56. 消えた災い
「実はな……この世界にこれまで降臨した、全ての災厄に関する情報が消滅しておるのだ」
「消滅……?」
ルカの言葉の意味をイージアはよく理解できていなかった。
たしかに、ここ安息世界は災厄の脅威に晒されることがないとセティアから説明を受けたが……
「これまで世界にはあらゆる災厄種が降臨し、人理が滅亡しかけてきたことは知っているな? 我もまた長き時を生きる魔族。そういった災厄を何度か目にしてきた。到底時間の流れでは風化できぬほど、恐ろしい化物たちをな」
ルカは遠い時を思い出すように目を細める。
「しかし、つい先日のことだ。保管されていた災厄に関する文献が消失した。世界中の図書館や公的機関、そして人々の記憶からもな」
「なっ……!? つまり、彼の有名な滅龍や邪剣の魔人の存在も?」
名を知られぬ災厄がある一方で、名を知られ語り継がれた災厄も数多く存在した。ルカ曰く、そんな惨禍の記憶すらも消失していると言う。
彼の話を聞き、セティアが推測を立てる。
「おそらく……この世界を創造したATとやらが世界の記憶を改竄しているのだろうね。神々の認識を歪めると同時に、人々の記憶も歪めて災厄の記憶を消去した。真意は不明だけど、そう考えるのが妥当だよ。ただし地神は災厄の存在を知っていたから、神々の記憶からは消去されていないのだろうね」
「では、なぜルカさんは災厄の記憶を忘れていないんだ?」
「『ノアの魂鏡』という装置で改竄できない認識は、その人が大切に想っている記憶。つまりこの中二病さんは、災厄を大切なものとして記憶している……?」
セティアの疑問に答えるようにルカは首肯する。
珍しく、彼にしては神妙な面持ちで。
「……そうだな。災厄のない世界などあり得ぬ。恒久に安寧に閉ざされた世界など……紛い物に他ならない。おかしいと思っていたのだ……フロンティアから消失した魔物、忘れられた災厄。この世界に何が起こっているのか、話してくれないか」
「……どうするの?」
「ルカさんは信頼できる人だ。我々の事情は話しておいた方が良いだろう」
イージアは自分の師匠だからという理由で、色眼鏡をかけてしまっているのかもしれない。しかし、ルカは真実のみを眼で見極める。
神という存在に揺るがず、世界に抗うイージア達の言葉を信じてくれる。
だからこそ、彼はかつての師に真実を打ち明けた。
~・~・~
「なるほど。貴様らは世界への叛逆者という訳か……! 正義を標榜する神々への反攻、そして限られた者だけが知る世界の真実……ッ! 我もまた、その中の一人に選定されたということか!」
「はい。私たちは神々を屠る暗黒の牙。ルカさんがこの暗黒の運命に身を投じるかどうか……それはあなたの意志に委ねられます。しかし、こうして邂逅を果たしたのも何かの運命。共にこの安息世界を終焉へ導くために、破滅の力を貸しては頂けないでしょうか」
「うわぁ……」
ルカ語に合わせて会話するイージアの言葉を、セティアは引き気味に聞いていた。体よくルカを戦力に加え入れようという魂胆が透けて見える。
「うむ、任せるが良い! しかし貴様らの狙いが神々だと言うのならば……ここに来たのは正解だったかもしれんな」
「それはどういう意味で?」
ルカはまたしても部屋の隅に置かれていた結晶と、その隣に位置する扉を指し示した。
「感じぬか、肌が粟立つ気配を」
「気配……たしかに……これは神族の気か?」
懐かしい気をイージアは感じ取る。おそらく地神以外の四神のいずれかだろう。
なぜ『亜天空神殿』に神族が居るのか……理由は不明だが、ノアが深部へ行っていることと関連があるのかもしれない。
「よし、行ってみよう!」
セティアに引き連れられ、二人は気配を放つ扉へと向かって行く。
~・~・~
亜天空神殿、楼閣。
『鳳凰烈風』
眩い神風が大空間を包み込む。邪なる物を払う烈風は標的を包み込み、凄まじい衝撃を巻き起こす。
天神ゼニアが敵と定める災厄は、
「無駄ですよ。私は災厄ではありませんから、神気による攻撃も効きません」
左手に持った杖を振るう。同時に神の烈風はそよ風となり、やがて無風の空間に戻る。
世界の怨敵と定められた少女……ノアは天神を屠るために『亜天空神殿』へと乗り込んだ。
(すぐにでも終わらせて良いのですが……恐らく他の神族の応援が来るでしょう。そこを一網打尽にした方が良さそうですね)
『あなたは何を望み、この安息世界へとやって来たのですか……!?』
天神の問いに彼女は答えあぐねる。
神々を殺し、回帰させるためです……等と言っても信じてはもらえないだろう。
「ああ……そうです。この安息世界の創世主のお名前を伺っても?」
『……答えるつもりはありません』
「AT。違いますか?」
『……!』
否定せざるは沈黙。
この安息世界の創世主はアテルトキアではなく、ATで間違いないようだ。そして神々は欺瞞を当然のように受け入れている。
ゼニアは返答の代わりに裁光をノアへ向けて放つ。
彼女は腰に下げた五色の封石に触れ、周囲の神気を払う。勇進、再誕、減弱、快復、召喚の五つの権能を持つノアの力を籠めた封石だ。減弱の権能を発動し、彼女は神気を滅した。
『あなたの力は……本当に規格外で、他の災厄とは決定的に異なる。何者なのですか?』
「ノアちゃんは天才です。それ以外の何者でもありませんよ」
天神の攻撃を受け続けるノア。創世主と壊世主を監視する役割を持つ彼女の力は、一介の神に屠れるほど脆弱なものではない。こうして攻撃を耐えることも容易。
後は他の神族が来るのを待てば良いのだが……
「……来ましたか。それも、神族の応援だけではないようですね」
戦場に二つの変化が巻き起こった。
一方は、深緑の山が大空間に出現。緑の巨躯を持つ神族……龍神は神炎をノアに向けて放出。
そしてもう一方は、三つの人影の出現。人影の中の一つが放った青き霧が龍神の炎を呑み込み、無へと還す。
「フハハハハッ! 破滅の使徒、ここに見参!」
「おお、神族が二体も居るよ! ぶっころ、ぶち抜き!」
「……変な人たちが来ましたね」
イージアの前面に立つ二人の奇人を見とがめ、ノアは困惑した。




