19. 特別なモノ
赤鎧の魔族が剣を振るう。
刃の届かぬ場所すらも斬り裂く鋭利な一撃が繰り出される……それと同時に、
「光よ、『ツイルーン』!」
光魔術を放つ。
闇を貫くファローリィではなく、闇を防ぎ魔を封じるツイルーン。
『なっ……!? 馬鹿な、光属性じゃと? では、まさかお主は……』
想定の範囲外である光魔術の出現に魔族が狼狽る。
私にはこの鎧を攻略する道筋がハッキリと見える。
魔族はその身体が人、龍、獣、虫、無機……いかなる外見をしていようとも、それを構成するのは邪気と呼ばれる物質だ。魔力がいかなる属性にも変化し、行使されるのと同じようなもので……邪気を自在に変形させて身体を作っている。
あの魔族がいかに強力な魔結界を張っていようとも、防げるのは理内の属性。
ましてや魔に対して特攻を持つ光属性など防ぎようもない筈だ。
『お主はこの場で始末する。何としても』
「出来るものならやってみなさい。私が勝つから」
『おのれ……』
技量・経験ともに相手の方が圧倒的に上。
だが、それを覆すのが神能だ。
『舐めてくれるなっ! 人間!』
鎧がこちらに踏み出し、剣を突き立てようとする。
しかし、
『何……? 体が、動かん……』
ツイルーンが持つ効果は防御の作用だけではない。
魔封じ、即ち魔の力を持つ者を拘束する。使い方によっては半永久的に。
「さようなら。……ファローリィ!」
渾身の魔力を込めて光魔術を放つ。
神気を伴うその光は塵も残さず魔族を浄化していく。
『お、のれぇぇええっ……っ!』
魔族は跡形もなく消え去り、静寂が辺りに戻った。
「……アルス」
血を流し倒れ込む少年の側へ歩み寄る。
私がもっと早く動いていればこの惨状は起こらなかった。
……私が、彼を殺したのだ。
「……おや、これはまた無理をしましたね」
いつの間にそこにいたのだろう。その人はそこに立っていた。
「……ぇ」
そこに居た女性は変わった服装でもないのに、とても世界から隔絶された様な雰囲気を纏っていた。
暗くて視界の悪い夜の中、そこだけが切り取られたかのように。
月明かりに鈍く輝く艶やかな黒髪を纏めていて、真紅と紫紺のオッドアイが特徴的。
「さあ、起きてください。あなたが死ぬ事なんて許されないんですから」
その女性がそっとアルスに触れた。
「何……これ……」
感じ取ったのは魔力の波。だが、それは歪であり、かつ整然としたものでもあった。
理外魔術を操る私でさえも感じたことの無い違和感、どこか空恐ろしくなるような深淵が彼の身体に触れた。
「うん……? ここは……」
一瞬の出来事であり、何が起こったのかはよく分からなかった。
けれど、そこにあったのは奇跡──アルスが立ち上がっていたのだ。
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僕は、確かに死んだ。
魔族の剣によって腹と腕を裂かれ、じわじわと血を流しながら死んでいった。
それなのに、今こうして傷も無く立っているのはどうしてなのだろう。
「アルスっ……!」
「ユリーチ……? あの赤鎧の魔族は?」
「それが……」
事の顛末をユリーチから聞く。
彼女が光魔術によって鎧を倒したこと、僕が知らない人の手によって蘇ったこと。
「で、その人はそこに……って、あれ? 居ない?」
「まあ、その人へのお礼は後で言おう。それよりも今は魔王から逃げないと」
そういえば、結構な時間が経ったのに魔王は来ない。追いかけて来なかったのか?
死者の蘇生などという人並み外れた術を扱う者……興味はあるが、今は皆との合流が先決だ。
「ええ。……こっちに逃げよう」
深い森を抜け、見晴らしの良い丘の上に出る。
雨は上がり、緑青色の草原に雨粒のベールがかかっていた。辺りを見渡してみると魔物の影はなく、静寂が満ちている。
あれほど居た魔物の群勢はどこへ……?
「魔物がいないね。とりあえず休もうか」
身体は驚くほど軽い。恐らく僕を蘇生してくれた人が何かしたのだろう。
淡い光の粒子が飛び交う場所に腰を下ろし、一旦状況を整理する。アリキソン、スターチさんは無事だろうか。魔王の位置が確認できれば動ける幅が広がるのだけれど。
思考している間、沈黙が続く。
「……ごめんなさい」
暫く喋らなかったユリーチが最初に口にしたのは、そんな言葉だった。
「え?」
「わたし……私、あなたを助けられたのに。なのに、動かなかった」
そうか……ユリーチの話によると彼女は光魔術で魔族を倒したらしい。
炎魔術を使って援護はしてくれたものの、光魔術は使っていなかった。たしかに、何故魔物に特攻を持つ光魔術を使わなかったのかは疑問だが……
「謝るようなことじゃない。君にもそう出来ない理由があったんだろう」
「違う……違うの! 私は、ただ……光が嫌いだから逃げただけ!」
光が嫌い、か。
どうしてユリーチがそんな事を思うのかは分からない。僕が無理に立ち入る様な事情でもない。
でも……正直に僕の感想を述べるなら、
「僕は、光は好きだよ」
「……どうして?」
「光は、世界を照らすから。行く先を照らす光、人の日々を守る光。どれだけ暗くても、人は光の中に生きて……僕達はこれからもその中で生きていく」
この世界を守ること、それが僕の役割だ。
そして世界は人々の暮らしでもあり、それに寄り添うのが光だ。陽、月、魔石、電気……ありとあらゆる光の下に命は育まれていく。
「でも、私の光は……人を悲しませる光だった。お兄様は私のせいで傷ついて……」
「それなら、今からみんなを照らす光になればいい。光の神能を使える君にしかできない事だ」
正直、光を自分で作り出せるというのは僕も羨ましく思うが……僕にも四葉という神能がある。
そして、自分の力を誇りに思おうと僕は決めたのだ。
「君が光が嫌いなら、これから好きになれるように……僕も協力しよう」
「私にしか、できないこと……」
こんな事を言うのは無責任かもしれない。
世界で一人の個人だけがそれを持つという事は、それを持つ人が責任を背負うという事でもある。自分から望んだ訳でもなく、神能のように生まれつき与えられたのならば尚更だ。
彼女は僕みたいに、精神だけ歳を取っている訳でもなく、その身そのままの精神だ。
年齢の割に聡明とはいえ、中々受け入れられないのかもしれない。
けれど、
「……ん、分かった! ごめんね、もう大丈夫だから。私はもう、光から逃げるの辞める。だって、これだけが私に与えられた『特別』だから!」
……どうやら僕が思っていた以上に彼女は強かったようだ。きっとこの僅かな間に計り知れない逡巡があったことだろう。
だけど弱さを見せずに、乗り超えた。
「ああ、必ず。君ならできる」




