84. 不義の剣Ⅱ
一年後。
「おい、スフィル……本当に行くのか?」
父が慌てて私を引き留めようとする。
背負った重荷、履いた長靴。私の服装は到底、平穏な街に暮らす少女とは思えぬ旅装であった。
決めたのだ。私も旅へ出ると。
「はい。必ず無事で戻りますので」
「ううむ……しかしだな……」
「まあまあ、あなた。可愛い子には旅をさせよ……って言うでしょう? 自分の娘がかわいくないと言うの?」
母が父を宥め、私の肩を持ってくれる。
一年前から計画していた旅路だ。オズの言葉を聞いた時、私はひどく感化されてしまったようで……無謀なる旅人に憧れる愚者となってしまった。このご時世、旅をするなんて馬鹿に思われるに違いない。
一年も遅れて彼の後を往く。それでも追いついて、自分の形を見つけたいのだ。
「危険な真似はしませんよ。冒険者ではなく、旅人です。観光に行くようなものですから……ご心配なく」
私は言い残し、家を出る。
親不孝な娘だ。自嘲しながらも、どこか私の心は晴れやかだった。
その日、ディオネの空は珍しく晴れていた。
~・~・~
旅は生温いものではない。私の得た結論だった。
いや、自ら危険に立ち入って行ったのだ。両親には危険を冒さないと断言したが、私は自ら進んでフロンティアに立ち入ったり、劣悪な環境に身を置いたりしてみた。
幸い、命を落とすような目には遭わなかったが……刺激的で、苦しい日々を送った。毎日が退屈しない。苦しいながらも楽しい日々を送り……自分は旅に合っているのだと自覚した。
靴の底がめくれ、そろそろ取り替えようかと思った、旅慣れた頃。
エンミルルの地方の宿にて。私は安価で借りた魔導車の鍵を舎監に預け、テラスでお茶を飲んでいた。
蛍が発光し、窓の外を飛び回っている。深夜の時間帯でも夜空は少し明るく……ディオネではとても見られない光景だ。淡そかな気持ちで旅へ出た私だが、こんなに綺麗な光景を見られるので後悔の念は薄まっていく。
ふと、思う。
私は自分の納得できる姿を見つけられたのだろうか。オズはもう見つけているのだろうか。
自分が将来志す姿は、未だにはっきりとした輪郭を帯びていない。佩剣したお飾りの刃も、私には使いこなせない。特段強くなったわけでも、自分のことが分かったわけでもない旅路。
それでも私は、どこか己の道に満足しかけていた。
「…………」
蛍から目を逸らし、宿の入り口を見遣る。
その時、私の持っていたティーカップは中空で静止した。いや、私の身体が硬直したのだ。
欄干の向こう側。細道から見覚えのある男が歩いてくる。彼は真っ直ぐにこの宿を目指しているらしい。
「オズ……?」
傍らには、二人の男女。
金髪の男性と、赤髪の女性。服装を見るに二人は旅人で、仲睦まじそうにオズと話している。
私は少し動揺した。まさか二度と会うことはないと思っていた彼と邂逅を果たすとは。
同時に思うのだ。今の不明瞭な私が、彼の前に顔を出していいものか……と。
でも、私は尋ねたい。オズは自分の納得できる姿を見つけられたのか。もしかしたら彼の言葉を聞くことで、私も自分の姿を見つけられるかも。
無意識の内、私は夜闇を切って歩き出していた。
──これが、後に四英雄と呼ばれる私たちの始まり。
~・~・~
私は三人の旅に同行することとなった。
オズは私が旅をしていることを聞き、大層驚いたようだ。しかし、とうとう『自分の納得できる姿を見つけられたのか』という問いを彼にぶつけることは叶わなかった。でも彼は楽しそうだ。
金髪の剣士をローヴル・ミトロン、赤髪の魔導士をカシーネ・ナージェントと言う。二人ともルフィア出身で、偶然フロンティアで出会ったオズと同行することになったらしい。
戦いも碌にできない私が、彼らの旅について行くことは憚られた。実のところ、私は彼らに同行する気はなかったのだが……カシーネという少女にひどく気に入られて意気投合してしまい……なし崩し的に同行者となった。
──そして、月日は流れる。
私はローヴルから剣を教授してもらい、カシーネから魔術を説いてもらい、オズからは元気をもらった。旅の中で彼らの豊かな人間性と優しさを肌で感じ取り、私の道はますます楽しいものとなってゆく。
「フィーちゃん! これ見て!」
ある日、魔鋼文明の街中にて。
カシーネが私のことを『フィーちゃん』と呼んで飛びついてきた。今は旅の合間に、街の観光をしたり、次の旅路への準備を整えたりする期間。私は手持ち無沙汰にカシーネと歩いていたのだが……
「なんですか、これ」
彼女の手には花形の……髪飾りだろうか?
浅葱色の花。夏花のミエーネルを模した髪飾りだ。
「オズがくれたの! さっき店で見つけたから、あげるって! かわいいでしょ?」
彼女は髪飾りをつけ、その場でくるりと一回転する。
そういえば、オズはミエーネルが好きで実家でも育ててるとか言ってたかな。カシーネは心の底から嬉しそうに笑っている。
「ふふ……とても似合っています。素敵ですよ」
晴れやかに笑う彼女の姿は、まるで天使だ。通りを往く人々も目を奪われたかのように振り返る。
私にはない可憐な振る舞い。オズはそんな彼女の麗姿に似合うと思って、あの花飾りをプレゼントしたのだろうか。
少し羨ましい。きっと彼は、私にこんな美しい贈り物はしてくれない。
……何を考えているのだろう、私は。
「ねえねえ、フィーちゃんはおしゃれとかしないの?」
「私は……あまりそういう性格ではないので。旅人である以上は不要な出費は抑えたいなと」
「そんなー……ぜったいかわいい服とか似合うよ? フィーちゃんは美人さんだもん」
正直、彼女に言われても実感は薄い。才能ある人に『君は才能に溢れている』と言われても実感が湧かないように、美人である彼女に言われても。
雑踏を歩きながら、私たちは他愛もない会話を続ける。
「じゃあさ、旅人をやめたらおしゃれするの?」
「さあ……まず旅に終わりが来るものかどうか」
「フィーちゃんの旅の目的、そういえば聞いてなかったね。私は魔導高等院に入るための暇つぶし、ローヴルは武者修行、オズは……自分探しだっけ?」
各々が抱える旅の理由。それは皆が皆、自分のための旅路だ。
誰かの役に立ちたい、世界を守りたい……なんて理由ではなかった。それでも私たちは、後の世代で四英雄となる。この時の私は、そんなことは露知らず。
「私もオズと同じですよ。自分の納得できる姿を見つけたいんです。旅に出る前にオズと出会って、そして再会を果たした今でも……答えは見つかっていませんが」
「ほえ……そうなんだ。なんか真面目なフィーちゃんのことだから、誰かを守る強さを求めるため……とか思ってた。なんかますます親近感湧いちゃうね?」
カシーネは意外そうに声を漏らした。
それから彼女は私とオズの出会い、三人と出会うまでの旅路などを積極的に尋ねてきた。彼女の質問に一つ一つ答えながらも、私の思考はどこか曇っていた。




