72. ギャンビット
「……っ」
イージアの意識が戻る。
まるでルカとエプキスに憑依していたかのように、彼の意識は呑み込まれていた。
「……今回は僕の、混沌の勢力の勝利だね。エプキスの勝利だ。残り三戦」
ATは自らの手元に残る三冊の白い本を眺めた。
一方でイージアはひたすらに俯き、立ち尽くす。
「あれは……なんだ?」
全てが衝撃的な物語だった。
自らの師が災厄であること。世界が滅びかけたこと。エプキスが現代に現れたこと。
「あれは安息世界の戦いでも、盤上世界の戦いでもない。安心するといい。あくまで彼らは仮想の世界で戦い合い、実際には戦っていないのだから。ルカは死んでいないし、エプキスも召喚されていないし、世界も滅んでいない。ルカのあり得たかもしれない可能性……Xugeを覗いただけなのだから」
「分かって……いるさ……」
ATの言葉を受けてなお、イージアは憔悴していた。
彼のそんな様子を、ATはどこか哀れに思う。仮想の世界にも情を抱くほどの愚かしさ。或いはその情意こそが、彼を救世者たらしめる要因なのかもしれないが。
決してATには理解できない感情であった。
どうしてここまで心の脆い存在が、共鳴者として、そして救世者として選ばれたのか。
確固たる意志を持つ彼には永遠に理解できぬ因果であろう。
「さあ、次の戦いを」
ATは一冊の白い装丁の本を前へ出す。
次なる混沌の駒を、前へ。
「僕が紡ぐは『創世記』。君も秩序の駒を進めるんだ」
「……『地真実灰を捨て置いて』」
これより幕を開けるは、はじまりの物語。
~・~・~
一方その頃。
繭が鎮座する離島へ、三つの人影が訪れた。
「あれだよ。あの歪みの内側にATがいるはず。イージア君は……もう入ったのかな?」
セティアがノアとルカを先導し、虚空に浮かぶ歪みを目指す。光を失った五つの柱の下では、四英雄とラウアが佇んでいた。ローヴルは三人を見据え、彼らの正体を尋ねる。
「あなたがたは……鳴帝様の仰っていた、ノア殿、セティア殿、ルカ殿ですか?」
「はい、そうです。ラウアさんも無事で何より。イージアさんも向こう側に居るようですね。私たちはこれより歪みの中へ向かいます」
早くイージアの下へ向かわねば、全てが手遅れになる可能性がある。
実際、ノアは同様の展開でイージアが消滅するXugeを知っていた。
歪みへ向かうノア、セティアを他所にルカは立ち止まる。
「我はここで待っていよう。外部で何かしらの異変が起こる可能性もあるのでな」
口には出さないが、ルカは災厄を己の身に封じている。創世主の座する空間へ向かえば、災厄の力が何かしらの反応により暴走してしまうかもしれない。そうなれば仲間も傷付けてしまうことになるだろう。
「そんじゃ、ぼくたちは先に行くよ!」
勢いよく飛び込むセティアに続き、ノアもちらりと振り返って歪みへ突入して行った。
場に残ったのは四英雄、ルカ、ラウア。中でもラウアはいつまでも浮かない表情をしている。自分が力になれず、ATに会いにいけないことを悔いているのだろう。
ルカは一瞬にして彼の心情を見抜くが、何も言うことはない。
「ふむ……我は少し島の外を見てくるぞ。何かあったら狼煙を上げてすぐに知らせるように」
「はい、承知しました!」
ローヴルの返事に鷹揚に頷き、ルカは周囲の索敵へ向かう。ATが何かしらの布石を敷いていないとも限らない。
遠のくルカの背を見つめ、カシーネが呟く。
「うわお……ねえオズ。あの人、なんで平然と海の上歩いてるの?」
「わっかんねえ……反重力ってヤツ? いや、魔術なのか? カシーネもできないのかよ?」
「ええ……? できるわけないじゃん! オズの方ができそうだけど……」
「おお? 俺に対する謎の信頼。嬉しいね」
笑いながら話す二人の様子を眺め、スフィルは溜息をつく。
「はあ……イチャイチャするのにも場所を弁えてください。今は世界の大切な分岐点。ラウアさんのお気持ちも考えなさい」
「「はい、すみません」」
一様に返事するオズとカシーネを見て、ラウアは目を丸くする。
二人はひょっとして恋仲なのだろうか。
だが、今は個人間の関係など気にする余裕はない。
ただひたすらに、イージア達の勝利を願うのみ。




