77. ルアーリング
セティアとアテルの物語を見終えたATは、吐き捨てるように言った。
「……くだらない。なんだい、この茶番は」
彼にはついぞ理解し得ぬ心の語りであった。
セティアが安息を望まず苦悩を望んだこと、自らの終わりを拒絶し生き続けることを望んだこと。そして何よりも……
「旧創世主に心が存在するだって? 論外だ。あの生命を駒として扱い、過酷を世界に強い続ける邪知暴虐を心と喩えるか? ……ふざけるな! 僕はそんな都合の良い話を認めない! アレは、アレは……」
「AT。君の気持ちは理解できる。私とて、かつてアテルに滅ぼされた過去の断片を持つ身。しかし……この勝負は、私の勝ちだ」
秩序側の勝利。どれだけATが反論しようとも、その事実は揺るがない。
物語の結末は、セティアとアテルが幻想の世界を破滅させて終わった。故に災厄である秩序側に軍配が上がる。
イージアとしても理解が追いついていない。セティアの出自、旧世界という存在、アテルの心情、レーシャの正体。
されど語られた物語は全て真実だ。彼もATと同じく、アテルに感情があるかのような事実は寝耳に水である。これまでの思い込みが全て覆された。
と同時に、どこか安堵を覚える自分の心に気が付いていた。災厄アルスとしてはあれほどまでに憎んだアテルといえど、幼少を長らく共にした存在であるのも事実。自分を育てた存在が心なき機構ではないという事実が、彼の心を奮い立たせる。
もはや何が世界の悲劇の元凶で、何を叩けばいいのかは分からない。しかし、セティアの決意を見てATを止めねばならぬと更なる決意を彼は重ねた。
「……そうだね。今回は君の勝ちだ。そも、これは勝負というか……僕らが物語に介入する余地はないのだけれど。僕はただ、盤上世界の残酷さを君に伝えたいだけさ。君の心に語り掛け、最終的な障害となる君を退けるつもりだった。でも、今回の物語は……君の決意をより固くしてしまったようだ」
イージアだけがATの最大の障害となり得る。たった一人、どう足掻いても排除できないイレギュラー。
彼を実力で排除することは不可能。故に盤上での戦いを挑み、こうして駒を争わせる。或いは、紡がれる物語の過酷さにイージアが心を折り、安息世界の構築に協力してくれることをATは狙っていた。
しかしイージアの心は脆くも強い。
世界を背負う者はかくも強く、諦めることを知らなかった。何度も、何度もあらゆる世界線を観測してXugeを重ねても。イージアはどうしてもATの味方にはなってくれない。
「次こそ。必ず混沌の因果が勝利する。さあ、君の物語を選べ」
残る戦いは二つ。
ATが二勝できなければ、その時はイージアとの直接対決になるだろう。そうなればATに勝ち目はほとんどない。
何としても勝たねばならない。安息世界を護るために。
「私は……『春永』を」
黒き装丁の本が前へ進み出る。
対して、ATもまた白の書を前へ。
「では僕は『無名』をっ……!?」
彼がその白き書に触れた瞬間、電光のようなものが迸り、彼の手を跳ね除ける。
そして書は自ら意志を持っているかのように前進。イージアは一連の様子を見て首を傾げる。
「なんだ……?」
「これは……この本は少し、開いてはいけないものなのかもしれない。いや、開かなくては。創世主となった僕でさえも身震いするような何かが眠っているようだ。それが何なのかは分からないが……」
ATは泡立つような感覚を魂に覚えながらも、白き書物を眺めた。
そして、戦いの継続を決意する。この書に綴じられた存在は、あくまで実在する魂を模写したもの。自律意志を持つはずがない……のだが、異様な事態が起こっている。
されど、彼は手を止めず。戦いの開始を宣言した。
これより幕を開けるは、おそろしきモノガタリ。




