62. 覚邪開戦
灰の砂漠に佇む、一人の男。
景色に溶けてしまいそうな白い髪をなびかせて、黙して佇む。新世界の創世主、ATである。
彼はとある魂を呼び寄せる。
シエラ山の頂に眠っていた、戦の神の魂を。ここ安息世界は精神世界に近い。魂さえあれば肉体を作り出せる。
「こんにちは、戦神レギン」
「……とうとう俺を呼んだか、新創世主。神を次々と回帰されて焦ったか?」
「そうだね……うん、そうかもしれない。だけど、僕は何があってもこの安息世界を守るけれど。ところで、君はどこまで意識を保持している?」
「全部に決まってるだろ。盤上世界での記憶を全て持ち、お前の意識改編をレジストした。俺は俺だ。どの世界でも変わらねえ」
ATの瞳に宿された警戒の色が濃くなる。
しかし戦神は彼の猜疑を押し退けるように言い放った。
「だが、俺はお前に従ってやるよ。お前の呼びかけを拒否した、『棄てられし神々』の分までな」
「……なぜ?」
「お前は『心』が駒として扱われる、創世主と壊世主の意志を倦んでいる。だからこそ、俺なりの皮肉よ。俺はお前の駒となる。手足のように使い、無様に転がすが良い。お前が最も忌み嫌う、『心』を駒として扱う行為を……お前自身にさせてやるのだ」
戦神の言葉を聞き、ATの警戒が焦燥へと変わる。自らの真意を見透かされたような気がして、彼は俯く。
「僕は世界を守る。君の心一つを犠牲に、この安息が護られるのならば……良いさ。命じるよ、戦神レギン。災厄、【回帰者】を討て。ノアとイージアを討てば、次は悍ましき『黒天』の排除だ。最後に『天魔』の候補を全て滅ぼし、今度こそ厄滅を防ぐ」
「ああ、成功するかどうかはともかく……命令通りに動くさ。ただし、この安息世界が精神世界に近い形態を持ち、魂さえあれば受肉できる環境であれば。『奴』は来るぞ、間違いなく。今のお前の力すらも凌駕し得る、化け物が。たとえ災厄の概念が消えようと、奴だけは消えることはなかろう。精神世界では理性が残っているからなおのこと、世界の回帰者たちに手を貸したがるだろうさ」
「『奴』……? 何を言っている?」
「何もかも見えているように振る舞って、何も見えてやがらねえ。必ずお前の行いには報いが来るぜ、新創世主」
「……」
戦神は自らの運命を悟りつつ、安息世界へと向かった。
~・~・~
約七百年前。
盤上世界に最強の災厄が降臨した。
──『邪剣の魔人』。邪剣ンムフェスに心を蝕まれ、何の変哲もない少年は魔人と化した。
理性は砕け、衝動が満ちる。一閃、地を砕き、天を裂き、海を割る。神々は死闘の果て、邪剣の魔人を封印。歴史上で唯一、神々が討滅できず封印した災厄であった。
数多の神が邪剣に裂かれた。
最強の神族として知られた戦神もまた、彼に破れる。そして戦神の魂はシエラ山の頂に眠り、世界を見守ることとなったのだ。
「……今の『奴』には理性がある。この安息世界なら、奴も平穏と生きることができるが。しかし、おそらく奴は……世界を未来へと進ませるために、回帰を願うんだろうな」
ATは安息を願うあまり、盤上世界でさえ呼び起こせぬ怪物を目覚めさせてしまったようだ。後は怪物自身の理性と良心に、世界の命運は定められた。
しかし戦神に憂いはない。
「心の強さは、命の強さ。止まらぬ心こそ、汝らが祝福。争え、戦え、相克せよ。そこに命は宿れり」
祝詞を呟きながら、彼は向かうべき場所へと進んで行く。
~・~・~
楽園へ踏み入り、イージア達は中央の神殿の扉を開け放つ。
そこにはいつもと変わらぬ姿勢で創造神が鎮座していた。
「おかえり、イージア。お友達も来てるんだね」
「ああ……皆は?」
「他のみんなは任務で楽園の外に行かせているよ。今ここに居るのは僕と、君たちだけさ」
楽園からまったく人気がなくなる采配を、普段の創造神は行わない。任務で人員を割くにしても、最低数人は残していくはずだ。
イージアは得体の知れない違和感を覚えながら、創造神に歩み寄る。
「話したいことがある」
「話したいこと……ね。それは世界についての話かな?」
「……そうだ。君はどれくらいまで知っている?」
四英雄とラウアは少し離れた位置から、二神の語りを見守っていた。
「……君が災厄であること。そして、君を倒さねばならないこと。ふふふ……さあ、戦おうじゃないか! 悪しき災厄よ!」
「くっ……やはり駄目か!」
創造神も意識を改編されている。イージアは即座に飛び退き、神剣を構えた。
四英雄は唐突に上がった戦火に慄き、場から身を引く。ローヴルとスフィルの瞳には真贋を見極める光が、オズとカシーネ瞳には混乱の光が宿る。ラウアは秩序盾を構え。
緊迫の空気、一触即発の導火線。先に手を下すのはどちらの神か。
「ふ……ははははっ!」
「……」
「うそうそ、僕がイージアと戦うわけないじゃないか! 僕は君が災厄なんて信じないし、盤上世界のことも覚えているよ。事変を予見して、意識の改編を弾いたからね?」
「はあ……そうだろうと思っていたが。流石に悪ふざけが過ぎるな。後ろには四英雄も居るんだぞ」
急に弛緩した雰囲気に、後ろの五人は唖然とする。
創造神とリンヴァルス神は互いに意図を分かっていた。神なりのジョークというやつだ。
「こ、これは……どういうことです?」
「ああ、驚かせてごめんね。君たちの事情は把握しているし、イージアが世界を回帰させる者というお話も本当さ。僕はすぐにでも元の世界に回帰したいんだけど……少し話をしようか。まだ『彼ら』が来るまでに時間はあるから」
何かが楽園に来る。
創造神は予見し、自らの安息世界における使命を語るのだった。




