29. 最弱の英雄
先に動いたのはアリキソンの方だった。
相手のローダンは明らかに強い。彼がどれくらい持久戦が可能なのか分からない以上、魔力量の少ないアリキソンは短期決戦で挑む必要がある。
「嵐絶──旋風斬!」
嵐を拡散し、力任せに一閃を振り抜く。
神能『嵐纏』は攻防一体の能力。雷を時に刃に、烈風を時に鎧に。
ローダンの双剣がなぞった銀閃を風圧で往なし、雷の糸を練って斬撃を飛ばす。
「ふっ!」
──『なるほど、不味いな』。アリキソンは一瞬にして危機を悟った。
ローダンは勢いよく足を踏み込み、迫った雷を身体に宿した上で地面へ逸らした。魔族はある程度の感覚遮断が可能という性質を活かした、強引な対処。
「強い剣だ。きみの剣は速く、鋭い。だが……」
ローダンの姿が消える。正しく言えば、アリキソンの視線から逃れた。
生み出された嵐を利用し、巻き上がった瓦礫を足蹴りにしてアリキソンの眼前へ。咄嗟に瓦礫を避けた頃には、彼の視界からローダンの姿は消えていた。
背後。いや、違う。
真横、左──
「チッ……!」
咄嗟に刃を左方へ振り抜き、髪を掠めたローダンの剣を回避。耳元で鋼同士が衝突する甲高い音が響いた。雷を扱う以上、既にアリキソンの聴覚は保護してある。問題ない。
ここで退いてはならない。なおも一歩踏み込み、剣を振り抜いたローダンの懐へ潜り込む。
双剣の弱点は取り回しが悪いこと。両手が塞がっている分、攻撃後の隙が大きく回避行動が遅れる。
「凩之太刀!」
刺突と共に突風が駆け抜ける。
ローダンの腹部に抉り込んだ剣身が、彼の背中から突き抜ける。アリキソンは即座に剣を引き抜き、反撃を食らう前に後退。
「なる、ほど……雷速の攻撃と撤退……素晴らしい一撃離脱だ。長年剣を振ってきた僕でさえも追い切れない。けれど……」
ローダンの腹部は邪気によって再生する。魔族は不死。
不死断ちの刃を浴びせぬ限り、魔族は倒せない。大きな隙が生まれれば、不死断ちの魔力を宿せるのだが……
「……軽いな。なあなあで過ごしてきた剣の重さだ。きみはなぜ剣を振る?」
「…………無論、民を守るため。碧天としての責務だ」
「嘘の剣、不忠の刃。君が抱えるものは軽薄な刃だ。碧天よ。僕はニンゲンを憎んでいないが、魔王軍に属している。戦いは望んでいないが、戦っている。それはなぜか分かるか?」
戦いを望んでいない。
アリキソンだってそうだ。平和な世であればいいと思う。碧天の出番などない世であればいいと思う。
だが実際問題、眼前の魔王軍のように不穏の種を蒔く者がいる。だから剣を取る。
「僕はね、魔王……いや、かつて友であったルカミアに忠誠を誓っているんだ。たとえアイツが狂えども、僕は友のために戦うのさ。きみにはここまで強い意志があるか?」
「……知らん。お前らが無辜の民を傷付ける限り、俺は人の守護者であり続ける。あり続けねばならない。無用な問答だったな」
心の奥底では気がついている。ローダンはアリキソンを導こうと剣を振るっているのだと。
それでも彼は英雄だ。彼がどれだけ否定しようとも、英雄となる。だから敵を殺すためだけに……戦え。
魔力が次々と減っている。早く決着を。
彼は素早くローダンの横へ跳び、袈裟懸けに斬り出す。やはり片方の剣で彼の攻撃は防がれてしまう。
おそらくローダンはアリキソンの姿を完全には捉えられていないが、殺気と魔力の動きを敏感に捉えている。だから攻撃を防げているのだろう。
「はあっ!」
身を捻ったローダンは、もう一方の剣で離脱したアリキソンに追撃を仕掛ける。
飛ぶ斬撃。相変らず強者は斬撃を飛ばしてくるものだ。距離を取ったにも拘わらず、眼前まで迫っていた銀の一閃をアリキソンは屈んで回避。
いつまでもローダンに近寄れない。近付いたとしても、不死を断つ大技を浴びせる余裕がない。
早期に決着を……焦燥に満ちた考えがいつまでも彼の脳内を支配している。
まずは敵の動きに集中しなくては。アリキソンが懐に触れると、硬い感触が指先に伝わった。アルスから用意してもらった、対魔族用の銃。
これでローダンを貫けば、大きな隙を突かずとも彼を倒せる。しかし魔道具の射出を歴戦の魔族に命中させることは、下手すれば剣で斬るよりも難易度が高くなるかもしれない。
どちらにせよ……やるしかないか。
アリキソンは再び駆け出す。目指す先はローダンの喉元ではなく、玉座の間の隅。
「何をする気か知らないけど……させないよ!」
双剣の斬撃が飛来。背後より迫った二の銀閃、片方は嵐の鎧で捌く。
そしてもう片方は──
「……っ!」
アリキソンの左腕を掠め、筋が大きく抉れる。構わない、覚悟の上だ。治癒魔術で治せるのだから。
目的の地点へ辿り着いた。一気に柱を駆け登り、身を翻す。ふわりと全身を襲う浮遊感。彼の眼下には、油断なくこちらを見据えるローダンの姿があった。
「嵐絶──」
嵐を身に宿し、線をなぞるように剣閃を見極める。
速度は此方が上、手数は彼方が上。互いの剣の材質は変哲のない魔鋼。ならば。
其の身は落雷。雷が如し。
魔鋼を伝播する雷糸、落ちゆく身をすべて計算に入れた上で、渾身の秘奥を叩き込む。
「──『紫電真風太刀』!」
明滅、轟雷。
天上より全空間を伝播した紫電が降り注ぐ。逃れる場所はない。
凄まじい雷が迸り、ローダンの全身を絡め取る。魔族は感覚の完全遮断は不可能。これほど強烈な雷撃を浴びせれば、まともに動けないはず。
「終わりだ!」
ローダンは案の定まともに動けていない。
彼の身体は痺れ、銃弾を回避することはできない。魔道具を構え、迷わずトリガーを引き──
「──【呪術幻影】」
「ッ!?」
刹那、アリキソンの視界には『人』が見えた。
誰でもない、知らない人だ。普通の服装、普通の容姿。
彼は思わず銃口を逸らしてしまった。
あらぬ方向へ光の銃弾が飛ぶ。分かっていた、幻影だ。分かっていたはずなのに──
「やはり若いよ、きみは」
背中に激痛が走った。
ローダンの剣がアリキソンの背を斬りつけ、気が付いた時には既に彼は納刀している。
「か……はっ……」
アリキソンは膝から崩れ落ち、倒れ伏す。痛い、熱い。
背中に炎がついているようだ。だが、耐えろ……まだ敵を倒していない。
立ち上がれ……ない。
力が入らない。彼は、勝たねばならないのに……
「きみは戦う理由を『誰かを守るため』とした。故に、幻影を見て戸惑って……僕を倒し損ねた。守る意志こそがきみの強さであり、最大の弱さでもある。きっと『誰かを守るため』という理由は、きみの闘志の源泉ではない。だからこうなった」
ローダンの言葉が耳に届かない。
たしかに脳に刻まれているのに、意味を理解できない。アリキソンは、立たねばならない。再起だけを考え続け──
「哀れな英雄よ。せめてきみに情けをかけてあげよう。本当の魔王軍の拠点はシロハ国のフロンティア、サーサエ廃城に。だが、きみが理想に縛られている限り……そこへ至ることは叶わないだろうね。次に会う機会があるのかどうか……未来はきみの心が物語る」
閉じゆく意識の中、最後に響いた言葉を彼は記憶へ焼きつけた。




