4. 嵐の通過
シレーネのアーティファクト、『ラムダ』の砲撃により消し飛ばされた周囲一帯。
あまりの爆音と光に耳鳴りと視界の明滅が収まらない。気合と時間経過でそれらを振り切ったクロイムは、未だにアーティファクトのダクトに隠れているシレーネを引きずり出した。
「あれ、クロイムさん。逃げてって言ったじゃないですか。よく生きてましたね」
「悪い……逃げ切るほどの自信もなくてな。どっちに逃げたらいいのかも分かんなかったし」
「ええんですよ。それよりもお怪我は?」
シレーネはアーティファクトを畳みながら腰に装着する。
クロイムは自分の身体を確認するが、これといって外傷はない。もしかしたら内傷があるかもしれないが、今は怪我を憂いている場合ではない。
「大丈夫だ。それよりも……さっきのローダンって奴はどうなった? 消し炭になったのか?」
「ローダンさんには逃げられました。あと少しで抹殺できたんですが……まあ、かなりの傷は負わせたのでしばらくは追ってこれないでしょう」
彼はひとまず安堵する。
そして、今起きている事態について確認を取る。
「で、あの変態は誰なんだ?」
「今、ルフィアレムは『魔王』の軍勢に襲われています。『魔王』による人里の襲撃は、十年に一回くらい。そこまで珍しいことではありませんが……これほど大規模な攻勢は初めてのことですね」
大規模な攻勢。彼女はそう言ったが、周囲には敵らしき影は見当たらない。
クロイムの疑問を読み取ったのか、彼女は遥か西の空を指さす。
大空には無数の竜と、竜に跨る者があった。竜を迎撃しているのは音速で飛び回る戦闘機と、空中浮遊する人間たち。
「……マジかよ」
「あれは魔王軍とルフィア騎士たちの戦いです。いやー乱世乱世」
地上でこうして遊んでいる二人が馬鹿らしくなるほど、空の戦いは恐ろしい光景だった。
クロイムは記憶喪失ながら、ここまで危険な世の中を生きてきたという自覚がなかった。
「何でその『マオー』と騎士たちは戦ってるんだ?」
「『魔王』『死帝』『血姫』『炎精』『邪神』『天魔』。人類に仇なす六の天敵です。彼らは破壊神の眷属であり、【六花の魔将】と呼ばれています。本当に迷惑な奴らですよ」
「よく分からんが、分かった。つまり、俺みたいな無力な野郎は避難しろってことか」
「仰る通りです。クロイムさんみたいな役立たず能無し劣等クズ野郎は避難すべきなんですよ」
「そこまで罵倒しなくても……」
シレーネは歩き出し、クロイムもそれに続く。
「こっちが避難所です。私も戦いたくないので一緒に引き籠りましょう。その内魔王軍も撤退していくでしょうから」
「へえ……なんだ、ルフィア側が勝ち確なのか?」
「そりゃ、何度も『魔王』に進攻されて対策しないほど国もアホじゃないですし? あと、この国には『碧天』と『輝天』もいますから」
たしかにシレーネは英雄の子孫がこの国にいると言っていた。
強さは血筋で決まるものなのだろうか。英雄の子孫だから強い……といったように。
クロイムは少しずつ知識を得ながら、ルフィアレムの通りを歩いて行った。
~・~・~
「……むむ。クロイムさん、前方に まものの むれが あらわれました!」
「うーん……『にげる』」
「しかし まわりこまれました! 後方にも魔物の群れです!」
「なんで自然と後ろ取られてんだよ! なんでさっきまで歩いてたところに魔物がいるんだよ?」
前方にも、後方にも魔物が唸り声を上げて迫っている。個体数、およそ数十。
魔王が引き連れてきたものらしい。
「もっかいアーティファクト起動してくれ!」
「いや、無理です。クールタイムが必要です。すまんですよ」
「すまんじゃねえよ!」
クロイムは窮地を脱する手段を画策する。
前後に魔物がいるのならば、左右へ逃げれば……と思うが、左右は生憎高い壁。逃げる以外の選択肢を取るしかない。
「なら……『たたかう』! シレーネ、戦え! 俺は役立たず能無し劣等クズ野郎だから役に立たない!」
「ふぇ!? 私が戦うんですか!? でもそれしかありませんよね……クロイムさん、いざという時は私の囮になってください」
「お、おう……任せろ」
本当に囮になるくらいしかクロイムには価値がないことを、自分自身分かっていた。
魔術すらどうやって使うのか分からないのだから。
狼の魔物が疾走し、二人へと迫る。
「風刃!」
風の刃が幾重にも舞い、鮮やかに戦場を彩る。
疾走する魔物を斬り裂き、彼らの亡骸は黒い塵となって霧散していく。
クロイムは前方をシレーネに任せる間、背後の魔物たちを監視していた。群れの中から一頭……鳥型の魔物が飛来して此方へと迫っている。
「ああ、クソ! 俺が囮だ!」
シレーネを失えばクロイムも死ぬ。故に彼女は命がけで守らなければならない。
恐怖で震える足を突き動かし、彼は魔鳥の気を惹きに向かう。
「ピョオオオッ!」
「ぺ!?」
クロイムに注意を向けた魔鳥は急速に旋回し、鋭利な嘴を彼に向けて突き出した。啄みを紙一重で躱すも、風圧が彼の足を止める。
再び魔鳥は旋回し、隙が生まれたクロイムに迫る。
「やべっ……」
「クロイムさん!?」
──死、一秒前。
これまでの記憶が走馬灯のように駆け巡る。残念ながら、彼の記憶は直近一時間程度のものしかないのだが。
一秒。人によって大きく体感時間が異なる概念である。
一秒。誰かが生まれると同時に、誰かが死ぬ時間である。
一秒。誰かが一を為すと共に、誰かが十を為す刹那である。
ある者にとっては瞬きの間に過ぎ去ってしまう時間。そして、またある者にとっては……
「嵐纏──『零落』」
雷が舞い降りた。
落雷と呼ぶには静かすぎて、嵐と呼ぶには穏やかすぎる。
刹那、雷は戦場を駆け巡り。一瞬にして全てを斬り伏せた。
一秒。『彼』にとっては、場の魔物を全て斬り伏せるに十分すぎる時間。
黒い霧が無数に天へと巻き上がり、魔物の影は見えなくなる。佇んでいたのは、一人の少年。
天の下に靡く金色の髪と瞳。身体からは強烈な風が吹き荒れ、激しく剣に雷糸を帯電している。彼は美貌に笑みを浮かべて、尻餅をつくクロイムに手差し伸べた。
「無事か?」
「やだ、イケメン……」
クロイムは彼の手を取り、遠くで呆けた顔をしているシレーネを呼んだ。彼女も一瞬で事態が変化した事実に驚きを隠せていない。
騎士団の制服に身を包む金髪の男は、改めて名乗りを上げる。
「俺はルフィア王国騎士団副団長、『碧天』のアリキソン・ミトロン。怪我はないか?」
「おお、アンタが『碧天』なんだ! 俺はクロイム、ありがとな!」
彼の反応にアリキソンは意外そうな表情を浮かべる。
自分が『碧天』だと知っても畏まらない。クロイムの無警戒がひどく彼にとっては珍しく、そして嬉しいことだった。
「はあ……はあ……クロイムさん。この方は……って、近くでよく見たら『碧天』じゃないですか!?」
シレーネが息を切らしながら向こうから走って来た。彼女は英雄の子孫に恐れ慄き、ペコペコと頭を下げた。
彼女の態度が一般的な『碧天』に対する反応である。
「ああ……それでは、俺は行くよ。まだ魔王軍との戦いが続いている。クロイムたちも避難してくれ」
「おう、頑張れ!」
彼の期待を背負い、再びアリキソンは駆け出した。




