22. 情のはじまり
この国には珍しい暖かな日差しの下で城下町を歩く。華麗な天廊と天輪が黄金色に陽光で煌き、空を照らす様相は繁栄の証だ。
いつものように午前中にディオネ王城で訓練を終え、帰りがけに買い物へ行っていた。買い物といっても、母に頼まれたという訳ではなく個人的に興味があるものだ。
「見つからないな……」
僕が時折訪れる書店。
微かに香る書物の匂いの中で幾多の文字列に視線を巡らせる。最近の趣味はこうして本屋で興味が惹かれるものを探す事だ。
主に歴史分野の本について読んでいるのだが、いかんせん目当ての本が見つからない。
「何探してるの?」
「うん? 2600年頃……封霊アントス史を探してるんだけど……」
因みに封霊というのは千年の終わり毎につけられる元号のようなものだ。
……というか、誰だ?
目を書物から上げ、声のした方向を見る。
そこにはとても奇妙な光景があった。
いや、そう感じるのは僕だけであって他の人から見ればごく普通の光景だ。
彼女は首を傾げる。
「あれ、どうしたの?」
「……あ」
「?」
「アテル……? なのかな?」
僕が疑問符をつけたのは、彼女の姿が普段見ているものと違ったからだ。
その純白に虹のかかったような綺麗な髪といい、芸術性すらある美しさは変わらないのだが……彼女の背丈が子供の僕と同じくらいなのだ。
まあ、見た目が変わったくらいでこの独特な形容し難い雰囲気は紛らわせないのだが。
「お、よく気づいたね。アルス君、慧眼だね」
「……いや、こんな可愛い子はアテル、じゃなくてレーシャしか居ないからね。間違いようがない」
そういえば現実だと彼女のことはレーシャと呼ばなくちゃいけないんだった。
褒め言葉に反応する事もなく彼女は側に近寄って来る。
精神世界では特に感じなかった緊張が、実体を持つこの場では襲い掛かる。
「な、なんでそんなに小さいの?」
「うん、アルス君に合わせようと思って。友達に見えるでしょ?」
「……そうだね」
彼女は僕の持っている本を覗き込む。
書かれている内容は何の変哲も無い歴史書だ。
「アントスの青霧騎士について調べようと思って。彼は独特な剣技を扱ってたらしいからね」
「あー、彼かあ。確かに変な戦い方してたね。本が見つからないなら今度教えようか?」
「本当? ありがとう!」
パタンと本を閉じ、棚に戻す。
「そういえば、レーシャは何でここに?」
「最近会ってないからね、恋しくなったんだよ?」
それはお世辞でも嬉しいな。無論、創世主の器が何の理由も無しに顕現する訳がないのだけれど。
「それじゃあ、僕は帰るね。お母さんが待ってるから」
とにかく、彼女の邪魔をする訳にもいかない。さっさと帰ろう。
「あ、私も行く」
……おっと、これはどういう事だ?
まさか本当に会いに来ただけなのか? いや、そんなことはない……筈なのだが。会うだけなら精神世界で会えば良いし。
まあ、僕からすれば何も問題は無い。
----------
「ただいまー」
「あら、お帰りなさ……い?」
「お邪魔しまーす!」
いつものように家に帰り着く。いつもと違うのは、一人ではなく二人ということだ。
「アルス! 誰かしらその可愛い子!?」
「はじめまして、レーシャです。アルス君のお友達です」
母は頬に手を当て、悩まし気に呟く。
「アルス、いつの間に女の子を家に連れ込むようになったのかしら……思えばこの子は成長が早かったものね」
「いや、そうじゃなくて……」
「そうなんですよ? アルス君ったらこんなに可愛い子は君しか居ないなんて言ってくれて……」
先程言った言葉を後悔する。やめてくれ。
「……レーシャも乗らないでくれるかな」
悪乗りするアテル、もといレーシャ。どちらかと言えばアテルと僕は、上司と部下なのだが。
「……アルス」
母がいつになく真剣な眼差しでこちらを見てくる。
「こんなにかわいい子がいるのに浮気しちゃダメよ?」
「だからさ……」
この際何を言っても無駄だから諦めよう。
……マリーが訝しげにこちらを見ている。あの子には後でちゃんと説明してみよう。
----------
「わ、レーシャちゃんすごい!」
「ふふん、こんなこともできるよ!」
レーシャが水泡をいくつも宙に浮かべて弾けさせる。そんな綺麗な光景にマリーは息を呑む。
「ぼ、僕だってできるし……」
水魔術で水泡を作ろうとするも、途中で失敗して芝生を濡らしてしまった。
……できませんでした。
「あれ? お兄ちゃんできるんじゃないの?」
「……今日はちょっっと調子が悪くてね」
「アルス君、ダサい……」
ぐっ。
僕は神能のおかげで四属性を扱えるが、決して構築が上手い訳ではない。むしろ下手な方だ。
まあ、自分の才能にとやかく言っても仕方ない。僕がするべき事は非才を補おうと訓練する事だけだ。
数刻後。
「そろそろ帰ろうかなー」
「レーシャちゃん、もう帰っちゃうの?」
マリーは同じ歳頃の女の子の友達が居ないから寂しいのだろう。まあ、半年後には学校へ行くことになっているから、そこで友達は出来るだろう。
……しかし、一人で通学させるのは心配だな。この辺りには僕やマリーと近い歳の子供が居ないのだ。
「また今度来るから、一緒に遊ぼう?」
「うん!」
僕は途中からついて行けずに部屋の隅で魔眼携帯をいじっていた。
短時間ならまだしも、長時間マリーのお飯事にはついていけない。何しろ突拍子もなく犬や食べ物が喋りだすのだ。僕には理解が及ばない。
……むしろ、それに対応できるレーシャもまた凄いと思う。
「お母さん、レーシャ送ってくるね」
「はーい、気をつけてね」
「お邪魔しましたー!」
空には既に紫紺の波紋が見え始め、夕方から夜に変わりつつある。そろそろ父も帰って来る時間だ。
外に出ると、少し冷たい風が頬を撫でる。
「……結局、今日は何しに来たの?」
「うん? 特に目的はないけど……」
「そっか」
彼女が地上に来た意味は推し量れないが、何の目的もないと言うのならば、僕も何も言うまい。
「しかし……災厄はまだ来ないのかな?」
この世紀が始まってもう九年になる。僕は七歳と少し。
今世紀中に四体の災厄が現れるのならば、そろそろ一体目が現れても良いのではないか。
「うーん。それは災厄の御子次第だね……彼の気分で災厄は召喚されるし」
災厄の御子……?
そんな言葉は初めて聞いた。
「なにそれ?」
「災厄が出現する世紀と出現しない世紀があるのは知ってるよね?」
「うん」
現在は五十四世紀で、災厄は今世紀を除いて十二体出現している。平均すると約四世紀に一体災厄が出現することになる。
しかし、今世紀は四体も出てくるのだ。そりゃアテルも僕みたいに戦力を補充したがるだろう。
「災厄が出現する世紀には、災厄を降臨させる者が一人……秩序の因果によって選ばれるんだ。それが、災厄の御子だよ」
「そんな存在が居たのか……てことは、今も世界のどこかに災厄の御子が居て、災厄の召喚権を握ってるってことか」
共鳴者の僕と逆の存在みたいなかんじ?
「そうだね。災厄の御子がその世紀が終わるまで召喚しなければ、その御子は強制的に絶命して災厄が召喚されることになる」
もし御子が世界を守りたいと願って災厄の召喚を実行しなくても、命を取られて結局召喚されてしまう……か。しかも、無作為に人類から選ばれるらしい。
「なんだか可哀想だね……」
「そうかな? 逆に、災厄の御子が世界の破滅を望めば、一気に四体召喚してあっさりと世界を滅ぼせるんだから……恐ろしいものだよ」
たしかに、そうとも言えるのか。
「まあ、一番良い対処法は災厄の御子を殺すことだね。殺せば災厄の召喚は防がれるし」
「え、殺すのか……でもその人は何もしてないよね?」
「まあ、そうだけど。たしかに心は痛むよね……私が創世主に戻れば、そんな同情は跡形もなく消え去るんだけど。でも、私は一回も災厄の御子を見つけたことが無いから! どうせ今世紀も見つからないさ!」
ヤケクソ気味に衝撃の事実を吐き出すレーシャ。
「創世主さん……」
「い、いやあ……アテルはちゃんと見張ってるんだけどね? 不思議と見つからないんだよ! 神除けの結界でも使ってるんだろうね、めんどくさいなあ」
神除けの結界とは、神々の目から自身を見えなくする代物だ。理外の魔女と呼ばれる者が作成したものの、作成コストが国家予算並みである。
到底誰にも作ることはできないモノだ。
「それじゃあ、そろそろ帰るねー」
レーシャの姿が揺らぐ。
「うん、またね」
「アルス君も頑張って!」
彼女に別れを告げ、踵を返す。
日が落ち、気温も下がってきた。少し悴む手をポケットに突っ込んで歩く。




