21 罪・衝動・炎
「いいか、シレーネ。私が視るにお前の痣は……罪だ。おぼろげな伝承ではな、その紋様は特別視されているが、悪い意味での『特別』だ。お前が生き続ける限り、信念を捨てぬ限り、痣はお前の罪として宿り続ける」
「では……師匠。もしも私が絶対に。絶対に強靭なる精神を以て歩みを止めないとすれば……私の役目もまた終わらないのでしょうか。死ぬこともないのでしょうか」
「ああ。だが、お前が一歩を歩む旅に、お前の魂は焼き焦がされるだろう。それでもなお……お前は罪過を背負う罪はあるか? 罪神の生き写しよ」
「無論です。だって私は、お姉様を助けなければなりませんから」
「……では、お前を送り出そう。私にすら果たせなかった楽園の星見を託して……」
~・~・~
全身をリグスの炎で包まれたシレーネ。彼女は無残にも膝から崩れ落ち、腐葉土の上に平伏す。クロイムは惨禍の光景を見るや否や、無意識に足を前方へと運んでいた。
たった二か月ほどの付き合い。それでも記憶喪失のクロイムが最初に出会った人であり、彼にとってはかけがえのない人だったのだ。
「あああああああっ!」
「邪魔だって……言ってるだろ!」
無謀、蛮勇。まさしく彼の取った行動は愚行に他ならない。
大きく跳躍し、リグスへと蹴りを叩き込む。あっさりと彼の蹴撃は受け止められ、中空に彼の身体が回転。
無様に投げ飛ばされながらもなお、彼の心は激情に染め上げられている。故に、感情を失った人形のように。眼前の炎精のように度を失って。立ち向かい続ける。
「秩序の『衝動』──」
刹那、リグスの動きが止まる。
狂奔に陥った彼女でさえも、その瞬間には理性の欠片を取り戻した。
邪気が満ちている。いや、クロイムの体から発せられている。
呼気を重ねるほどに彼の身体は暗黒に包まれ、リグスの視界で彼の姿は捉えられなくなってゆく。やがて煌々と燃え盛る炎の中に、暗闇が満ちた時。突如として暗闇は晴らされた。
「ッ……!? なんだ、お前……!?」
女性。黒髪の女性が立っていた。
彼女は先程までクロイムが発していた邪気と同質のものを放っているが、その濃度は桁違い。リグスが放つ邪気と彼女が放つ邪気は相克し、森はますます暗黒へ染め上げられる。
「……」
暫定、クロイムと思われる少女は地を蹴る。凄まじい速度でリグスに迫った。
速い。先程まで素人のような足取りで逃げていた男とは思えない。彼女の目には理性の光がなく、衝動のままに暴れ回っているだけのようだが……それはリグスも同じこと。両者は同じ土俵に立っている。
「どけ……退けよっ! なんなんだよお前は! アリス様の下へボクは行くんだ……邪魔を、するなァ!」
リグスの視線を右へ左へ躱しつつ、クロイムは間合いを詰める。そして木の根を踏みつけて身を捻った。鋭く打ち出された水平蹴りはリグスの左腕を強打。
「っ……」
彼女は迫るクロイムに短刀を投擲。鍛え抜かれた精度の高い投擲は寸分たがわずクロイムの腹に深々と突き刺さる。
だが、出血痛み何するものぞ。今の彼女は衝動の真っただ中。痛覚で止まるほどの理性は残っていない。
「ぬぁあああッ!」
「ああああッ!」
二人の狂人が激しく衝突する。
炎が突風でさらに燃え広がり、なおも邪気は衰えず。どちらかの命が果てるまで、相克は終わらないかのように思われた。
「わが原罪よ、暗澹たる邪を払い給え。遡源鼓動」
戦場に変化が訪れる。
まず、少女の形をしたクロイムは意識を失う。そして彼女から放出されていた邪気が霧散。
同時にリグスが放っていた炎の威力が減衰する。
「呪炎ですか……さすがは神能、厄介なものですね。そしてクロイムさんがクロイムちゃんに……これは原因不明ですが、まあいいです。そっちに片付けておきましょう」
シレーネは意識を失った少女クロイムをリグスから遠ざけ、改めて向かい合う。
「どうして、生きている……やはりお前は……いや、あなたはアリス様……?」
「何度真実を告げようが、もはや届かないのですね。では眠りなさい。既にサーラライトの身を捨てた私ですが、せめてあなたには安らかに眠って欲しい。さあ、終わらせましょう」
シレーネは邪気を分解する能力を持つ。外界に飛び出した後、魔道具を習った師から受け継いだ技だ。クロイムの邪気を払い、理性を取り戻させたのもシレーネの技によるもの。
しかし。そんな彼女の能力を以てしても、リグスに染み付いた秩序の神能は剥がせない。もはやリグスは傀儡となっており、元の人格へ戻ることはない。それは遺跡の奥で眠るアリスも同様で……シレーネは嫌というほど真実を理解していた。
「我が身は現身、我が名は罪。かつて人は願い、人は移ろい、そして墓標を立てた。ついぞ忘れることなき理想の罪過を刻め。大いなる原罪を司りし死せる神よ、今一度蒙昧なる我が身に意志を授け給う」
彼女の詠唱と同時、再びオーラが満ちる。
リグスはどこか懐かしくも見覚えのない光景に、ひたすら狼狽していた。
「ああ、アリス、様……」
それはサーラライト族の王族のみに継承される、オーラの力。懐かしきアリスの光。
されどシレーネの波動は、神能によって強化していたアリスのオーラすらも遥かに凌駕し、天へと轟く。
神々しい……狂人となったリグスが抱いた、率直な感想。狂気を蒸発させ、理性すらも呑み込むかのような抱擁。
「──受贈、罪神クラヴニ。我が魂を糧とし、悠久の裁きを」
眩い光が炎を、邪気を薙ぐ。
狂気に満ちた瞳は光を見つめ、宝石のような輝きを取り戻し……
「……ああ、シレーネ様。我が不敬をお許しください。アリス様、ボクも今そちらへ……」
リグス・フ・アズライとしての生涯を終える。




