Decay2. 破壊神の騒乱
数年後。
「おはようイージア。調子はどうだい?」
家を出ると、林檎の木の下にジークニンドが佇んでいた。
彼が現実世界に出ていることは珍しい。神能の管理者である彼は、創造神の精神世界に籠りきりだ。
「調子か……悪くない。何か用か?」
「いや。別に用って用じゃないけど。最近親父が外に出ろってうるさいんだよ」
「ふむ……理由があるのでは?」
「単純に世間をもって知って欲しい……だってよ。別に世間なんて俺は知らなくてもいいんだが」
どういう了見なのだろうか。やはり創造神の意図は読み辛い。
ジークニンドは手持ち無沙汰にふらふらとイージアの家の前を歩き回っている。
「君の役目は何なんだ? 神能を管理しているのは分かるが」
「知らね。神能の管理だけだよ、マジで。外に出るのが怠いから精神世界に籠ってるだけだし。その神能もお前ら『六花の将』にあげたから、役目は半分になった」
彼が今抱えているのは、秩序の六つの神能。混沌の六つの神能は全て譲渡されている。
精神汚染なしで秩序の神能を扱えるのはジークニンドくらいなものだろう。
「……それでさあ。お前の家を訪れたのは理由があって……というか相談みたいな? とりあえず神の目につかないところ行かないか?」
おそらく、神の目を避けたいというのは創造神の目を避けたいということだろう。
しかしジークニンドもイージアも、創造神に対してよからぬ感情を抱いている訳ではない。ただ創造神を心配させたくないという思いがあるだけだ。
「では、リンヴァルス帝国に行くか。あの国は神除けの結界を張っているからな」
唯一リンヴァルス神であるイージアは弾かれないが、他の神々の侵入や監視は弾かれる。レアが施したものだ。
彼は神転してジークニンドと共にリンヴァルスへ飛んで行った。
「……で、相談っつーのはさ。さっきは親父の目があるから『神能の管理』だけが俺の役目って言ったんだけど……実際は違うんだよな」
リンヴァルスの街角にある喫茶店で、ジークニンドはイージアに打ち明ける。
彼もまた自らの役割を正直に打ち明けられないよう、創造神から口止めされているということか。自らの親を欺いてまで事実を打ち明けようとしてくれるのは、イージアを信頼しているからなのだろうか。
「俺の役目は──」
イージアは真実を聞き、自らの運命を悟ることになる。
暗澹とした未来に彼は瞑目した。
~・~・~
──『六花の将』。
創造神の使いとして世界を奔走し、人理に救済を齎した英雄たちである。
『光神』ダイリード。
『麗姫』アリス。
『回精』リグス。
『聖王』ウジン。
『守天』ゼロ・サーラ。
『鳴帝』イージア。
彼らの名は万里に轟き、知らぬ者はいないほどの名声を有していた。
永きに渡り世界を護り続けてきた守護者たちは、いかなる未来でも救済者であり続けると信じられていたのだ。
これは、とある日々の断片。彼らの終わり。
五千二百十五年。グアの月、四日。
「……終わったか」
イージアは任務で討伐を命じられた魔物を倒し、これより帰還するところだった。
現在地はグラン帝国領の熱帯雨林。単身での任務となるため、彼は黙々と大量発生した魔物を屠っていた。規定数を倒し終えた彼は天を見上げ、飛翔して楽園へ帰還しようとする。
木の葉を抜け、青空へと浮かんだ彼の瞳には奇妙な光景が映っていた。
彼方……楽園上空の空が黒い。邪気の奔流だ。渦巻く闇を目視した瞬間、彼の脳裏に不穏が過ぎる。
「あれは……」
──『破壊神の騒乱』。
事変の詳細な日時は記録されていないが、今年であったのは間違いない。
楽園を取り巻く邪悪は次第に拡大していく。同時にイージアの胸中にある焦燥も増大していった。
~・~・~
楽園中央の神殿にて、創造神は瞑目して「ある人物」が来る瞬間を待っていた。
「……こんにちは」
彼はいつもと変わらぬ柔和な声で虚空に語り掛けた。
返事はない。しかし僅かな殺気が部屋に走った。
「ごめんね。君の悲しみに気付いてあげられなかった。……君の憤懣、憎悪、怨恨。僕が受け止めよう。この身が闇に堕ちようとも、子供たちの苦しみを背負うのが神の責務だ。だからどうか……純情を忘れないで。君が愛し、愛された日々を」
『…………』
創造神の前に横たわる「ある人物」は、黙して彼に歩み寄る。
一切の抵抗なく神は邪悪を受け入れた。「ある人物」が手を出すのを憚られるほどに。
「後は頼んだよ……ジークニンド」
最期に彼は呟いた。
~・~・~
突如として暗雲が空を覆った。
サーラは楽園の海岸からその様子を見上げて困惑する。
「邪気……?」
楽園は創造神の加護によって守られている。邪気など生じるはずもない。
しかし一帯を覆い尽くす闇は、まさしくフロンティアに渦巻く邪気と同質のものだった。彼女はひどく違和感を覚え、ひとまず創造神が座する神殿へと足を運ぼうとする。
しかし、彼女の足を異様な気配が引き留めた。
「……あんた、誰」
一瞬の内に気配が現れた。
察知することも、反応することもできず──気が付けば彼女の前に立っていた仮面の者。
仮面とは言ってもイージアが被っている無地の仮面ではなく、色とりどりの民族的な仮面だ。
「こんにちは、『守天』さん。私の名はソウム。以後、お見知りおきを」
ソウムと名乗った者の声は機械的で、性別すら判別がつかない。また敵意も殺意も感じられない。
「何が目的?」
「私は我らが主……破壊神様の命により、『六花の将』を掃討することになりました」
「はあ? 破壊神……? なにそれ」
破壊神などという名前の神は聞いたことがない。
ソウムは『六花の将』を掃討すると言ったものの、未だ殺気を放たず。滔々と機械的な言葉を垂れ流す。
「『六花の魔将』。我らが主、破壊神は我らをそのように命名しました。秩序の神能である『干渉』を私に、『衝動』はダイリードにありますが彼は混沌の神能のまま、『変質』をルカミアに、『接続』をミダクに、『放出』をシロナに。『領域』は未だ空位ですが……ジークニンドは大半の力を失い、眠りにつきました」
「…………」
ソウムが語ったのは、間違いなく創造神がジークニンドが管理する六つの神能のことであろう。それも人が取り込めば狂気に陥る秩序の神能である。
まさか創造神が危険な秩序の神能を贈与するとは考え難い。
「で、なに? あんたは敵なわけ? 何がしたいの?」
「いいえ、敵ではございません。そもそも貴女は私の相手になりませんので、戦うまでもない。さあ、始めましょう……殺戮の輪廻を」
刹那、サーラは気を失ってその場に倒れ込んだ。




