるものか。
「具合でも悪いのか? 少し横になって……」
「いや……いい。いいんだ。俺はもう出て行くよ。あの少女に邪魔をして悪かったと伝えてくれ」
「お、おう! 分かった。気を付けてな」
~・~・~
「というわけで、アリキソンは帰りました。あいつ、最後具合悪そうでしたよ。大師匠が雑に扱うから……」
「喧しい。赤の他人を連れ込むお前が悪い。しかし……アリキソンか。当代碧天の名前だったか?」
「そうです。あいつは凄いんですよ。俺がピンチになった時も一瞬で助けてくれて……あの時俺が死んでたら、シレーネの荷物を大師匠の下へ届ける人もいなくなっていた訳です。間接的にあいつに感謝しときましょう」
「シレーネと同じで相変わらず口の減らんガキだな。まあ、昔もそうだったが……」
ぼそりと呟いた大師匠……ナリアの声はクロイムには届いていなかった。彼女はクロイムの正体がジークニンドであると知りながらも、真実を伝えてはいない。
どうやら記憶喪失のようであるし、無理に知識を詰め込んでも混乱するだけだと判断してのことだ。
「なんかやることあります?」
「掃除でもしておいてくれ」
「了解です」
研究室を出たクロイムは、先程までアリキソンと共にいた部屋へ戻る。そして大師匠の命令通り掃除をしようとしたのだが……
「あ、剣落ちてる。これってアリキソンのだよな……忘れ物とはお茶目なやつだぜ。危ない効果がある魔剣とかかもしれないし、一応大師匠に預けておくか」
彼に剣の判別はつかないので、とりあえずナリアへ預けることにする。この剣が炎を発する魔剣などであれば火事になる可能性もある。
そして彼は聖剣グニーキュを大師匠の下へ運んでいくのだった。




