82. パペチュアル
刹那、世界は爆ぜた。
ルアの意志が幻想の世界を貫き、全てを崩壊させる。
「っ……!」
私はひたすら瞠目し、強大な意志力に平伏すしかなかった。
これが絶対存在。其に触れた瞬間、私は全てを思い出した。
今まで見ていた旧世界の光景は私の過去であること。
今は安息世界を回帰させるために奔走していること。
ここが、何者かが創造した幻想の物語の中であること。
「ここは……」
気が付けば、私は真っ白な空間に立っていた。
ルアは未だに眼前に存在し続けている。おそらく彼が幻想を打ち砕き、私を幻の世界から解き放ったのだろう。先程まで見ていた光景は、決して虚構の歴史ではない。因果律の操作を用いたことにより旧世界はルアの怒りに触れ、滅ぼされた歴史は紛れもない事実だ。そして唯一生き残った私は新世界アテルトキアの調停者を任じられた。因果律操作の研究を推し進めてしまった私の贖罪こそ、盤上世界を見守り続けることだったのだ。
震えながらも、私はルアに語り掛けた。
「お久しぶりです」
すべてはルアの意志によるものだ。ルアは私に伝えるべきことのみを伝え、全てを思い出させてくれた。だが、彼が何を考えているのかは伝えてこない。
『──』
ルアが意志を私に伝える。
見せられた光景は、安息世界で行われている戦いの断片。イージアとATが、互いの因果を相克させて争っている。なるほど……私は秩序側の勢力で、対する混沌側は……
「あなたが私の敵、ですか……」
ルアが混沌の因果に指定されている。
しかし、ATは過ちを犯した。絶対存在は、何物にも、如何なる因果にも縛ることはできない。
つまり……ルアがどちらの因果に属するかは彼の自由。或いは、勝敗を一意的に決定することもできよう。
『──』
再び意志の奔流。
ルア曰く、この戦いに勝敗をつける気はないらしい。よかった……のだろうか。
秩序側……イージアに勝って欲しいところだったが、そうなれば私がルアに勝たねばならない。それは不可能だ。彼の温情に感謝しなければならない。
「私は早くここを抜け出して、安息世界を回帰させなければなりません。今もなお、イージアさんは戦っています。この物語の中から、出してもらえますか」
──『前へ進め』。
ルアは言い残し、私を安息世界へ戻していく。
見せられた過去は、何の意味があったのだろうか。
もしかしたらイージアとATの戦いによって副次的に引き起こされた、意味のない幻想だったのかも。だが、過去の幻想はたしかに私に人理の罪を思い出させた。
ATが望んだ苦痛のない世界。彼の望みが行き着く果ては……旧世界のような、緩やかに破滅へ向かう世界なのかもしれない。悲しみのない世界なんて存在しない。
だから、
「……この戦いを終わらせに行きましょう」
~・~・~
──物語は終わる。
ノアの語りを受けたイージアとATは、ひたすらに沈黙していた。
結果は……引き分け。ルアは彼自身の意志で、勝敗を決めることを否定したのだ。
「ルア、か……僕も存在は知らなかった。興味深い対象だ。『ルアの石板』、『ルアの天秤』と呼ばれる創世主が持つ道具も関連しているのか? 更なる超常存在の力を利用することができれば、より安息世界も確実なものへと……」
「…………」
考え込むATに対し、イージアは俯き続ける。彼の表情は仮面に阻まれてよく見えない。
しかし、心が斃れかけていた。明らかになった盤上世界創世の過去。セティアの過去も含めて、大まかに創世までの過程が分かったが……あまりの人理の愚かしさに彼は膝を折りかけてしまう。前世界の人類のせいでレーシャはアテルに支配されている。この混沌と秩序の争いも、元を辿れば管理者たちの所為だ。
しかし二因果の相克をなくした安息世界の行き着く先もまた、ノアが言っていたような超文明を有する破滅の世界。盤上世界だろうが、安息世界だろうが、完全な救いは存在しない。
「結果は引き分けだ。次の遊戯で僕らの勝敗は決まる」
「……私には、分からない。どうして君は今までの物語を見て、何一つ感情を動かさない……?」
「僕だって動揺しているさ。そして、どうあっても愚かな人類と世界の在り方に失望もしている。君と僕は同じなんだよ、イージア。全てを救おうとして絶望する。どうあっても望む結果は得られず、自らの幸福も諦めてしまう。だから、僕の方こそ君を理解できない。苦悶なき安息世界を君が否定する理由が分からないんだ。災厄も厄滅も乗り越え、世界を救える手段があるというのに……君は僕の手を取ってくれない」
イージアは自分自身、己の愚かしさを分かっている。
手の届くものだけではない。手の届かないものも、全てを救いたい。自らの幸福を擲ってでも。
──叶わぬ夢。幻想を抱き続ける愚者がイージアだ。
「それでも私は……盤上世界を取り戻す。どんな形であっても、意志がある限り悲しみは消えない。誰かが何かを望めば、誰かは何かを失う。悲しみのない世界なんてない。だから、こんな偽りの世界はあってはならない。現実から目を背け、幻想を見続けた先に待っているのは……更なる絶望だろう」
もしも、イージアがラウンアクロードを追わずに過去へ飛ばなかったら。
ずっとレーシャと幸せに過ごせたのかもしれない。失った家族や友人、世界から目を背けて幸福であれたのかもしれない。
だが欺瞞の幸福に浸かっていれば……いつしか心の深奥に潜む罪過に蝕まれ、狂奔に陥っていただろう。今こうして、戦い続けるよりも遥かに深い絶望に苛まれていたはずだ。
実際にその末路を観測した訳ではない。しかし彼には分かり切っていた。苦しむからこそ、人は前へ進むのだと。災厄もまた、前へ進む為に与えられる試練なのだと。
「──哀れだね、アルス」
「どうしてその名を……」
ATは哀れむように言った。
同時に、イージアもATに憐憫の情を抱えていた。
「僕は、君が知る誰かのXuge。だが、僕の正体が何者であるのかなど……もうどうでもいいんだ。僕は君がどんな過去を歩いて来たのか知っている。だからこそ、哀れだよ。自分が苦しむことを正当化し、背負えないものを背負うことを、乗り越えるための試練とする。そんな蒙昧を抱く君がかわいそうだ。あの時、ラウンアクロードに世界が滅ぼされなければ……君は今も幸福な立ち向かう者であれた」
「その過去は、捨て去った……! 振り返らない、安息など必要ない! 私は、私のためではなく、世界の為に前へと進む! 『異空の尖兵』を……!」
「それが君の末路か。最後の戦いを。『不義の剣』」
両者は最後の本を前へ。
これより幕を開けるは、心の物語。




