5. 六花の因縁
「あ、お兄ちゃんいた。急に消えたと思ったら、どこ行ってたの?」
「野暮用だ」
「そう……」
アルスはマリーの下へ戻り、先程出会った二名について考える。
まずは『クロイム』と名乗った少年。彼は間違いなくジークニンドだ。曰く記憶喪失らしいが……百年間の眠りのうちに何か記憶障害が生まれてしまったのだろうか。
嘘を吐いている気配はしなかった。本当に彼が記憶喪失となっている現状には頭を抱えざるを得ない。自分に破壊神を解放するための使命があるなどと、記憶を失った状況で聞かされてもなおさら混乱するだけだろう。彼については追って調査しなければならない。
それに、シレーネと名乗った少女。彼女はサーラライトの姫……アリスの妹である。手の甲にあった紋様からしても間違いない。彼女がなぜ森の外に居るのかは定かではないが、たしか魔道具店をルフィアレムで経営していると言っていた。
大霊の森の結界は、今でも取り払われていない。アリスの死が大きな引き金となってしまったのだろう。サーラライト族は未だに外界の文明に触れることを恐れている。
「ふむ……」
ひとまずジークニンドの発見により、事態は大きく進展したと言っていい。
問題は彼の記憶喪失をどうすべきか。
「マリー、僕はこの国の魔道具店を巡ることにする」
「は?」
「シレーネという者が経営する魔道具店を探さなくてはいけないんだ」
また探し物か……とアルスは辟易するが、このルフィアレム内に範囲を絞るのであれば一日で終わるだろう。
今から探し歩いて半日で……
「ネットで調べればいいじゃん」
「……! なるほど、さすがマリーだ」
そういえば現代にはSNSなる珍妙な情報網があったか……とアルスは思い出す。すっかり頭の中が昔の人間になってしまっている。たしかにネットであれば店主の名前がシレーネである店を探すことなど容易い。
そして彼が魔眼携帯で検索を試みようとしたその時、けたたましい警報が鳴り響いた。
「なんだ、この音は……?」
周囲の人々が慌ただしい様子で逃げ回っている。
何かしらの災害が来るかのようだ。
「このアラームは六花の魔将の襲撃ですね。ルフィアには数年に一度、魔王が侵攻してくるので」
「そうなんだ」
破壊神の眷属が五大魔元帥であった世界線では、人里への侵攻はあれど、アラームなどなかったように思われる。これも些細な変化の一つか。
魔王の本拠地は地王山にあると言われている。あくまで噂だが。たしかに、ルフィアは魔王の本拠地と思われる場所と距離が近い。魔王ルカミアは魔物を操る権能を持つ。恐らくは秩序の『変質』の神能。
一部の影魔族も彼に協力しているとアルスは聞いている。魔物は無限にフロンティアより生まれ、魔族は不死。人類からすれば厄介極まりない災害だろう。
「僕はルフィアレムを巡回するけど、マリーはどうする?」
「私も無論、騎士として戦います。別行動を取ってもよろしいでしょうか」
「心配だけどいいよ。無理はしないように」
「はい」
いつまでも妹を過保護にしていては成長しない。誰かを守るために戦う職に就いている以上、ある程度の危険性は承知しておくべきだ。
魔王本体にはアルスが当たってみるので、そこまでの心配はいらないだろう。色々とルカミアの現状を確かめてみたいのだ。カラクバラの腹心であり、ルトの弟であった彼は……やはり狂奔に陥ってしまっているのだろうか。最後に楽園で見た様子からしても、アルスの予想は間違いなさそうだ。
マリーが去ったことを確認し、アルスはそっと仮面を被った。
~・~・~
仮面を被った男が、混迷のルフィアレムを歩いていた。無地の仮面から覗かせる暗闇は、不可思議なほど暗く……彼の瞳は見えない。
彼に魔物が次々と襲い掛かるが、彼に近づいた瞬間に霧散していく。彼が目にも止まらぬ速さで打ち払っているのだ。一筋、閃光が迸る。
「……魔王か。やはり大元を断とうが、次の代わりが出てくるのだな。しかし、私は約束したんだ……魔族の未来も背負うと」
前方から迫る巨大な邪気に向かって歩く。先には街中を闊歩する暴威があった。或いは暴威、或いは無情。様々な暗澹の権化と称される其は、彼の瞳には哀れに映っていた。
──『魔王』。数多の魔物や魔族を統率し、人理を蝕む存在。魔王は邪槍を掲げ、進撃を続けている。
仮面の男……イージアは魔王の周囲の魔物を一掃し、魔王の前に立ちはだかった。
「ルカミア。久しいな」
「ヌ……貴様は……貴様は……」
「イージアだ」
彼の名を聞いた瞬間、魔王ルカミアは声を荒げる。
「イージアッ……『鳴帝』、リンヴァルス神か! おのれ……神々を我らは許しはせん!」
「もはや理性の欠片も残っていないのだな。カラクバラの方がいくぶんかマシに見える。私は魔族の未来を背負い、そして君たち影魔族の暴挙を止めるよ。それもまた、私の責務だ」
「貴様が、あのお方の命を奪ったのだッ! 勝手なことを言うなッ!」
全ては二人の間でしか解されない過去である。
彼らに如何なる因縁があるのか、誰にも分からない。
ルカミアは衝動のままにイージアへと邪槍を振り下ろす。
「──青雪の構え」
いつしかイージアの手に握られていた剣が、邪槍を受け流す。まるで絶対的な次元の隔たりがあるかのように魔王の攻撃は届かない。
イージアを青い霧が取り囲み、それがルカミアの接近を許さないのだ。
「オノレ……おのれッ! なぜ、なぜッ!」
「君と私の間に存在する……時間。時間が断絶しているのだ。故に、君の攻撃は無力化する」
イージアという絶対強者。
彼を前にしては、人類が恐れ慄く魔王でさえも赤子のようだった。
彼は剣を構え、青色の光を剣身に宿す。
「六花の名を穢したこと、許しはしない。ここで終わらせよう。彗嵐の撃──『翔鷹』」
「ストオオオオーーーーップ!」
彼が一撃を放つ直前、二者の間に一人の魔族が割り込んだ。
白い髪に、真紅の瞳。
「……君は?」
「魔王様の左腕、ローダンと申します! 魔王様、ここは一旦撤退すべきかと!」
「ローダン! 邪魔をするなッ!」
突然割り込んできた魔族は、魔王を宥める。
「いやいや、落ち着けよルカミア……じゃなくて落ち着いて下さい魔王様。相手、八重戦聖……『鳴帝』っすよ? 神っすよ? 勝てるわけないじゃないですか?」
「それは……言う通りである。冷静に考えれば、勝てんな」
「オーケー。じゃあ、リンヴァルス神様。この場は何でもするので逃がしてくださいね! 哀れな魔族からのお願いです!」
彼は上空から飛竜を呼び寄せ、一旦落ち着いた魔王を半ば強引に乗せる。
イージアはあまりの急展開に困惑し、剣を空中で留めていた。何より、ローダンの声によってルカミアが理性を取り戻したのが意外な展開すぎた。
「あ、ああ……」
「それでは、ごきげんよう。あ、そうそうリンヴァルス神よ。よろしければこの玉を持っていてくれませんか?」
ローダンは黒い玉をイージアに手渡す。ビーズ玉のような小さい玉で、感触は柔らかい。
「これは?」
「無礼を働いた我らからの謝罪の証です。持っているとリラックス効果がありますよ」
「そ、そうか……受け取っておこう」
そして魔王ルカミアと、魔族ローダンは彼方へ去って行った。




