20. 勝利の余韻
「水禍、爆炎!」
荒れ狂う幾重の氷刃、地を砕く灼熱の爆炎が一帯を支配し、凄まじい衝撃が走る。
二属性の魔術を操り、一切の魔物を寄せ付けない者が一人。
「キリがない。一体どこから湧いてくるんだ……」
スターチがこうして戦い、どれほどの時間が経ったのか。
現実的に考えてこれほど多くの魔物が出現することなどあり得ない。幻術の類も疑ったが、どうやら違うようだ。
「ともかく、皆の安否を確認しなければ。まずはこの場を切り抜けなけらばならないが……」
無理にでも包囲から道をこじ開けようと試みたが、魔物も塞ぐように立ち回る。まるで意思があるかのようだ。
「邪魔だァ!」
「何だ……?」
状況が変わる。魔の群勢の一角から衝撃が上がったのだ。魔物の注意はそちらへ向けられ、スターチもまた視線を向ける。
そこに居たのは、一人の男。
これといった特徴も無い緑髪の男だが、その顔には戦場に似合わぬ笑みが浮かんでいた。
「よぉ小僧、ここは俺に任せな! 久々に暴れられるぜ!」
「あ、ああ……しかし貴方は?」
男は普通の人間と変わらない外見からは想像もできない速度で腕を振るい、素手で魔物を薙ぎ払う。
間違いなく達人の域を超えた人外の動き。恐らく魔族の類だろう。
「心配すんな! こんな雑魚どもにゃ負けねえよ、俺は世界最強を目指す漢だからな!」
「……感謝を。この場はお任せします。私の名はスターチ・ナージェント。この礼は後程」
「おう? 人間の間じゃ名を名乗るのに意味があんのか? 俺はタナンだ、覚えとけ!」
タナンと名乗った男に戦場を任せ、スターチは離脱する。現状の最優先事項は他の者が安全かどうかを確認すること。
「ユリーチ、どうか無事でいてくれ」
巻き起こる衝撃波を後にしてスターチは走り出した。
----------
「オノレぇぇえええッ! 小賢しいニンゲン供、劣等、卑劣、低俗! 逃しはせんッ……」
魔王は逃げ出した二人を追い、一心不乱に突き進む。殺意の衝動に駆られ、悪意を振りまきながら。
「……低俗とはよく言ったものだ。汝はルトの足元にも及ばぬ程愚かであろうに」
狂乱の最中にある魔王の前に一人の者が現れる。
異質な雰囲気を持つ緑髪の男は、魔王の圧倒的な威圧にも臆さず立ち塞がる。
「その忌々しき名ヲ呼ぶな……! 貴様、何者だ!」
「我が領域に押し入っておきながら、主人に何者かとは笑わせてくれる」
「……貴様、龍神か! おのれ……神など我が邪槍【ドラドゥス】で砕いてくれるわ!」
魔王が邪槍を龍神に突き立てる。
生あるモノを冒涜し、破滅を齎すその邪気に触れるも、龍神には傷一つつかない。
「汝など相手にしている暇は無いが……一度、圧倒的な力の差を分からせてやらねばな」
「何故だ……何故! 今更になって神は我が前に現れた! 我ら魔族になど目も向けない分際で!」
「我等が救済するのは、この世界に生まれた生命のみ。だが、魔族が生まれたとて排斥はしない。……それでは不満か」
魔物は、神々が意図せず生じる存在。
身体が邪気のみで構成されているために生物とも定義されていない。魔物の中から意思を持った者が魔族と呼ばれる。
或いは人と共に生き、或いは自然に生き、或いは破壊を齎すのが魔族である。
「ふざけるな……! 我らは、私は……神々のせいでッ!」
「……命を奪いはせぬ。神域から去るがいい。そして、警告だ」
龍神から凄まじい神気が放たれる。
「二度とこの地へ立ち入ることは許さぬ。貴様も、貴様の写し子もな。次は無いと思え」
「オノレ……おのれ、オノレ己ッッ!! 我等は必ず……!」
魔王が龍神の放った神気に包まれる。
神を恨むその魔族の嘆声は、木霊し切る事なく神域から消滅した。
「世界のあるべき姿など分からぬ。……分からぬよ、この我にも」
----------
「はぁっ!」
『ぬう、中々にやる……』
ヘクサムと黒鎧が剣を交わす。
常人には目で追えぬ程の速度、技量の交差。ヘクサムは四葉によって四属性を操り多彩な剣技を繰り出す。
黒鎧には魔結界が張られていることを見極め、身体強化に魔力を重点的に注ぐ。
「背中が空いているぞ!」
『ぐっ……!』
背後から嵐の如く一閃を繰り出すタイム。
片腕を失っているとはいえ、その威力は絶大。凄まじい衝撃が地を震撼させる。
かつてルフィア最強の騎士と呼ばれた『碧天』の末裔と、ディオネの聖騎士たる『霓天』の末裔に黒鎧は徐々に追い詰められていた。
『分が悪いな。しかし、上等……!』
黒鎧は啖呵を切り、魔剣を振るいヘクサムに肉薄する。
受け流し、斬り返し、叩き込む。
嵐と魔力が邪気と相対し、歪ながらも美しく大気が震える。
そんな剣戟の最中、
『……む』
鎧が動きを一瞬止める。
それに呼応するかの様にヘクサムとタイムも何かしらの変化を感じ取る。
「何だ……? よく分からんが、身体が軽くなったな」
二人はこの異変が起こった時から身体に違和感を感じていたが、負荷が突如として消え去った。
『我が王が去ったようだな。碧天に霓天よ、勝負はここまでだ』
「なんだと……! 勝手に仕掛けておいて逃げる気か、貴様!」
立ち去ろうとする黒鎧にタイムが詰め寄る。
彼の態度を歯牙にもかけず、鎧は無機質な声で告げた。
『確かに、このまま戦えば我は敗北を喫していたやもしれぬ。だが、それと話は別。ここで我が王が退いた以上、この戦は魔王軍全ての敗北である。……次は全力で剣を交えよう』
「ふざけたことを……!」
「タイム、終わりだ。今は子供達を探すべき、そうだろう?」
食い下がるタイムをヘクサムが制す。その間に黒鎧は闇に紛れ、離脱する。
ヘクサムの呼びかけによって冷静さを取り戻したタイムは踏みとどまり、溜息をつく。
「……全く、お前は昔から冷静なことだ。さて、子供達を探すか。彼らなら無事に切り抜けられたと思うが……」
----------
神域に溢れかえっていた魔物の群勢は突如として消え去り、辺りは静寂に満ちていた。
龍神の神殿へ向かう道中、人影どころか獣すら見えないことに不安を感じながらも歩みを進める。
「つかれたぁ……」
ユリーチが長距離の移動に音を上げる。あまり運動に慣れていないのだろう。少し速度を落としながら、神殿で皆と合流出来なかった場合の事を考える。
まあ、ここの主のジャイルに尋ねればどうとでもなるか。
「おい、アルス!」
思考を断ち切るように、声が聞こえた。
短い時間しか経っていないのに、ひどく懐かしい声だ。
「アリキソン! 良かった、無事だったか……って、その傷は……」
彼は全身傷つき、息も絶え絶えの状態だった。
「ふん、どうということはないさ。それより、ユリーチもよく生きてたな」
「待ってて、今治療するから!」
ユリーチが駆け寄り、彼に治癒魔術をかける。
暫し休み、三人は落ち着きを取り戻す。
アリキソンの傷も殆ど塞がった。流石はユリーチの魔術といったところだ。
「助かった、ありがとう。そんで後は……父さん、ヘクサムさん、スターチさんと合流だな」
「ええ、神殿に居ればいいのだけど……」
「いつの間にか真夜中だね……進むか、一旦夜を明かすか。どっちが良いかな?」
そんなこんなで話し合いながら、結局日が昇るまで待つことした。魔物の脅威も去ったという安堵もあり、皆疲れが限界に来ていた。
ユリーチが取り出したのは掌サイズの箱。
俗に建築キットと呼ばれるものだ。土魔術の応用である建築魔術を最大限にサポートするもので、簡易的な家を建てられる。たとえ初歩的な魔術しか知らない者でも。
魔石を媒介とした魔力循環の維持を行えば、暖房や空調の類も備えられる。今回はそこまでの贅沢はできないが。
それでも建築魔術の技術はここ三十年程度で飛躍的に進歩したと言える。
その最大の要因は目立った災害も起こらず、秩序の因果が弱まった事で魔物の勢いが減衰したからだとアテルから聞いた。
「おお……なんかワクワクするね」
「お、アルスは初めての野営か? 俺がメシの作り方教えてやるよ!」
アリキソンが非常食を持って張り切っている。
こんな体験はとても新鮮で学ぶことは色々とありそうだ。
「もう……あんまりうるさくしないで。眠れないでしょ」
馬鹿騒ぎするアリキソンに、気怠げなユリーチ。
二人と夜を明かし、僕達は再び神殿へと向かうのであった。




