36. たとえ君が愛を忘れても
《Xuge》を超えること。
それが、己の可能性を開く道となります。今は分からなくても、遠い未来に……きっと、試練を乗り越えた記憶があなたを助けることになるでしょう。
アルスさん、あなたはまだ知らないかもしれません。貴方の未来の《Xuge》を災厄と変えてしまったのは、私の傲慢のせいかもしれません。
……どうか、私を赦して。赦して、前へ進んでください。
「全てを取り戻しましょう。……『解放の勇者』」
あなたならば、私と同じ……いいえ、私よりも素敵な色を見せてくれるでしょう。
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ノアの魔術によって、僕に力が注ぎ込まれる。
これは……何の力だろう? 混沌でも秩序でもないような……
「アルスさん。今から私とエンドさんで彼の動きを止めます。そうしたら、貴方は持ちうる全ての力を以て……彼の魂に『接続』して下さい」
「……『接続』? それはどうすれば……」
「先程、貴方が災厄のアルスさんから、何かを注ぎ込まれるような事をされたでしょう? それと同じことを彼にやり返すのです。……大丈夫、あなたならできますから」
ノアがそう言うのなら、きっと大丈夫。彼女は天才だからね。
それに、エンドも居る。ここまで心強い仲間は居ないくらいだ。
「分かった……行こう!」
エンドとアルスが戦う戦場へ、僕らも斬り込む。
怖くない、僕は僕を信じているから……あの《Xuge》だって僕の一つだ。自分を恐れる必要なんてない……僕の未来が災厄だと言うのなら、それも受け入れよう……!
「はあぁあああッ!」
『無駄だよ! 君の邪剣でも僕には届かない!』
無数の茨と神気・邪気がアルスの身を守る。エンドはそれをひたすらに斬り続け、千日手の状況が続いていた。
そこに、一縷の希望が射し込む。
「動きを制限します、『究極予言・右の陣』」
アルスを無数の魔法陣が取り囲み、本体と茨の動きを拘束した。
『なっ……! もう魔術法則を直したのか!? クソ、ならばもう一度……』
「させるか!」
再び精神世界の魔術法則を改編し、拘束から逃れようとするアルスに、エンドの邪剣が迫る。茨を動かせない彼は、神気の結界を展開することにより、邪剣の攻撃を凌ぐことにリソースを割く。
その隙に、僕が走る。目指すは災厄アルス。
「アルスっ!」
『ッ……君の攻撃じゃ、傷一つ付けられない!』
急接近してきた僕にアルスは怯むが、彼は僕を排除せずエンドの攻撃の防御に徹した。
不完全な共鳴の攻撃力を気にしていないのだ。事実、彼の言う通り僕の攻撃は効かない。
でも、僕がしたいのは攻撃じゃない。
『!?』
彼の手を掴む。さっき僕がされたのと同じように。
そして、流し込む。『僕』を。
彼の魂は酷く濁っていて、ヘドロのように黒く淀んでいた。それでも、その最奥に魂を『接続』させる。
『は、なせッ……!』
彼はノアの拘束で動けない。
僕は魂を接続し続ける。僕の魂が悲鳴を上げている。
「離さない……! 僕は、君だから! 君は、僕だから! 君が、災厄アルスが、僕の未来の《Xuge》だって言うのなら、君を受け止めて、僕自身の手で終わらせてやるんだ……!」
『ふざ、けるな……! まだ何も知らない、知らない君が……!』
「知らないから、これから知っていくんだ! 絶対に、君を止める……諦めるものか……!」
《──どこで、間違えたのか。
生まれた瞬間からだ。僕が創世主との共鳴者として生まれた瞬間から、間違っていた。
だから、眠ろう。見ないふりをして。
君は……僕の《Xuge》は眠っておいてくれ。よく頑張ったよ。
あとは、僕の仕事だ。愛に報いよう、歪な形でも》
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ここは、どこだろう?
きっと、彼の……災厄アルスの魂の深奥だ。
いつしか僕の身体は子供に戻っている。
目の前には、ホワイト家があった。
僕が知っているホワイト家よりも少し壁が煤けているかな。何年か後の壁だ。
「入っても、いいのかな?」
自分の家に入るのを躊躇うのもおかしな話だけど。
僕は意を決して中へ入った。やっぱり、何の変哲もない我が家だ。
廊下の先……リビングから笑い声が聞こえる。導かれるまま、僕はその部屋の扉を開けた。
──僕だ。また、大人の僕が居た。
今日だけで一体何人の自分に出会っているのだろう。
彼は椅子に座って、マリーと、レーシャと、知らない紺色の髪の女性と、緑髪の男性が談笑している。
僕に向けられた視線は、アルスのものだけ。他の人達は僕が視えていないかのように、話を続けていた。
『……みんな、ちょっと席を外すよ。すぐに戻る』
アルスは僕を不思議そうに見つめ、ついてこいと視線で物語った。
そして、外の庭に出て行く。
僕はそれを追い、二人きりで相対した。気付けば身長差がすごいことになっていて……この魂の深奥に来た時から、僕は子供に戻っていたようだ。
アルスは屈んで僕と目を合わせてから、微笑んだ。
『ええと……君は……僕、なのかな? 子供のようだけれど……なんとなく懐かしい気がする』
正直、困った。
目の前の彼は、とても柔らかく微笑み、災厄アルスのような邪気は一切感じなかったからだ。まるで……虹の扉に居た先のアルスのようだったからだ。
「えっと……なんと話せばいいのか。僕はアルスです。急な質問をしますが……未来の僕、つまり貴方は、自分がどのような存在か分かっていますか?」
『どのような存在か……ね。僕は僕だよ。霓天で、バトルパフォーマーで、共鳴者で、ええと……すごく良い人さ!』
彼は歯を光らせて笑いかける。
やはり、彼の魂の奥底では……自分が災厄になったことに気が付いていない。
これは、殻だ。幸せな自分を閉じ込めておく為の。
「ごめんなさい、短刀直入に言います。今、世界は貴方の手によって滅亡の危機に瀕している」
『それは……どういうことだ? 災厄は全て倒したはず……エンドも救えたし、僕の宿命も断ち切った。……分かった! もしかして、君の世界が災厄の手によって滅びようとしてるんだね。こんなに僕が幼い時期に災厄が出現する世界線もあるのか。僕でよければ、力になるよ。きっと相手は第十三災厄『ランフェルノ』で、君はまだ共鳴できていないのだろう?」
彼は真実を伝えるのが躊躇われるほど、素敵な人だった。
でも、僕は……僕自身の為に、もうひとりの自分の為に、真実を宣告する。
「共鳴には、成功している。そして、敵は……災厄『アルス』。僕の未来の《Xuge》が、災厄となって過去の僕の世界を滅ぼしに来た」
彼は何を言われたのか分からないようで、表情を曇らせる。
『ええと……もう少し、詳しく説明してほしい。幼い頃の僕はしっかり者だからね……嘘を吐くとも思えないし、ちゃんと話を聞くよ』
そして、僕は語り始めた。
晴天の試練に挑んだこと。虹の扉でのこと。白の扉でのこと。黒の扉でのこと。そして、災厄アルスの魂の深奥がここであること。
「……だから、僕はここに来た」
この世界で僕がどうすれば良いのかは分からない。でも、目の前の彼が答えを握っているのだろう。
彼は僕の話を聞き終えると、目線を合わせて屈んでいた身体を立ち上がらせ、僕を見下ろした。
それから、
『……ありがとう。今、全てを思い出したよ。結局……僕は護れなかったんだな』
彼は僕の頭を撫でた。涙を流しながら。
彼が今何を想っているのか、何を経験してきたのか……それは知らない。彼は僕であっても、僕じゃないから。
『僕は……私は、《Xuge》と向き合えないまま。心の中のこんな世界に溺れて……世界を護ることを放棄してしまったみたいだ。大丈夫だよ、アルス。君の世界は……未来は、私が護る』
──世界が崩れていく。
断片となって、欠片となって周囲の景色が壊れていく。
「その……君は、苦しんだと思う。たくさんの悲しい感情が、災厄のアルスから流れ込んで来たんだ。だから、」
『だから、こうなったのも無理はない……か?』
彼はまるで過去の自分のことなど見透かしているように、言葉を紡いだ。
僕が言おうとしていた言葉、そのままをトレースして。
『駄目、なんだよ。君はもう《Xuge》と向き合っているから余計な心配だと思うけど……私みたいにはならないようにな。レーシャにも、申し訳が立たないな……この様は。かっこ悪いな、私は……』
彼はまぶしく、されど悲しく笑う。
『それじゃあ、アルス。どうか君は世界と、愛と……何より自分を護れるようにね。ありがとう……』
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魂の接続が途切れる。
僕は意識を取り戻すと同時、咄嗟に手を離した。
『グ……ああああッ!? なんだ、何かが、溢れて……!?』
急に、災厄アルスが動きを停止した。
エンドは邪剣を振るう手を止め、ノアは拘束を解除。
僕の目の前では、アルスが悶え苦しむように膝をついて苦しんでいた。
「これは……一体?」
「私には何があったのかは分かりませんが……アルスさんが魂の深奥で何かをしたのでしょう」
「僕は……何もしてないよ。ただ真実を伝えたまでだ」
茨が消滅し、みるみるうちに彼の力が弱まって行く。
いや、彼自身の邪気と神気が相克して、消滅し合っているのか。
『なぜ……なぜ、今になって出て来た!? ずっと幸せな夢を見ていれば良かったものを……! どうして、どうして奴に殺されてもなお、世界を護ろうとする!? なぜ……!』
きっと、邪気を操っているのが災厄のアルスで、神気を操っているのが、魂の底に居た僕。
同じ魂に居た二人だけど、彼らは別々の《Xuge》だ。
『僕は……僕は……! 災厄の力を手にしたって! あの娘も、ロールだって守れなかったじゃないか……! もう、無いんだよ! 愛に報いる方法が、奴を殺し続けることくらいしか……!』
僕には分からない。
彼が今何を想っているのか、何を言っているのか、何を経験してきたのか。彼は僕であっても、僕じゃないから。
『………………………………』
そして、永遠にも近い刹那の時が過ぎた。
彼は黙したまま、その場に倒れた。
『……馬鹿、だな……僕は……』
ノアはそんな彼の傍へ歩み寄り、そっと彼の目から流れ落ちる涙を拭った。
「もう聞こえているか分かりませんが……アルスさん。あなたがこうなってしまったのは、私のせいかもしれません……ごめんなさい。あの世へ行ったら、好きなだけ私を呪ってください。そして……あの娘と幸せな夢を見て下さい。……おやすみなさい」
『……ロ……ル……今、そ……ちへ……」
そして、彼は跡形もなく消滅した。
魂に眠る混沌の《Xuge》が目覚め、秩序の《Xuge》を殺したのだろう。
「……お疲れ様でした。これで三つの扉を見終えましたが……アルスさん、どの《Xuge》が正解か分かりましたか?」
「ちなみに、試練の達成条件は……何だったかな? 忘れてしまったな。覚えているか、アルス?」
「はは……君たちも意地の悪い聞き方をするなあ。答えなら、分かったよ。きっと僕はもう、試練に合格してる……さあ、戦神のところへ戻ろうか」
試練の達成条件は、『《Xuge》に向き合うこと』。
答えはもう、はっきり見えている。




