76. 地真実灰を捨て置いてⅡ
ある日、ぼくはノアに相談してみることにした。
相談内容はレーシャに関すること。ぼくがアテルと融合した際、彼女の人格が消えてしまうのかどうか。それだけは明らかにしておきたいと思うんだ。
相談を受けたノアは断言した。
「はい、その通りです。あなたがアテルと融合すれば、創世主の器であるレーシャは心を失ってしまいます」
コップの中に入ってる水を捨てて、新しい水を入れるように。レーシャの心を捨てて、アテルにぼくの心を注ぐのだ。
アテルが心を得る代わりに、今度はレーシャが心を失ってしまう。ぼくがレーシャの身体を乗っ取るということになるのかな。
なんだか嫌だ。
「私はレーシャと、そしてルミナの器となったイージャとも面識がありました。二人は私のことを覚えていないでしょうが、私は二人がとても優しい人だということを知っています。だから……イージャの人格がルミナの心に塗り替えられてしまった時、とても悲しかったですよ」
「じゃあ、ノアがぼくの融合を否定する理由は……レーシャを失いたくないから?」
「……そうかもしれませんね。あの子は私の……かけがえのない人なんです」
ぼくは何も知らない。心のプログラムとして生み出されて、旧世界のことなんて何も知らない。かつてノアとレーシャの間に何があったのか。
どうしたらいいのかな。いつまでも悩んでばかりで答えを出せない。
そうして悩んでいる内に、来てしまった。
愚者の空に安息世界が顕現し、盤上世界に繋がる扉が開いたのだ。
~・~・~
海神を回帰させた。これから繭へ戻り、新創世主の下へ向かわなくてはならない。
イージア君は無事かな。
ぼくらが繭へ向かおうとした時、ぼくの足だけが止まった。
──来た。アテルが、この安息世界に入って来た。ノアとルカは気付いていない。きっとアテルと深く関わりのあるぼくだけが直感したのだろう。
「……セティア? どうしました?」
「あー……いや、ちょっと用事を思い出したよ。二人は先に行ってて。ぼくも後で追いつくからさ」
どうして盤上世界から動かないはずのアテルがこちら側へ来たのか。
あの心なきプログラムが、自らの役目を放棄するとは思えない。盤上世界を管理するのがアテルの役目なのに。でも……もしも、ぼくが大きな認識の間違いを抱いているとしたら?
半身とも言えるアテルを誤解しているとしたら?
「分かりました。一足先に行っていますね」
ルカは不思議そうな表情を浮かべていたが、ノアは何かを感じ取ったようで了承してくれた。流石に付き合いが長いだけある。
去りゆく二人の背を見つめながら、ぼくは迫り来る混沌の因果を待った。アテルは迷わずに此方へ飛んで来ている。
──見えてきた。
白い少女。瞳には光がなく、感情も見られない。レーシャの器を操ったアテルだ。
彼女はぼくの姿を見るや地上に降り立ち、正面に立った。
『…………』
気まずい。
「あー……久しぶり! アテル、元気だった?」
『我、偽りの混沌に導かれ、此処に降り立つ。汝、秩序の駒。然るに我が因果と相克し、闘争を冀われん。真実を知る哉』
えーと、『私は偽物の混沌の因果(AT産)に導かれて、お前の下に来ましたよ。お前、なんで災厄になってんの。新創世主(クソAT)がお前と私の戦いを命じてるんだけど、理由とか知ってる?』ってことね。
「ここはたぶんね、安息世界でもない……幻の世界だよ。そうじゃなきゃ、アテルがここに来るなんてあり得ないからね。誰かがぼくらを争わせるために創り出したパラレルワールド。安息世界が更に複製されて分岐した、セティアのXuge」
ほら、ゲームのクロスオーバーみたいな?
あのキャラとあのキャラが戦ったらどうなるんだろう……みたいな幻想が見せた世界だ。愚者の空のシミュレーションシステムにも似てて……うん? まあいいか。
ぼくは今、そこに囚われている。実際の安息世界では、ぼくもノアもルカも繭の下へ向かっているはず。
「君と争う気はないよ。争ったりしたら、それこそ新創世主のATとかいうのの手のひらの上だし。それよりも話したいことがあったんだ。君とぼくの融合について。ここが仮の世界だとしても、君の心は変わらないはずだから……今の内に聞いておきたいな」
『我、混沌の機構也。故に心なく、汝の決断は我の心なり』
お前の好きにしろってこと?
アテルとぼくは融合するもしないも、好きに決めろってこと?
「嘘つけ」
『……?』
「君、心を隠してるでしょ。薄々気付いてたんだよね。ノアも君に心があるって言ってたし」
『理解不能』
理解できてると思うんだけどな。
今、この幻想の世界ではぼくとアテルが争うように定められている。どちらが勝つのかを観測している何者かが居るのだろうね。
だけどアテルはぼくに攻撃してこない。災厄の御子を発見したら容赦なく消し飛ばすようなアテルが。つまり、彼女も対話を望んでいるってことで。
自分の心をたしかめたいんじゃないかな。いや、自己の存在をたしかめたいと言うべきか。
「新世界創造プログラムが立ち上げられた時、創世主には心がなく、壊世主には心があるように設計されるはずだった。で、創世主を失敗作だと判断された場合にはぼくが心のスペアとして君と融合する。でも……ぼくらを創った管理者たちに誤算が起きた。知ってるよね?」
『旧世界の管理者らは、八番の策謀により滅した。故に、我が成否を判ずる者はなく。汝の決断に全ては委ねられる』
「違う。八番のLFが施した細工はそれだけじゃない。因果律の操作には、情意を伴うことを義務付けた。混沌の因果を操る君には情意があるはずだ。そうでなければ、世界の混沌の因果は操れない。だからこそノアも、君に心があると言っていたんだ。そうでしょう?」
知っている。
アテルには心がある。
アテルは自分の意思でレーシャの人格を消していない。
アテルは不正を働くルミナを黙認している。
アテルは世界を愛しているから、意地でも秩序の勢力を倒そうとする。
アテルは──
『…………どうして』
その時、初めて彼女は苦しそうに表情を浮かべた。
レーシャの心ではなく、アテルの心を表出させた。ずっと心がないフリをしていたんだ。
そうでしょう?
『……ずっと、人形みたいに演じてきたのに。セティアの人格を真似して、自分に心がないと言い聞かせて、ずっと……精神世界に閉じこもっていたのに。どうして、そんなに残酷なことを言うの』
「ねえ、決めたよアテル。ぼくは君と一緒にならない。一緒になったら、君の心まで消えちゃうからさ。このぼくの決断は、幻の世界が消えても、安息世界が消えても変わらない。だからさ……君もぼくと同じように悩まないで。自分の存在を一つのプログラムとして見なくていいんだ。もうぼくらを縛る管理者はいないんだから。君もぼくも、別の心を持った……別の命だよ」
運命共同体の我らは、ここで分かたれた。
心なしに、真実なし。生きとし生けるもの、みな苦しむ。
『……ありがとう』
「あ、笑った。ふふっ……ぼくも嬉しくなるね。さあ、行こうか」
この幻の世界の、外へ。
高らかに天を見上げ、名乗りを上げようか。
「そこで見ている新創世主! ぼくらは駒じゃない! この物語を見ているのなら、ざまあみろ! ぼくの勝ちだからな! こんな偽物の世界、アテルと一緒にぶっ壊して……安息世界のお前も、ぶち抜き失礼仕る!」
槍を一本、取り出して。
ぼくたちを見る新創世主へ向けてぶん投げてやった。
たぶん、ATと誰かが戦っていて……ATはアテルがぼくを滅ぼすことを目論んでいる。だからこうしてやるのさ。
「よし! アテル、偽物の世界を壊してやろう! 安息世界も、この幻の世界もぶっ壊して……みんなで盤上世界へ帰るんだ!」
『もしも。もしも、今この瞬間だけでも……アテルがアテルとして振る舞えるのなら。私は、私の盤上世界を取り戻すために戦いたい』
いいかい。ぼくもアテルもルミナもノアも。
誰だって心がある。悩んで、苦悩して、苦しんで。そんな苦悶に満ち溢れた心がある。
安息にぼくたちの苦悩を奪われる筋合いはない。さあ、取り戻そう。




