17. 愚王と姫君
サーラライト族は現在、とある悪しき『風』に苛まれている。
『風』は俗に『腐食の息吹』と呼称され、大霊の森の奥深くから流れ込む。腐食の息吹に中てられた木々は腐り落ち、人体の命をも蝕むと言う。死滅の影は徐々に広がり、やがてサーラライト族を一人残らず腐らせてしまうだろう。
……以上がイージアがサーラライト国王より聞かされた話だ。
そして問題をどうにか解決して欲しいとも。これがアリスの契約と関係しているかどうかは分からない。とにかく、腐食の息吹を神気で払うことができるがどうかは定かではないが、まずは行ってみなければならないだろう。
イージアは瘴気が広がる森へ向けて歩き出した。
~・~・~
翌日、起床したクロイムはラスに尋ねる。
「そういえばラスさんって兵士なんですよね。閉ざされたこの国で、軍隊って機能してるんですか?」
「いえ、武力に関してはほとんど機能していませんね。時折迷い込む魔物を討伐したり、治安を維持したり。それくらいなもので、兵士の採用人数も毎年かなり少ないです」
「へえ……何か俺に手伝えることはありませんか? 一宿一飯の恩返しということで」
「うーん……そうですね。別に困っていることはないのですが……ああ、そうだ。姫様が壊した結界の補修工事をこの後する予定なのですが、お手伝いしてもらっても?」
「もちろんです!」
工事の手伝いくらいなら容易いことだ。
シレーネが壊してしまった結界が直るのかどうか……クロイムの知るところではないが、とにかく穴を埋めろと言うことだ。
ラス曰く、穴から外界の魔物などが入り込む危険性があるらしい。たしかに穴の補修は急務と言えるだろう。
彼はラスに続き、サーラライト国の外縁部へ向かって行った。
ラスに連れて来られたのは、森の外縁部。
クロイムが駆けて来た平原に面する場所で、結界の付近だ。そこでは何人かの兵士が木材を抱えて動いていた。
「これは?」
「姫様が結界に穴を開けてしまったので、塞ぐ作業をしているのです。木材で簡単な防壁を作る程度ですが。魔物が出る魔領と隣接しているので、魔物が入らないように塞がないといけないんです」
結界に開けられている、家くらいの大きさの穴。そこに木材のバリケードが積み重なり、半分ほどを塞いでいた。
「木材で塞ぐんじゃなくて、結界をもう一度張ることはできないんですか?」
「ええ。この結界はかつて大いなる神が創られたものですから。我々に作れる物ではありませんね」
神が創った結界を破壊するとは。
そういえば、シレーネ工房の地下室で神の結界すら破る槍とかいうのがあった。シレーネはこの結界を破るために研究を進めていたのだ。
「俺も木材を運べばいいんですね?」
「はい、その通りです。お願いします」
クロイムは荷物置き場に鞄を置き、木材置き場へと向かう。
あくせくと働く兵士たちに交じって、彼も身体を動かし始めた。力仕事を普段しない彼にとって、小さな木材を運ぶのもなかなか骨の折れる労働だ。
「よお兄ちゃん、外から来た人だってな。悪いね、手伝ってもらって」
運搬中のクロイムに並び、体格の良い兵士が話しかけてきた。
「いえ、大丈夫です。魔物が入って来たら大変ですし」
「そうそう。うちの国じゃ、結界に守られて魔物と戦うことすらなかったから……戦闘が苦手な兵士ばっかりさ。シレーネ様は何を考えて穴を開けたのか……」
その時。穴の付近で櫓の上にいた兵士たちがざわつき始めた。
金槌で木の板を打ち付けていた兵士たちも、何やら剣呑な雰囲気を放っている。
「森が、燃えている……!?」
「火事だー! 火消を呼べ!」
兵士の叫びに、場に居た兵士たちは戦慄する。
外界から次々と炎が昇り、黒煙が立ち込めていた。穴を塞ぐものが木材である以上、炎を防ぐことはできない。
最悪のタイミングだ。なぜ外部で、よりにもよってこんな時に山火事が。
「っ……火の元はなんなんだ?」
「わかりません。しかし、水を持ってこなくては。クロイムさんもこちらへ……危ないっ!」
傍にいたラスが突然叫び、クロイムを抱えて跳躍した。
直後、上空から燃え盛る木材が降ってきた。穴を塞いでいた木材が倒壊し、次々と崩れ落ちてゆく。大きな鈍い音が地上へ響き渡る。
まるで炎が一瞬にして穴の下へ転移したかのようだった。
炎中、黒煙下。
響いた声はいやに鮮明に、涼し気に。されど苦悶に耐えるかのように反響した。
「ああ……熱い……こちらへ、こちらへ……アリス様が……いるはずなんだ……姫様は……」
炎より姿を現した女性は、真紅の瞳で虚空を見つめてふらつく。
彼女の姿を見た瞬間……ラスは亡霊でも見たかのように呟いた。
「嘘だろ……リグス……?」
~・~・~
サーラライト王城、玉座の前にて。
シレーネは父王ルベリス・ル・ラフィリースと向かい合っていた。
「シレーネよ、此度の愚行……民からは快く思われてはおらぬ。お前の意志は分かる。一刻も早く結界を払いたいと言う意志も私と同じ。しかし、まだ我慢してくれぬか」
「お父様はずっとそのように仰られます……いつ認めて下さるのですか……いつ……」
彼女は目を伏せる。
怒り、屈辱、憐憫。様々な感情が彼女の碧の瞳に入り混じる。
「お姉さまは、ずっと苦しんでいるのです! 今、こうして私たちサーラライトがのうのうと生きる間も! 親として、家族として、恥ずかしくはないのですか!?」
「……もっともな誹りだ。耳が痛い。されど……王として考えるべきは、民の命。いずれアリスは救う……しかし、まだ……できぬ。イージア様にも協力を仰いだ。今は辛抱を……」
父の言葉に、シレーネの頭は激情に染まる。
憤懣を抱えながらも彼女は冷静さを失わず。決意を持って告げた。
「私は必ず、結界を破壊します。その為に人里へ出て、技術も学んだ。私はサーラライト王族の血を継ぐ者として、お姉さまの解放も、民の命の守護も……どちらも成し遂げます。私はあなたのような臆病者ではない。愚王には分からないでしょう、私の意志は。たとえ誰が相手でも……次に邪魔をするのならば私は敵となりましょう。先のように無抵抗で拘束されるほど、私は弱くありませんから」
シレーネは父王に罵声を浴びせ、踵を返した。
王は黙して娘の後ろ姿を見つめるしかなかった。




