2. 融解
僕が少女……アテルとの邂逅を思い出していると、彼女はにこりと笑って問いかける。
「どうして私がアルス君をこの精神世界に閉じ込めたと思う?」
「はあ……知らないよ。聞いても答えてくれないじゃないか。僕は散歩に行ってくるよ」
この世界に閉じ込められて以来、僕はアテルから色々な知識を詰め込まれている。
まるで名門校でも目指しているかのように、授業を受けながら。
今日も授業が始まる前の散歩に出かけよう。
そうでもしないと気がおかしくなる。
僕はずっとこの世界に幽閉されているのだから。
ログハウスの扉を開けると、風が吹いた。外は一面の灰。
灰色の砂粒がどこまでも広がる砂漠だ。
果てはなく、どこまで歩いても同じ光景がループする。
「えー……前から思ってたんだけどさ、アルス君の散歩って何の意味もないよね?」
「そうだよ。でも、気分転換しなきゃ。心が病んでしまわないように」
「心、か……」
アテルは難しそうに呟いた。
そんな彼女を置き去りにして、僕は外へ踏み出した。
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灰色の砂漠をひたすらに歩く。
なだらかな砂丘の上から吹き荒む風が、砂礫とともに頬を撫でた。
どこまでも広がる地平線、曇天の空。
草木、動物、山、何もかもがそこにはない。
この精神世界から出る術はない。
されど僕は歩き続ける。足で踏みしめる灰の感触はもう慣れ親しんだものだ。
なぜ意味もなく歩くのか――僕自身もわからない。
なんとなく、己を己たらしめている気がするから。
それに……
「そろそろ帰ろうかな」
帰る場所ならいつでもそこにある。
目を上げると、僕の誘拐犯……アテルの住む小屋が見えた。
ここは精神世界。この世界の住人である僕が望めば、そこにはあるべきものがある。
玄関で塵を払い、扉を開く。パラパラと落ちた砂礫が木の床面に落ちた。
「ただいま、アテル」
家に入ると、暖色の灯と、美しい少女が視界に入った。暖かい。精神世界なのに気温があるなんて、おかしな話だけれど。
「おかえり、アルス君。今日の夜ごはんは何にしようかな?」
「その前に勉強しないと。今日は……四英雄についての続きだったかな」
僕は今、この精神世界に閉じ込められて知識を詰め込まれている。
勉強というのは、世界について学ぶのだ。ここではなくて、僕が生まれた現実世界に関する勉強を。
アテル曰く、いつか精神世界から出してくれるそうだけど……いつのことになるのやら。
「ふむ、それならば我の得意分野だな」
「わっ! ……って、ジャイル。居たのなら声を掛けてくれればいいのに」
低く威厳のある声が聞こえ、そちらを見ると隣の部屋に緑髪を伸ばした男性がいた。名前がジャイルということ以外、彼に関する情報をまったく知らない。
他にも三人、この家にたまにやって来る人たちがいる。
「すまんな。話しかけるタイミングが掴めなかった」
「ジャイルは恥ずかしがり屋だからね! 素直におかえりって言えばいいのに」
アテルが彼を茶化している光景はもはや日常茶飯事だ。
ふん、とジャイルは鼻をならしてアテルを無視した。
「ところで、君が四英雄に詳しいって言うのは?」
「それは解説を聞けばわかるとも! さあ、授業開始だ!」
こうして毎日恒例のアテル先生の授業が始まった。
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百五十年前、世界に魔神が降臨した。魔神は世界を闇の力で蹂躙し、混乱に陥れた。
そこで世界を統治する四神の一柱、龍神が四人の人間に力を与えたという。それが四英雄である。四英雄は魔神を討ち倒し、救世の徒として語り継がれることとなった。
『碧天』、『輝天』、『霓天』、『黒天』──これが四英雄である。黒天を除く三人の家系は龍神から継いだ力……【神能】をその家系に脈々と受け継いでいる。
「その龍神というのが我……ジャイルのことだな」
「へぇー……ぇええええ!?」
ジャイルが……何を言い出したかと思えばとんでもないことを言い出したぞ。いや、まあ創世主がここにいるんだから神がいても不思議じゃない……のか?
でも、どう見ても龍じゃなくて人の姿をしてるんだけど。
「アルス君、驚くのはまだ早い! 実は君はその四英雄の一人……霓天の末裔なんだからね!」
「ああ、それは知ってるよ。父さんがよく誇り高きゲイテンの家系として……みたいなこと言ってたからね。言葉の意味はよくわからなかったけど、昨日の授業で四英雄のことを習ってわかったんだ」
父さん……懐かしいなあ。ここは精神世界で現実の時間は流れていないから、いずれ何も変わっていない父さんと会えるはずだ。本当にアテルがここから出してくれるのなら。
「えー……驚かせようと思ったのにもう知ってたんだね……悲しいよお」
彼女が悲しんでる。なんだかこっちも悲しくなる。
「ふむ、それで今日は何を新しく学ぶんだ?」
「うん、四英雄が神能を持っていることは教えたね? 今回はその内容について教えよう」
こんな調子で、僕は今日も世界のことを学ぶのであった。
まあ無理して覚える必要はない。気楽に学んでいこう。
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灰色の砂漠を歩き、歩く。今日もお散歩日和。雲ってるけど。
変わらない曇り空はかえって僕の心を安堵すらさせる。突飛に吹いた風が僕の水色の髪を靡かせた。
何もかもが変わらない歩み、それは今日も今日とて同じだと思っていた。けれど、
「うん?」
──何かが、呼んでいる気がした。
別に声が聞こえたわけでも、心に語りかけられているわけでもないのだけれど。
気の赴くままに、そちらへ歩みを進めていった。
『誰か……いるのか……?』
何かが灰の中に埋れていた。
ホログラムが歪んだように、その人型の者の姿は明確にはわからなかった。だけど、今にも消えてしまいそうだ。
「あの、大丈夫?」
少し躊躇しながらも、僕はソレに話しかけた。そうせざるを得ない何かがあった。
『ああ……やっぱり、来てくれた。懐かしい、声だなぁ……』
敵意は感じられなかった。僕は屈み込んで、人の顔にあたる部分を覗き込んだが……やっぱりよく見えない。
嬉しいような、泣いているような、嘆いているような声で彼は話す。
『手を……出してくれ』
言われるがまま、手を差し出す。
彼の手と僕の手が重なったとき、一瞬だけ異物感のようなものを感じたが、すぐに消え去った。
なんだろう、この感覚……すごく悲しくて、虚しくて、なつかしい。
僕はこの人のことを知っている……?
「僕がついているから……安心してね。すぐにアテルに見てもらって怪我を……」
『いいや……もう、いいんだ。それよりも……君は、為すべきことを……為せ。どうか、君は……』
……言いきらず、彼は灰となって消えた。
砂漠の灰に溶け込み、そこに彼がいたという事実は跡形もなく消え去った。まるで彼がこの砂漠と同じモノであったように。
彼はどうやって精神世界に入ってきたのだろう?
ともかく、このことはアテルには話さないでいよう。なんとなく、その方がいい気がした。僕はいつも気分で動くから。
「……帰ろう」
眼前にどこからともなく現れる小屋。僕はなんだか疲れた思いで帰ってきた。
伏線回収は200話以上先になります
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↓以下の設定は読まなくてもいいです。興味ある方だけどうぞ
【四英雄】……役百五十年前、魔神を討滅した四人の英雄。彼らは『碧天』『輝天』『霓天』『黒天』と呼ばれた。『黒天』のみ、子孫が存在しないとされている
【魔神】……魔神リグト・リフォル。世界に災いを齎し、四英雄により討たれた。出現と共に魔物を活性化させる。『リフォル教』という特殊な宗教団体により世界に降臨した。降臨後はしばらく精神体となっており、実体を持つまでに一年間程度の期間を要した
【神能】……四英雄の血筋に受け継がれる、特殊な能力。龍神が四英雄に授けたとされる
【アテルトキア】……この作品の舞台。戦争は起こらない程度まで技術力は発展しており、魔術や異能、魔物などの概念が存在する。陸四割、海六割。人類が暮らす領域と、魔物が発生する領域は分けられている。マリーベル大陸、リーブ大陸、アントス大陸の三大陸が存在。主人公の出身であるディオネ神聖王国はリーブ大陸の中央に位置する