8. 紅蓮の黒狐
一方その頃。
魔力人形の発生源は全て潰され、ルフィアの中央通りには安寧が戻っていた。
「スターチ殿、お疲れ様です」
アリキソンは戦場のナージェント師団を指揮していたスターチへ歩み寄る。魔力を大幅に消費し、かなり気怠さの残るアリキソンだが、副騎士団長として弱気な姿を見せるわけにはいかない。ふらつく足を動かして戦後処理へ勤しんでいた。
「アリキソン、お疲れ。今回は魔王の撤退が早かったようだね。噂によれば鳴帝が魔王を退けたとか。鳴帝イージア、リンヴァルス神か……さて。どれほどの傑物かな」
「鳴帝……そういえば、一月ほど前に復活したと噂になっていましたね。グラネアに再び名が刻まれたとか」
「……百年越しのリンヴァルス神の復活。これが人類の光明になればいいのだがね」
スターチは難しそうに俯いた。今回は鳴帝イージアが偶然居合わせたことにより、魔王の侵攻を防ぐことができた。しかし次回も鳴帝が守ってくれるとは限らず、今回の結果を参考としてルフィアの国防をより強化しなくてはならない。
魔力人形という新しい兵器も魔王軍は投入してきた。そちらの解析も進める必要があるだろう。
「ひとまず、今回の侵攻は防げました。これよりルフィア騎士団は撤退し、破壊された箇所の点検と修繕を……」
「っ、アリキソン!」
碧天の言葉を遮って、スターチが咄嗟に魔結界を展開する。
彼は咄嗟に邪気を感知し、迫り来る魔力に対して反応。ルフィア騎士団とナージェント師団に襲い掛かる炎の渦を防いだ。
「これは……スターチ殿、助かりました。敵襲! 新たな攻撃に備え、対魔結界を展開せよ! 想定規模、対軍魔術!」
攻撃を受けてからのアリキソンの動きは速い。即座に周囲の騎士団に防御命令を出し、新たな敵影を捕捉する。戦後の間隙、気が緩んだタイミングで奇襲を仕掛けてくるとは魔王らしい……そう思いつつ、彼は剣を握る。
「あれは……魔族か?」
遠方に見ゆるは、黒き獣。
四つの尾を持つ巨大な黒狐。鋭く殺気を湛えた眼光に、渦巻く灼炎。煌々と燃え上がる炎が天を焼き焦がし、彼方のアリキソンたちの下まで熱風が駆ける。
魔王に匹敵する邪悪な気配。
「チッ……ここに来て真打とは。だが、戦わねばならないな」
既に魔力の大半を使い切っているアリキソンだが、後続の部隊はない。彼が前線を常に維持しなければならないのだ。
魔導戦車部隊をこの大通りまで運ぶには半日以上の時間がかかり、空軍も現在はルフィア全土に散開している。少ない戦力で彼の妖狐を討たねばならない。戦力の少なさはスターチも理解していた。
「防御戦線を維持しつつ、ナージェント師団は散開せよ。対炎術結界を中心に、物理障壁と対戦略兵器魔術を用意しておくように。決して前線へは出ず、ルフィア騎士団と連携を取れ」
通信で各部隊へ命令を出しつつ、スターチの根底にある思想は他力本願だった。
自分ではあの妖狐を相手にできず、アリキソンが疲弊し切っていることを知っている。故に、ユリーチか鳴帝の到着を待つのが得策であろう。
指示の下に師団が動き出すと同時、妖狐が吠え猛る。
無数の炎の鞭が立ち昇り、一直線に襲来。先陣を切るアリキソンたちへ迫った炎を、魔導士たちの魔結界が弾き返そうとするが……
「これはっ……!」
「なんという力の圧……!?」
「スターチ様、抑えきれません!」
あまりに妖狐の力が強い。
おそらく魔力だけではなく、邪気をも媒介とした変質的な炎術だ。通常の魔術とは決定的に異なり、魔結界では逸らし切れない。
スターチは苦心の末、一つの結論を出す。
「ここでルフィアに壊滅されては、私としても困るのでね……対戦略兵器魔術を放て! このままではルフィア騎士団に大きな被害が出る!」
対戦略兵器魔術は一度だけ発動させるとしても、非常に高価な代物だ。国家間での戦争を想定した魔術であり、現代の最新鋭の国防力。島を一つ消し飛ばす威力の魔術を打ち払うためのものだ。
眼前の炎に使うのは過剰な魔術だが、致し方なし。
「用意できました!」
部下の合図と共に、ルフィア騎士団に襲い掛かる煉獄を滅する魔術を起動。
そしてスターチは炎へ向けて爆発的な魔力を放とうと──
「──明鏡止水、『八尋の蛟』」
スターチは振り下ろしかけた手を咄嗟に止める。
水の蛇が戦場を駆け巡った。騎士団に襲い掛かっていた炎は濁流に飲み込まれ、真っ白な煙を上げて天へと蒸発していく。
遠写、戦場を記録していた者が一人の少女の姿を捉える。
「マリーか……!? 助かった!」
「間に合ってよかったです。助力します」
先陣を切っていたアリキソンは、思わぬ人物の登場に安堵する。
霓天の家系、マリー・ホワイト。彼女がルフィアへ来ていることは知らなかったが、水の精霊術を操る彼女の助力があれば、この炎は防ぐことができる。
戦場を俯瞰していたスターチも状況の好転を悟り、戦法を切り替える。
「師団、防御陣形を補助陣形に再展開。炎からの防御は『蒼麗騎士』に任せても問題なさそうだ。前線のアリキソンを中心に、移動補助と魔力譲渡を」
徐々に距離を詰めていく碧天と妖狐。
彼の剣が届く時すなわち、戦が終わる時。
「対魔族剣、不死断ち起動。嵐絶──『凩之太刀』」
魔族の不死性を断つプログラムを剣に宿し、アリキソンは渾身の一撃を叩き込むべく足を運ぶ。
烈風駆け抜け、霹靂轟く。全ての暴威が一点に集中し、鋭い錐となって妖狐の炎を穿つ。アリキソンの刃は妖狐の体表へと迫り……
「……!」
剣が妖狐を討つ寸前にて、黒き影が揺らぐ。
消滅。まさしく妖狐の姿はその場から掻き消えた。再びアリキソンが敵の気配を感じ取ったのは、遥か上空。
「四葉、魔法弓水雨!」
天より降り注いだ赤き炎の流星。妖狐の放った炎を、マリーの水と風の複合術式が迎え撃つ。
無数の矢が炎を相殺するも、穿ち損ねた一部が地上へ。建物に着火した炎が次々と広がっていく。
「まずいな……」
アリキソンは自らの失態を悔いる。妖狐を仕留め損ねた。恐らく、小規模転移の術式が張られていたのだろう。それを見抜けなかったのは己の過ちだ。
広がる炎の対処にナージェント師団とマリーの戦力が割かれることになる。天廊に立つ妖狐をどう討つべきか。彼は逡巡し、空を見上げる。
(天廊へ転移された以上、防戦は必至。俺とて建物を一気に駆け上がり、天廊へ至る魔力は残っていない。魔術をあの高さまで届かせるのも、並の魔導士では不可能だろう。空から爆撃すれば大規模な倒壊が起こってしまう。やはり俺がエレベーターで天廊の上へ上がり、あの狐を倒すしかないか……? しかし……)
もう魔力がない。
いや、そんな弱音は吐いていられないのだ。アリキソンは粉骨砕身の精神で周囲の天廊へ昇るエレベーターを探す。
そして彼がエレベーターを見つけ、走り出した直後──
「総員、完全防御姿勢ッ! 撤退せよ!」
スターチの怒号が戦場に響き渡った。焦燥、そして恐怖を孕んだ声で。
戦場の総員が見上げるは、天に座する紅蓮の太陽。一発が爆炎に匹敵する炎弾、その数およそ三百。
今までとは比べ物にならない規模の攻撃が来る。防ぐ術はない。
妖狐は不遜なる眼差しで地を睥睨し、災禍の雨を地上へと撃ち放った。




