35. リンヴ=アルス
リンヴァルス帝国。
災厄のオーラに晒された国は、混迷を極めていた。崩れた摩天楼、煙を上げる魔鋼ビル。オーラを浴びた沿岸部から炎が次々と広がり、天に黒い流星が降り注ぐ。
始祖による結界は解除され、次々と邪なる気が溢れ出し……また一人、一人と死にゆく。
「おお、神よ……」
敬虔なるリンヴァルス帝国の国民は跪き、天へ祈りを捧げる。無情にも彼の身体は瓦礫に押し潰され、降り立った魔物が死体を蹂躙する。
絶望。
もはや彼らを守る盾はどこにもない。
「始祖様、お助けください……」
「ああ、リンヴァルス神よ……」
民の頼みとする始祖はATと戦い続けている。彼らが願うリンヴァルス神も存在せず。
蒙昧を罪として、災厄による罰が国に下されようとしている。
熱風が駆け抜けた。炎がリンヴァルス皇城を襲い、一角が崩壊。
絶対的な権威を持つ皇帝の居城の崩落は、帝国の落葉を示し出す。もはやこれまで。
五千年に渡るリンヴァルスの歴史は潰えてしまう。
「お母さん……怖いよ……」
「大丈夫よ……大丈夫。必ず神様が助けてくれる」
幻神を信じ、彼らは祈り続ける。
~・~・~
沈む。沈む。
恐怖の海へと沈んで行く。彼方より射し込む地上の光。遠ざかってゆく。
あの光を掴めなければ、私はきっと一生光を浴びれないまま。
(助けてくれ……)
誰か、私を助けてくれ。
怖いのだ。あの災厄が怖い。とうに過ぎ去った筈の感情が蘇る。
世界を守らなければならない。私にできることは立ち上がり、奴に立ち向かうこと。今起き上がらねば、再び世界が滅んでしまう。
(動いてくれ……)
ぐつぐつと、溶岩の音だけが響く。
私の背を押す声は聞こえない。声援などなくとも、立ち向かわなくては。
(……?)
何かが、聞こえた。
別に音が鼓膜を叩いた訳じゃない。聞こえたと言うよりも、響いたと言った方が正しいのか。
誰かが私を呼んでいる気がした。
(……気のせいか)
こんな深海で誰が私を呼ぶと言うのか。
そんなことはどうでも良いのだ。ラウンアクロードに再び立ち向かわなくては。
皆が戦っている。私も戦うべきだ。
──どうして身体が動かない?
どうして私の心はここまで脆い?
完全たれ。無欠たれ。物語の主人公のように、何者にも屈さず立ち向かえ。人形のように、与えられた役割に果敢に立ち向かえ。
どうして。
(……うるさい)
先程からうるさいんだ。
誰かが私を呼んでいる。黙ってくれ。
助けてくれと……そう叫んでいる。
助けてほしいのは私の方なんだ。
戦う勇気を。守る為の力を。私に届けてくれ。
(うるさい……うるさい……!)
次第に私を呼ぶ声が大きく、多くなっていく。
重なり合う喚起の声。縋る招来の願い。
誰が私を呼んでいる?
魂に声が響く。願いが鳴り響く。
『為すべきは、己の瞳で見て、己の意思で考え、己の意志で運命を切り拓くこと』
『こ、の……世界は、広い。だから……お前も……護るべきものを……』
『ラウンアクロード……お前を殺す』
『君が僕を愛してくれた瞬間を、僕は愛した。そして、その愛に報いる為に──僕の全てを捨ててでも、守り抜く、絶対に』
『……ありがとう。こんな私を、信じてくれて』
『私はあなたを見捨てない。それが私に出来る仕返しだと思うから……一緒に生きましょう。どれだけ辛い過去があったとしても、生きましょう』
『……必ず生きて、再び君と未来を生きる』
呪いのように。これまでの歩みの断片がフラッシュバックする。
共鳴者として。英雄として。鳴帝として。
私は歩みを止めてはならない。振り返ってはならない。
「……すまない」
誰に謝ったのだろうか。
私を信じ、愛してくれた者すべてに。こうして畏怖して震え、起き上がろうとしなかったことを詫びたのだ。
誰かを救い、守ることが定めならば……私はその『祝福』を受け入れよう。
──知っている。私にしか成し得ぬことがある。
だから歩みを止めるな。
もう過去に囚われるのはおしまいだ。
『……あなたに祝福を。その意思が何者にも屈さぬように、共鳴を』
声が聞こえた。
僕の、私の名は──
「【降臨】」
気が付けば、私は深海から抜け出していた。
身体を神気が包み込み、いつしかリンヴァルス帝国の天へと立っている。
惨憺たる有様だ。それでもなお、民は祈りを捧げ希望を捨てずにいる。ならば、私も希望を捨てはしない。
……不思議な感覚だ。
自分の魂が澄み渡っている。眩い神気が溢れ出し、国を覆う邪気を払い退ける。
人々は私を見て……一縷の希望を瞳に燃え上がらせた。
概念神リンヴ=アルス。
レアが仮に定めた、幻想の神。
されど幻想に祈りは宿り、神族の本質である人々の意志が形となる。
アルスの名を冠す神、それはまさしくこの身であろう。
立ち向かえ、諦めるな。祈りの器は此処に在り。
安心するが良い。君たちを救って見せよう。
「我は『鳴帝』イージア。またの名を……リンヴァルス神。今、救いを齎さん」




