67. 破滅のサーガⅡ
ここは孤島のようで、人間の姿はない。
俺と同じような姿をした化け物が、洞窟の中には何体かいた。やつらは特別な知性はないようで、俺を襲ってこない。前世の記憶がある俺が異常なのだろう。
洞窟を巡っては、時折セェノムクァルの下へ赴く日々。俺はいつしか奴の話を聞くことが生きがいになっていた。話し相手が奴しかいないのだから、当然のことかもしれない。
『こんにちは』
「こんにちは……前から思っていたが、俺たちはどうやって会話しているんだ?」
水中で念話を続けながら、俺は疑問をぶつける。
そもそも俺が伝えている言葉は、俺の知っている言語ではない。しかし意味は自然と理解できるのだ。
『君と話す内に推測を立ててみたんだ。僕も君が何を言っているのか分からないけれど、念で意図は伝わる。恐らく君は別の世界から魂が宿った存在で……だからこそ、最初からそれなりの知能を持っていたんじゃないかな?』
「……そうだ。俺には前世の記憶がある。だが、ほとんど思い出せない」
『そうだね……まず、君はどうしたいかな?』
「どうしたい、とは?」
セェノムクァルの言葉の意味が分からなかった。
いや、自分の意志が分からなかったのかもしれない。俺は俺の心が分からないのだ。
そりゃそうだろう、急にこんな身体に転生して、放り出されて。セェノムクァルがいなければ自分がかつて人間だったことも忘れていたかもしれない。
『この島の外にはね、たくさんの人間や魔族、神々が暮らしている。君がそこへ出たいというのならば……言語を教える必要がある。世界の言語をね』
「こんな身体で外に出たところで……気味悪がられるだろう」
どうやらこの世界……アテルトキアとやらにも人間は存在するらしい。俺が転生前に生きていた世界は何と呼ばれていたかな……ああ、そうだ。『テ・アジフ』と呼ばれていたな。前世のことは殆ど覚えていないが、思い出したくない。しかし俺は化け物。この世界の価値観のほどは分からないが、人前に出ることはできないと思う。
『大丈夫さ。魔族は練習さえすれば人間に変身することもできる。僕が教えてあげよう。なにせ僕はかつて智龍と呼ばれ、人々に叡智を授けていたのだから』
「……正直、俺がこの世界に生まれた意味は分からない。でも、外は見てみたいと思う。俺は故郷の世界が大嫌いだった。そんな俺でも……好きになれる世界なのだろうか、アテルトキアは」
『世界は残酷だけど、優しさに満ちている。僕もまた残酷に殺されたが、優しさに包まれて命を終えた。だからきっと君にも……素敵な生と滅びが待っているんじゃないかな』
俺はまだ、奴が何を言いたいのか判然としなかった。
しかし、信じてもよいのではないかと……そう思ったのだ。
~・~・~
『そういえば、君をなんと呼んだらいいのかな』
「分からない。俺は前の名前を覚えていない」
名前なんてどうでもいい。だって俺はもう人間じゃないのだから。
水中で白骨に凭れ掛かりながら、過去の記憶を思い出そうとする。
……やはり思い出せない。
転生の過程で記憶を落としてしまったのかもしれないな。
『でも、呼び名がないと不便だよ。仮にでもいいから君の名前を決めておこう。……ああ、そうだ。昔僕には子供の龍が居たんだけどね……死んでしまったんだ。未練がましいけれど、その名をつけてもいいかな?』
「なんでもいい。だが、なぜ子供は死んでしまったんだ?」
『僕は智龍と呼ばれると同時、死する直前には滅龍とも呼ばれていた。邪気に飲み込まれてしまってね……それで理性をなくして、暴れ回った。それはもう、世界が歪むほどにね。その時、僕の子も殺してしまった……』
だからここで眠っているのか。眠っているというよりは、魂の残滓が縛られているだけらしいが。
セェノムクァルはこの海に沈み、死したそうだ。今、俺と話しているのは残留思念のようなもの。
未だに奴の邪気が残って、ここら辺の海には狂暴な魔物が発生しているらしい。奴は申し訳なさそうに、悔やむように俺に事実を伝えた。
もしかしたら、セェノムクァルは俺を子供のように思っているのかもしれない。
「では、その子の名前を俺にくれ」
『うん、君の名前は……ルハジャルカ』
「……長い」
俺は名前をもらって早々に苦言を呈した。
セェノムクァルは苦笑いする。思えば、死んだ子供の名前を『長い』なんて言われたら不快な気分になるかもしれない。俺は無遠慮だったのだ。
『じゃあ、略してルカ。最初と最後を取ってね。気に入ってもらえたかな?』
「ルカ……少し中性的な名前だ」
『そうかな? この世界だと、完全に男性の名前なんだけど。君の故郷では中性的な名前なんだね……面白い』
セェノムクァルと話しているだけでも、認識の齟齬が目立つことが度々あった。島の外に出て人間と交流なんかしたら、俺はさぞ奇人に見られることだろう。
まずは人間の身体を得ることが先決だが。
今、俺は人間になる練習をしている。
セェノムクァルに教わって、身体を構成する邪気を組み替える訓練を繰り返していた。一朝一夕で身に付けられる能力ではないらしい。
魔族は身体が邪気だけで構成されていて、どんな身体にも変形可能。しかし血の滲むような練習も必要だ。魔族は不死だという話を最初に聞いた時、俺は不思議な心持に襲われた。
不死。それは恐ろしい病のようでもある。
死なないことは素晴らしいようにも聞こえるが、死ねないということでもある。仮にこの世界が残酷なものだったとして、俺の心は耐えきれるだろうか。
転生前の世界よりも過酷な世界だったとしたら……?
「俺はルカ。魔族のルハジャルカ。覚えた」
名前をもらった。
きっと、これから先……ずっと刻み続ける名だ。俺が破滅へと運ばれる、最後の時まで。




