18. 大嫌い
「……どうしてだ」
半年前。
静かな闇が世界を包み、それを切り開くように眩い月光が辺りを照らしていた。
ルフィア中央都市、ルフィアレム。
ナージェント家が治める穏やかな土地の一角、屋敷の庭に佇む少年が居た。
「どうして、光魔術が使えないんだ」
受け入れ難い現実に膝をつく。
自分が輝天の神能である『光喚』を使えないという現実。
それを認められず何度も、何度も今宵のように同じ術式を編んできた。
魔術の才能が無い訳ではない。
だが、神能だけはどう足掻いても扱えなかったのだ。
「ここに居たのかい、スターチよ」
「……シダ様。申し訳ありません、少し眠れなくて」
大魔導師シダ。
亡き両親に代わってスターチとユリーチを育ててくれている恩師。
彼は蓄えた白髭を撫でながら、優しく微笑む。
「ふむ、あまり無理はせぬように。……と言っても、気負うなというのも難しい話じゃのう」
「いえ、全ては私の不甲斐なさゆえ。面目ありません」
「お主は良い子じゃな。だが、同時に悪い子でもある」
「ええ……分かっています。ナージェントの血筋としての責務も果たせないとは……」
これだけの時間をかけてなお、光魔術が使える兆しは見えてこない。妹のユリーチは幼いながらも既に光魔術に加え、炎の魔術を使いこなしていた。
スターチが優れていることといえば、魔術の適性が二つあることくらいか。奇怪なことに彼は二属性の適性を持っていたが、だから何だと言うのだろう。
兄としての面目も保てず、ナージェント家として光魔術の使えないスターチは、自分が悪い子と呼ばれるのも当然だと思っていた。
「いや、分かってないのう。お主が悪い子というのは、亡きエビネの言葉を忘れているからじゃ」
「父上の……?」
ナージェント家の前当主、父のエビネと母のレインはスターチが九歳になった頃に事故で亡くなった。
まだユリーチは物心ついたばかりで、あの頃は毎日を笑顔で過ごしていた。
「自分が自分らしく生きる事が幸せなのだ」
シダが口にしたその言葉は、心の奥底に眠っていたスターチの記憶を呼び起こす。
彼が魔術で思い悩んだ時、どんな属性が一番世の中に必要とされるのか……そんな事を父に尋ねた。
すると父はこう答えたのだった。
どんな属性でも世の中に必要とされ、自分と人々の笑顔を作るものなのだと。
それと連動するように……失敗した時、怪我をして泣いた時、母が抱きしめてくれた事を思い出す。
……どうしてこんな大切な記憶を忘れていたのか。どうしても分からなかった。
「お主は、光魔術を使えぬかもしれぬ。しかし、この世界を平和にできるのは誰じゃ?」
「私が、私ができること……」
「今はまだ、答えを出せずとも良い。さあ、今日はもうお休み」
そう告げるとシダは重い身体を動かして屋敷へと戻っていった。
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魔術の深淵とは、均衡である。
光と闇。それを取り巻く数多の属性。
最初に魔術を使った時、私は深淵を感じ取った。そこから先は簡単で、何一つとして魔術に悩む事はなかった。
初級、中級、上級……そんな区別に何の意味があるのかも分からない。単に適性によって扱える属性は一つで、光属性は運命に恵まれた者だけが扱えるだけのこと。
術式を組み、魔力を込めて行使する。
感覚による均衡を最大限に尊重しながら世界の理に従うことが魔術。
これほど簡単なものはない。
──でも、人の心は読み解けなかった。
「ユリーチ、今日はもう遅い。出かけるのなら気をつけなさい。……心配は余計だと思うが」
「うん、分かった。お兄様が寝るまでには帰ってくるね」
私の兄、スターチは立派な人物だ。
まだ十二歳の若さで『輝天』の任を果たしている。
そんな兄と比べて私はどうだろう。
執政に関して私は何も知らないし、教わってもいない。まだ若いからなんて言い訳は、能力がある以上は通用しない。
こうして夜中に魔術の実験材料を採りにふらふらと出掛ける毎日を繰り返していた。
「……ただいま」
いつもの様にドアを静かに閉めて真っ暗な廊下を歩く。自分の部屋へ戻る途中、兄の部屋の扉を開き覗く。
「あれ……?」
いつもは暖色の灯りを点けて机に向かっている兄の姿は無く、月明かりが虚しく椅子を照らしていた。
寝室にも姿は無く、どこへ行ったのだろうかと思案する。
いつもこんな時間に帰ってきているので、私を探しに行ったということはないはずだ。
「……?」
ふと、頬を撫でる僅かな魔力の気流を感じた。
どこか異質で、その術式が成り立っているのかも分からない。何かしらの実験か、魔道具によって生み出された気流だろうか。
好奇心に惹かれるままに、そちらの方角へと歩いて行く。
そこは屋敷の中庭だった。
「……お兄様?」
薄暗くてよく見えないが、兄がその中で佇んでいた。
私が足を踏み出そうとした、その時。
「どうして……光魔術が使えない。私はナージェント家の当主だ……輝天の神能を……」
「ッ……!」
頭の中が真っ白になった。
私には理解ができなかった。いや、しようともしなかった。
私にとっては光魔術が使える事など当然で、兄がそんな悩みを持っていたなど。
思わずその場から駆け出していた。
どうして……こんな事になってしまったのか。
私なんかよりもずっと努力して、人のことを考えて。そんな兄にこそ神能が与えられるべきではないのか。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
こんな世界が嫌だ。私が嫌だ。光が嫌だ。
ふざけないで、馬鹿げた運命!
闇夜の海を走っていく。
このままずっと闇の中に潜っていって……私から光なんて消えてしまえばいい!
──私は、光が大嫌いだ。




