幕間2. ロマン(イージア論)
イージアは楽園の森の中を散策する。
特段やる事もなかったので、あまり立ち入らない場所へ行ってみようという算段だ。深い森。天を覆う木の葉の隙間から射し込む木漏れ日が眩しい。
森をしばらく歩くと、広い花畑に出る。緑に塗りつぶされた光景から、一気に視界が開けて色とりどりの花々が彼を出迎えた。
色彩の中で草原に座り、風に揺られる少女が一人。
「あら、イージアさん。こんにちは。あなたがここに来るなんて珍しいですね」
「アリスはよくここに来るのか?」
「はい。お花と話すのが好きなんです。話すといっても、人間の様に明確な意志がある訳ではなくて……ぼんやりとした感情なのですが」
アリスの感覚は未だに理解できない。植物と話す異能も、きわめて特異なものだ。
「リグスは今、サーラライト国に帰っています。世界の情勢も落ち着いてきて、任務も少なくなりましたから」
「そういえば……サーラライト国の結界の除去は進んでいるのか?」
「ええ。現在は国民を説得しつつ、試験的に結界を壊してみる計画を立てているところです。まずは『春霞』の力で小さな穴を開けようかと」
彼女は二百年以内に結界を全て破壊することを、萌神に力を贈与してもらう契約条件とした。残り百五十年。
時間は十分にある。結界の除去はゆっくりと進めていけば良い。
『黎触の団』も潰えた今、サーラライト族に危害を加える者はいないのだから。
「今度イージアさんも国に来てください。結界を壊してみる時は、何かがあった時のために傍に居てもらいたいんです」
「分かった。それと、ナリアも連れて行こう。シレーネが喜ぶだろうからな」
アリスの妹であるシレーネは、ナリアのアーティファクトをずいぶん気に入っていた。
ナリアは楽園から出たがらないだろうが、無理矢理引きずり出せばいい。
「ふふ……そうですね。浪漫という風情を、ナリアさんのアーティファクトから感じるとあの子は言っていました。私にはよく分からない感覚ですが」
「私には分からなくもないな」
「うーん……浪漫とは何なのでしょうか」
「こう、ドカーンとやってバーンとなる感じだ」
「どかーんとやって、ばーん……? なるほど、分かりません!」
分からないだろうな、とイージアは頷く。別にナリアはアーティファクトを専門に扱っている訳ではないのだが……シレーネはとにかくアーティファクトにご執心だ。
サーラライトの国へ再び赴く約束を交わして、イージアは花を眺めた。
昔、母と共に育てた夏花を思い出しながら。
~・~・~
「たしかに、魔術の発動形式は魔法陣式がもっとも正確だ。それは認めよう。しかし生産性の効率を求めるのならば、視覚式以外あり得ないな」
「それはあなたの感想よね? 魔法陣式で精密さを高めれば、おのずと効率も上がると思うのだけれど。そもそも魔術研究において失敗は許されないものであって、危機管理能力が足りないと思うの」
「…………」
楽園の地下で、イージアは二人の強気な少女に挟まれていた。
どうしてこうなったのか。アリスと別れ、気軽にナリアの研究室へと立ち寄っただけなのだが。
「いいか、理外の魔女。お前は『錬象術』の何たるかを理解していない。魔道具の生産は効率が命。生産性を重視すれば多少の不良品が出るのは致し方ないことだ」
「それで死者でも出たらどう責任を取るの? そこらへんにある食品とは訳が違うのよ。もっと生産者として責任を持つべきではないかしら」
「無論、不良品はないに越したことはない。第一に効率を見据えつつ、安全性も追求する。当然の研究姿勢だろう。魔道具の開発が遅れて迷惑を被る奴もいるということだ。結果として供給が間に合わず、死者が出る可能性も考慮せよ」
「…………」
完全に方向性の違いによる衝突である。
帰ろうとするイージアだったが、険悪な雰囲気がそれを許さなかった。どうにかして逃げ出したい。
「そういえば、この後任務があった気がするな。私はそろそろ……」
その場を去ろうとする彼を、フェルンネが強引に引き戻した。
冷や汗が背を伝う。
「ところであなたは、どっちの意見が正しいと思う?」
「ふむ……効率と安全性、両方追求するというのはどうだろう?」
苦し紛れに答えたイージアの言葉は、ナリアに否定される。
「だから両面の重視が前提だと言っただろう。問題はどちらに重きを置くか。イージア……もちろんお前はアホだが、馬鹿ではない。どちらが大切か分かるな?」
──圧。この圧は熱い。厚い。
八重戦聖の二人から、それぞれ異なる圧をかけられている。
もはや両者の意見を尊重することは叶わない。ならば、真向から立ち向かうべきではないだろうか。そうだ、そうしよう。イージアの頭に名案が浮かんだ。
「私はとにかく、かっこよさを重視すべきだと思う……!」
「「は?」」
もちろん、彼は研究室を追い出された。
多少の罵倒と攻撃を受けたが、無事に論叢からの離脱を果たすのだった。
時に愚鈍に振る舞うことは大切である。




