15. 不穏の雨音
翌日。ルフィアの隣国、ルダン連合北西に位置するシンユウ港から船に乗り込む。
「綺麗だ……」
初めて見た海に僕は思わず感嘆の声を上げる。波の表面にきらきらと朝日が反射し、どこまでも広がっていた。
「さて、そろそろ出立だ。忘れ物はないか?」
タイムさんが皆に確認をとる。
「……よし、では行くとしよう!」
船が汽笛を上げて動き出す。少しずつ、その足で立っていた大地から離れていく。
「アルス、もしかしたら船酔いするかもしれん。具合が悪くなったら父さんに言いなさい」
「うん、分かった」
父はそれだけ告げて船内へ戻って行く。僕はまだ新鮮な海を眺めていようと、甲板上に残っていた。
「アルス、具合が悪くなったら私の魔法で治せるよ。何か困ったことがあったら私に言ってね、私はあなたより歳上なんだし」
海を眺めていると、ユリーチが話しかけてきた。続いてアリキソンもやって来た。
「ああ、ありがとう。……ユリーチって歳上だったんだ」
「うん、アルスは七歳でしょ? 私は一歳歳上なの。……あと、アリキソンも」
「えっ!? アリキソンって僕より歳上なの!?」
「……おい、どういう意味だ?」
ユリーチは歳上と言われてしっくりきたが、アリキソンもだったか。しかし精神面では僕が九歳は歳をとっているので、アリキソンが歳上と言われてもあまりピンと来なかったのだ。
「い、いやなんでもない。じゃあ二人にお世話になるとするよ」
「おう! 任せとけ!」
彼はそう息巻きフェンスに登り、バランスを崩して海に突っ込んで行った。
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神域中央、龍神の神殿。
龍神ジャイルが住う壮大な神殿に一行は足を踏み入れた。
神殿は百五十年前に人間が参拝する為に建てられたものであり、最深部に龍神が居る。ジャイルはいつでもここに居る訳ではなく、普段は人や自然に紛れて過ごしているそうだ。
奥へ進むと、大きく開けた場所があり……そこに深緑の鱗と翼を持つ巨大な龍が鎮座していた。
タイムさん、父、スターチさんが前に進み出て跪き、タイムさんが口を開く。
「龍神様。今年も碧天、輝天、霓天の神能を与えられし我ら、人々の忠誠の代表として参上しました」
『よくぞ来た、人の子らよ』
ジャイルが重々しく口を開く。僕の横にはガクガクと身体を震わせるアリキソン。
龍神は威厳のある紅い瞳で僕達を見渡す。
多分ジャイルが次に言う言葉は、『では、今年の勅令を出す。まず、マリーベル大陸について……』だ。
アテルがよく真似をしてからかっていて、それを見たジャイルは苦虫を噛み潰したような顔をしていたのを覚えている。
『では、今年の勅令を出す。まず、マリーベル大陸について……』
「ふふっ……」
予想していた通りの言葉が出てきて思わず笑ってしまいそうになる。跪いた体勢のままで顔を伏せ、なんとか耐える。
そして粛々と大人達に下される神託を聞き流しながら、その時が終わるのを待った。
『……では、神託を終える』
「はっ! では、失礼致します。どうか人の世を今後ともお守りください」
タイムさんが龍神に別れを告げ、形式ばった儀式を終える。
「俺たちもいずれ、この神託を受けに行くんだよな」
アリキソンが少し緊張の収まった声で話しかけてくる。
「たしかに、毎年こんな儀式をするのは面倒だよね……」
「ちょっと、アルス? 龍神様の前で何を言ってるの」
ユリーチが不躾な僕の発言を諫めてくる。たしかに、今のはかなり無礼だったかも。でもこの距離なら龍神には聞こえてないと思う。
『……そうだな。確かに、一年に一度というのは人の子にも負担が大きい。三年か五年おきにしてみるというのはどうだ?』
聞こえてた。
「いえ、負担等ととんでもございません! 我々が龍神様へ忠誠を示す為とあらば、一年に一度でも足りないほどでございます!」
『そ、そうか……』
ジャイルもこの儀式は面倒だと思っていたようだが、あっさりと提案はタイムさんに跳ね返される。露骨に彼の声が気落ちした。
『……して、アルスよ。お主には話がある。少し残ってくれ』
「龍神様……?」
父が疑問の声を上げる。確かに、龍神が引き留めるなど不思議に思われても仕方ない。
『霓天の子よ、案ずるな。少し話をするだけだ。神殿の外で待っているがよい』
「承知しました。……アルス、龍神様に粗相の無いように」
『はい』
粗相も何も、ジャイルは他者の態度など全く気にしない性格だ。意思の疎通さえできればどうでも良いといった感じである。
他の面々が出払った後、ジャイルは深緑の尾を地面に落として足を折り曲げる。
「それで、話とは?」
『うむ、これを渡しておこうと思ってな』
そう言うと、どこかはともなく現れた光の中から……首飾り、だろうか。華美な装飾はなく、中心に翡翠の大きな宝石が埋め込まれた銀縁の首飾りが出てきた。
「これは……?」
『神導の首飾りだ。着けていることによって、肉体を徐々に神気に慣らしていく』
ジャイルは説明を続ける。
『アテルとの共鳴の解放には、無論神気が必要だ。だが、今の汝では発動すらままならぬ。汝のなり得る種族は三つ。人間、神、共鳴者だ。人間は今の状態だが、神族に変化する為にその首飾りを身につけて神気に慣れるのだ』
「ん……難しい話だけど、とにかくこれを着けてればいいんだね」
たぶん、僕が神族になったとしても姿は人のままだ。見た目が何であろうと、身体の組成が神気から成る生物が神だ。魔族が邪気、精霊が魔力から身体を組成するのと同じように。
『うむ。それと……』
ジャイルは天を仰ぎ、視線を再び僕へと戻す。
冷たいものが僕の顔に当たった。どうやら雨が降り出したらしい。
でも、おかしいな。神域に雨は降らないとアテルから教わったのだけど。
『この神域に招かれざる客が来ているようだ。……用心せよ』
そう告げられ、この会話は幕を閉じた。
【魔族】……意志を持った魔物。身体の組成が邪気からなる生命体。意志を得てから、最初に見た動物と同じ身体を持つ。かつては迫害されていた歴史を持つが、現代では殆どの国で人と共に暮らしている。感覚の一部遮断が可能
【神族】……身体の組成が神気からなる生命体。対照的に、魔族は邪気で構成されており、神族と魔族は不死性を持つ。感覚の完全遮断が可能




