79. 春永Ⅱ
「……認められません!」
研究室に私の声が木霊する。かつてないほどに感情が昂り、真紅の瞳の中に激情が渦巻く。怒号を飛ばす相手は、法を司る七番の管理者。
管理者に反発すること……それは死を意味する。しかし今の私は、自分の命など顧みる余裕すらないほどに理性を失いかけていた。
「分からぬな、準八番。なぜそこまで素体に拘る?」
言い争いの原因は、創世主と壊世主の器となる素体に関して。全人類からChaosとOrderの二因果にもっとも適する人間が選定された。
Chaosの因果に適する少女と、Orderの秩序に適する少年は私の知っている人間だった。
よりにもよって、なぜ私の知る二人が。この世界がどれだけ広く、どれだけ多くの人間がいると思っているのか。明らかに何らかの意図を感じたが、管理者たちは知らぬ存ぜぬ。
或いは本当に偶然なのかもしれない。しかし、私は猛反対した。反論理由が素体を知っているというだけで、無謀な反論なのは分かっている。でも、誰だって友人が生贄のようなものに選ばれるとなったら反対するだろう。
「お願いします、あの二人はやめてください! そもそも、二人の自由を奪う権利が誰にあるものですか!?」
「管理者権限は法律を無効化する。既に素体レーシャ・ナーレ・エイルケア・ブラックと、素体イージャ・アブレイト・キルシャの収容は決定され、送還の手続きに入った。二人がお前の知り合いだと言うのならば、お前と素体は顔を合わせぬように配慮しよう」
──駄目だ。やはり管理者は人倫から外れている。
どうにかして二人を救う方法を考えないと。でも、どうやって?
ただ一人の研究者である私に何ができる?
「四番の言う通りか。やはり情意は停滞を生む。お前の情意も、八番の情意も……論ずるに値しない。規律の為に、世の整然の為に、我らは不要な心を捨て去らねばならぬ」
「…………」
私はただ俯いて彼の言葉を聞き流すしかなかった。自分がいかに間違っていようと、人の心の在り方を捨て去るつもりはない。
父に教わったこと、大切な友に教わったことこそ、私の心なのだから。
~・~・~
中央管理ターミナルを出て、故郷の地区へと向かう。
列車を乗り継ぎ、次元を接続するワームホールを潜り……無数の世界を継ぎ合わせた世界を巡る。数多の創世主が我らの中央世界に淘汰され、多くの世界が侵略されてきた。そうして歴史の果てに我らの世界は在る。
降り立ったのは、一面が銀色の地区。
雪ではなく、灰が積もっているのだ。ここが私の育った地区。呼吸器系を強化した遺伝子を持つ者にしか、居住は認可されない。
まったく人影の見えない大通りを歩き、四番目の通りを左折、そして二回右折した時に見える家を訪れる。
埃の積もった家の中に入る。少し息苦しい。
過去の残影がちらついて、どこか視界が揺らいだ。父の幻影のようなものが見えた気がする。襤褸切れのような外套と、つば付きの帽子。いい歳して紅いメッシュを入れた痛い男性。彼の首に下げられた懐中時計が光って──いや、幻想だ。もう一度目を擦ると、そこに彼の姿はなかった。
誰もこの家にはいない。かつて管理者として世界を支配していた父は、もうこの世から去ったのだ。
「…………」
父の部屋へ足を運ぶ。
もしかしたら器となる二人を救う術が、父の遺した資料に乗っているかもしれない。古ぼけたデータを掬い上げ、一瞬で数十の暗号を読み取っていく。
そもそも、私は未だに根本の理論を理解していない。『因果律の操作』。
そう聞くといかにも大仰で、人理には到達し得ぬ技術に聞こえてしまう。
因果律──ある時刻における事象(原因)から、それより未来の時刻における別の事象(結果)が必然的に生じる場合。原因と結果の間に横たわる数値が全て明らかになれば、因果律の操作も可能と言えるかもしれない。しかし、量子力学の観測に基づけば完全な一意性は失われ、原因と結果を決定することは不可能である。いくら我らの世界が高度に発展し切った文明を有しているとはいえ、そこまで超常的な科学力は実現できない。
「まず、二因果について」
ChaosとOrderと仮定した二因果だが、それらは魂の指向性に関わるものだ。
人理が有する魂の種類は九つに大別されるが、その中でもさらに静と動、物質と星幽、あらゆる二極に分類される指向性が決定される。
そうした様々な数値が、研究で用意された二つの因果に適合する者が選ばれた。静謐かつ混濁なる魂を持つ者と、喧騒かつ純粋なる魂を持つ者。それがレーシャとイージャである。
ただし必要なのはあくまで器。彼らの心は必要ない。
超越者たる創世主と壊世主に、人の心は必要ない。彼らの心は漂白され、新たな心プログラムが組み込まれるだろう。たしか創世主の方は心プログラムを組み込まずに稼働してみるのだったか。
だとすれば、レーシャの心は無事になるのだろうか。いや、そんなことはどうでもいい。私は二人が器に選ばれることを阻止したいのだ。
大体のデータは解読し終えているが……まだ読んでいないものはあるだろうか。
一応、父の研究録が残っている。最初の数行だけ読んで、今日の睡眠時間とか、最近はまっている趣味とかが書いてあったのでブラウザバックしたが。念のため、全て読んでみようか。
~・~・~
「うそ……なんで……」
──いけない。
アレを起動させては、いけない。
研究録を読み終えた後、私は度を失って走り出した。




